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DAY.4 だいぶ前向きになってきたきっかけは「じぶんサークル」の書き出し

そんなこんなで、先日41回目の誕生日を密かに迎えた。
さすがにこの歳になると、誕生日だー!!ってこともないけど、お祝いメッセージをくれる友達とか、毎年変わらずお祝いしてくれる家族とか、そういう人たちのありがたみをものすごく感じることができた。

手帳書くのが昔から好き

話は飛ぶが、なんでか昔っから手帳を書くのが好きだ。
仕事のスケジュール管理はスタッフとの共有もあるのでGoogleカレンダーを使っているが、紙の手帳も毎年使っている。
ロルバーン愛用してた時代を経て、今はA4サイズのcampusノートのマンスリーの手帳を使っていて、ほぼノート兼務。結果マンスリーページはびっしり。
9月くらいになると、続々と来年の手帳が出始めて、雑誌やYouTubeで取り上げられ始める。
来年はバーチカルに戻したいなと思って色々調べてた時に、「私らしさ手帳」っていうのがいいっていうYouTubeを見た。

色々と「自分らしさ」を知るためのワークがついている系の手帳。
うん、確かに良さそうだな・・・と思ったんですが、私自身、そういうページがあっても全部をこなした試しがない。
でも、この「自分らしさ」を知るワークには興味がある。。

DAY.3からの変化。ちょっと・・・どうでも良くなってきた

この1ヶ月に読んだ本の数は結局8冊にもなった。
読んできた本の山を見たら、どんだけ必死だったんだよと、今となればちょっと笑える。

とはいえ、本を読んだことでの収穫はデカかった(ように思う)。
読み過ぎたせいもあるのかもしれないけど、「なんか・・・どうでもよくなってきたな」と思うようになった。
これは捉え方、聞こえ方によってはひどいもんなんだろうけど、
わたし的には、「余計なことを考え過ぎたな」に近い。

そんな思いも芽生えたころから、DAY3の宿題「自分のために生きる」ってなんだよ・・に向き合ってみた。
なんか自分のために生きるって「自己中」な感じがするのは私だけなんだろうか、、。
人は一人では生きられないとか言うし、
誰かのためにって言う方が聞こえがいいし綺麗なんだろう。
誰かの役に立ちたいという思いが強いのは事実。
人は誰かのために生きてるんじゃないのかよとまで思っていた。

大好きな母のことを考えてみた

私の母は、本当に「人のために生きる人」だと思っていた。
この影響も、今となれば「自分のために生きる」に対する違和感(受け入れられない自分)を産んでいたように思う。
看護師だった母は、父の両親を自宅で看取り、自分の両親も結局関東から呼び寄せて最期まで看取った。
私が見てきた母は、人の世話ばかりずっとしていた。
祖父は脳梗塞で倒れてから右半身麻痺になり、最後にはベッドの上での生活だったが、ずっと自宅で一緒に暮らした。その凄さを分かったのは最近だけど、私にとっては普通のことだった。
下の世話もシーツ交換も、喉に空いてる穴から痰を機械で吸い取るのも、普通に母が家でしていたし、その姿をずっと見て、時に私も手伝っていた。

今はと言うと、心臓病を患ってからどんどんやれることが少なくなっていく父の面倒を母が一人で自宅で見ている。
病院で「これ以上良くなることはない」と言われて家に戻したあと、母の懸命な食事療法やらのおかげで父のいろんな数値は好転した。
今や父は頑張って散歩も行くようになったし、なんせめちゃくちゃ食べるし酒も飲む。
おい、医者ってなんだよって思ったのは最近の話。

母は、「ママの人生どーしてこう人のためにしか過ごせないのかしら」と愚痴ることが増えた。
ほんとだよ・・とみんな言う。
母の友人たちも、「もう少し自分の楽しみ見つけなさいよ」とか「もう少し自分の好きなことやったら?」と言ってくれている。
そしてまた、ほんとだよ・・とみんな言う。

だからと言って、母の自分の楽しみはないらしい。
旅行とかも積極的に行こうとはしない。父と犬たちが心配で、それを考えながら出かける方がストレスらしい。・・・ちょっと気持ちはわかる。

かといって、外に連れ出せば、めちゃくちゃ楽しんで帰ってくるし、出かけてよかった〜と言う。そんな母。
これが、私の大好きな母。

「母らしさ」を見てて思ったこと

母は人のために生きたくて生きてるわけではないのかもしれないって最近思う。
人のために何かしたいから看護師になったわけでもなさそうだ。
母は小さい時小児結核で、小学校浪人をしている。
今ではきかない病気だけど、相当大変だったらしい。
体育とかできないことがたくさんあったし、
その薬の後遺症で、難聴になったり、色々大変そうなのは今も変わらない。

そんなこんなで看護師を目指したみたいだけど、決して誰かのために・・・と言う思いではなくて、あくまでも「自分のため」だったんじゃないかと最近思う。
ちゃんと聞いたことはないが、自分の病気と向き合って、医療というものと向き合った結果、看護師になったんじゃないかな。
だから、看護師という職にものすごいプライドを持っているし、いまだに看護の本とか読んで勉強したりする。
看護師である母こそ、母の自分らしさなんじゃないかとまで思う。

そういえば、そもそも母は、承認欲求がめちゃくちゃない。
心配になるくらい、ない。

ずっと、「人のために尽くす母」に憧れてたけど、「自分のために生きる母」に憧れてたのかもしれない。

自分のため=自分で選ぶ

自分で選んだ道だから、誰に何を言われたって気にならないんだし迷わないし、腹がたったりもしないんだろう。
つまり、「自分のため」って「自分で選ぶ」「自分で選択する」みたいなことにも繋がるんだろう。そんな気がしてきた。

・・・そんなことを思えるようになってきた頃、「自分軸とは、”自分が納得して自分の行動を決めること”。他人軸とは”他人からの評価を気にして行動を決めること”。」と、最近のお気に入り「Tomy先生」の本に書いてあった。
やっとわかってきた気がした。。
母は自分軸で生きている。

しまった、前段が長くなった。

本題に入ろう。
そんなこんなで、少しずつ「自分のため」ってのは自己中とかじゃなくて、言い方またあれだけど「アリなこと」なんじゃないかと思えるようになった時に、みつけた「わたしらしさ手帳」。
その中に入ってるワークを、自分なりにやってみようと、自分のノートに書いてみた。

・・・とはいえ、まだ模索中の私はSTEP1の「なりたい自分リスト」がまず書けん!!!
STEP1には「自分がワクワクすることを想うがままに自由に書いてみよう」と書いてある。
そんな難しいことじゃないことぐらいわかっているが、なんと13個でストップ・・・。

しかーし!!こうやって出ないじゃんって、ここでいつもやめちゃうからあかんのだ!と思って、
とりあえずSTEP2に進んでみることにした。

STEP2は自分サークルを作るワーク。
真ん中に「なりたい自分」があって、それになるために、仕事や家族、お金、学びなどのコンテンツ別にビジョンを描き、またその外側に、具体的なアクションを書くというもの。

「私らしさ手帳」より引用。

そもそも「理想の自分」が書けなかった。
だから、仕方ない、埋めれるところから埋めたれ!と思って、各項目のビジョンを書き始めた。
とりあえず、ここから直近1年間の目標じゃ・・・と決めて書き始めたら、意外とペンが進むようになった。

  • ママと神奈川旅行に行く

  • 福井に一人旅する

  • 月一ご褒美DAYを作る

  • 15キロ痩せる      などなど。

そんなんを出し始めたら、
「あーそのためにはやっぱり計画しておかなきゃダメか〜」とか、
「お金これくらい貯めないとな〜」とか、
「時間の使い方を事前に決めないとできないな〜」とか。
そんなこと思い始めてどんどん埋めたら、気づいた時にはそこいらじゅう埋まってた。

で、最後にサークルのセンター。
「私はどうありたいか。」
そうだ・・・と思って書いたのは
」という一文字。
とにかく毎日、笑っていたいと思った。

これをやって気づいた自分の変化

最近の自分だったら、「これって目標じゃなくて手段じゃん?」とか、
「ということは、このアクションってなんのためにやるんだっけ?」とか、
よくはわかってないくせに、偉そうにっていうか、頭でっかちな思考に縛られて、一向に書けなかった気がする。
でも、自分が思うがままに書いて、別に誰に見せるためでもなく、自分が納得できればいいやって思いで取り組んでみて、
やったら思ってた以上にスッキリして、
しかも「よし部屋片付けよ〜」とか、全然やらねばと思っていたのにできなかったことを自然に思って行動できるようになったりして。
明らかに、ココロとカラダが軽くなった。

なんか・・・これで良いんじゃないかって思った。

「経営者」でなければいけない自分という呪縛

楽観的。ポジティブ。いつも笑顔。元気。根拠なき自信を信じさせる力がある。
振り返ってみれば、人に言われる自分の印象ってこうだった。
わかっている、今はかけらもない。

結局私は「経営者」でなければならないって自分を自分で追い込んでたんだと思う。
経営者たるもの、こうでなければならない。が自分の中に気づけばたくさんできている。
でもこれは、素敵な経営者の先輩が自分の周りにいるからでもある。
その人たちへの憧れと、その人たちとのつながりへの執着が、「経営者でなければいけない自分」を無意識に産んでいたのかもしれない。

でも、私は元々、経営者になりたいなんて一度も思ったことがない。
今冷静に考えてみれば、会社を始めてから4年間の中でも、経営者になりたいと思ったかと言われたらわからない。
(だからと言って、会社を立ち上げてやってきたことに悔いも何もない。)

「やっぱり経営者でありたいと思う」
と、8月のある日、私は言った。
でもこの一言が、大きな波紋を呼んだ。それがその時は悔しくて苦しくて、自分で自分の心をシャットダウンした大きなきっかけになった。
でも今は思う。そりゃ波紋も呼ぶよと。
本当にそう思ってたのではなくて、ただ自分を鼓舞したかったのと、言った方が経営者っぽいと思ったんだろう。
なにより、そこにいるみなさんに「あいつは大丈夫だ」って思って欲しかった。
・・・情けない。

でも後悔はしてないし、この1ヶ月のことで「自分軸」ということもちょっと理解できて、
自分らしさを少しずつ取り戻すぞって思えたから、全然それでいいと思う。

逃げた、できなかったと思われる(言われる)ことが怖かったけど、
思われたって(言われたって)いいじゃん。って今はほんとに思っている。

それでいい。
ここからもう一度、自分らしく生きていきたい。
そして、笑っていたい。笑っている自分の方が、誰かに喜んでもらえるからとかじゃなくて、自分自身がその方が好きなのだ。

とりあえず、私自身のどん底期(・・・だったのか?!)からは一歩踏み出せたから、
ここからはいろんなものから逃げずにちゃんと見て、半歩ずつでも1ミリずつでも歩んでいきたいと思う。

考えることから逃げなくて良かった。
本を読むこと、自分と向き合うことに挑戦して良かった。
ほんと、そう思う。

ポンコツなりに、これからもnoteは書き続けていこうと思う。
これはあくまでも、自分の変化の記録。

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