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「聞く」ことをあなどるな

この記事はGMOペパボのカスタマーサポート職の人々がお届けする、「Pepabo CS Advent Calendar 2022」 の3日目(12/3分)の記事です。

この記事では今年僕が読んだ1本の映画と1冊の本について、思うことをつらつらと書いています。

濱口竜介の「ハッピーアワー」

2022年の3月、僕は濱口竜介という映画監督が作った「ハッピーアワー」という映画を見ました。同氏は昨年「ドライブ・マイ・カー」の監督として、さらに世界的に知られる映画監督となりました。

予告編は微妙なのでこちらのポスターを

「ハッピーアワー」はどういう映画かというと、30代の女性4人とその周辺の人たちの間で起こる出来事を描いた映画です。上映時間が5時間17分(!)あるので、テキストでの説明は難しく、とにかく一見いただくしかありません。

5時間17分も映画を見ると、途中でお尻が痛くなってくるし、ボーっとしてくるし、目がしぱしぱしてきます。
(なお、上映は3部に区切られているので10分の休憩が2回あります)

しかし、そういうことが気になりだすタイミングで登場人物が突然重要な話を始め、その度(よくある言い回しですが)映画にぐっと引き込まれ、最終的には現実との境目がわからなくなる、というような体験をしたことを覚えています。

そして映画が終わったあとの感想は、ひと言では表せれず、大変な消化不良の状態に陥りました。

消化不良の画像

この「ハッピーアワー」という映画をどのようにして作ったか、ということが書かれているのが、同作監督の濱口竜介が書いた「カメラの前で演じること」という本になります。この映画を少しでもわかりたく、本に手を伸ばしました。

「カメラの前で演じること」という本について


左は落花生のらくちゃん

「カメラの前で演じること」という本は、他でもない「ハッピーアワー」という映画をどのようにして作ったか について書かれた本なのですが、この本に書かれてあることは、驚くほどに、人と人とが関わり合って生きることについての重要な示唆を含む言葉に満ちていました。

少し映画の成り立ちを説明しますと、まずこの映画に出てくる俳優は2/3程度の人が、演技経験のない、いわば「素人」の人たちです。この俳優たちは、濱口竜介がアーティスト・イン・レジデンスとして神戸に滞在した期間に行ったワークショップの参加者として集められ、「ハッピーアワー」はそのワークショップ参加者全員が参加する形で作られた映画になります。

そのワークショップのテーマというのは「聞くこと」という内容でした。
演技のワークショップにもかかわらず、「聞くこと」をテーマにしているというのは少し奇妙です。

いらすとや:よく聞いている人(男性)

しかし、濱口竜介曰く、演技であっても人が人に語りかけるという行為の根本には「聞くこと」があり、その結果として、役者が"良い声"で言葉(台詞)を発した時に、カメラに、その人自身を反映した良い演技が映るのだと言います。

人は、発した言葉を「聞かれる」ことで、"自信に関心を示す他社の存在を確かに感じる"ことができ、それは"その人自身の率直な表れを助ける"と。

このことは、他でもない、自分の生きている世界のことだよなあと感銘を受けました。

さらに濱口竜介は言葉と身体には「随伴性」があると言います。
ある言葉(台詞)をその人が口にする時、その言葉は、その人から決して出ない言葉ではあり得ない。つまり、その人は"自分が言えることしか言えない"

いらすとや:言葉が上手く出てこない人

言葉は自分が意識している以上に身体と繋がっていて、自分がどう転んでも言わないようなことは、演技であるならなおさらに言えない。だから脚本には、ワークショップを通して理解した参加者の性質、人間性を考慮し、徹底的にその人の"ことば"を脚本に持ち込んだ(≒言えない"ことば"を排除した)といいます。

ハッピーアワーを見終わった後、その映画に出てくる人たちは、必ずこの世界のどこかで暮らしている、決してフィクションの人物ではない、と強く感じました。そのリアリティを支えていたのはこういった手法だったのかと、少し納得した気持ちになりました。

ただ相手の話を「聞く」こと

本を読み終え、果たして自分はただ相手の話を「ただ聞く」ということができているのだろうか?と思い至りました。

僕たちは何かしらの物語を取り込む時に自分のフィルターを無意識にかけています。これは誰でも間違いなくやっていることです。
今まで得た知識や経験を抜きに、物語を取り込むことはできません。

いらすとや:かがんでお年寄りと話す人

普段自分が話す相手を思い浮かべ、その人たちと話している時、自分はどれくらい「ただ聞く」ということができているだろうと。考えると、自分も例に漏れず自分のフィルターを通した決めつけや、無意識の内に出てくる言葉によって相手の話を遮ったりしている場面が思い浮かびました。

特に社会的な振る舞いを求められるシチュエーションにおいては、僕たちは無意識のうちにその場にふさわしい言動/リアクションのテンプレを発動させています。必要以上に笑ってみたり、"よくある"リアクションを(時に大袈裟に)してしまう時、それは目の前にいる相手ではなく、社会という場に対して取っている行動とも言えます。

いらすとや:窮屈な社会のイラスト(女性)

あるいは、話を聞くときにそこに自分なりの意見をぶつけないと気が済まなかったり、どこか答え(らしきもの)のある場所に着地しようとしてしまう。効率と成果が善とされる現代では、ただ相手の話を聞くということは軽視されている場面が発生しやすい気がします。

"それってあなたの感想ですよね?"


いらすとや風○ろゆき(非公式)

今や誰でも知っているこの言葉も、話の中にある「答え」のようなものを前提として発せられています。あなたの感想はいいから、あるとされる正解に辿り着ける議論をしよう という態度です。

人と人が話すとき、本当に必要な態度は「僕はあなたの感想が聞きたい」ということになると思います。

各々が思うことに対して何を言うでもなく、互いの思うことをただ伝え合う。それを受け止め合うことこそ、本来、人にとって必要とされる感覚なのだと思います。

「聞くこと」と「心理的安全性」について

こういった考えは自分の私生活だけでなく、仕事をしている時の意識にも影響がありました。当然、仕事では人と関わるし、人と関わる場所に言葉とコミュニケーションの問題は常にあります。

今年自分が仕事の中でチームに取り入れようとした「心理的安全性」という考えはまさに、この「聞くこと」を一つの重要な要素(話しやすさ)として含んでいます。

参考にした本:心理的安全性のつくりかた

(相手の)「話す」という行動に対して、「相槌を打つ」などの聞いていることを示す行為をもって「みかえり」を与え合う。「ただ聞く」という行為は、大袈裟に聞こえますが、正しい形で示される時「みかえり」という言葉に十分に値し得ます。

おわりに

という風に、映画「ハッピーアワー」とその映画の製作について語られた本「カメラの前で演じること」について書きながら、今年考えていたことについて書いてみました。

長くなりましたが、ここまで読んで下さった方ありがとうございます。あなたにはクリスマスから年末にかけていいことが起こります。

今はもっと「聞くこと」について書かれた本を読んでみたいと思って、「聴く」ことの力(鷲田清一 著) や、傾聴力 というタイトルに入っている本を読んでみたいと思いつつ手が伸び悩んでいます。もし面白そうな本があったら教えてくださいm(_ _)m


2022年おつかれさまでした / 2023年もよろしくおねがいします

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