「言語化」という才能

 我々は言葉で他人と意思疎通しているわけだが、よくよく考えてみると、とても高度なことをしている。
 言葉はときに、額面どおりの意味を為さないからだ。
 言葉とは実に曖昧なものなのである。

 知人に言語化のプロがいる。
 彼は某外資系コンサルのパートナーにまで上り詰めた人で、ブレスト中に出てきた様々なアイディアを見事なまでに言語に落とし込んでいく。
 ある日、呑みの席で彼を紹介するとき「言語化の天才」と紹介した。
 彼は「正直に言うと、言語化には自信がある。ただし、自身のことを天才ではなく、秀才だと思っている」と言うので、私はその真意を問うた。
「環境によって作られたものだからだ」と彼は答える。
「小中学生時代に、3回転校した。転校するたびに、その地域ごとに文化やそこに住む人々の考え方が異なることを知った。それが原体験だ」
 さらに彼は続ける。「東大に入ってから、進学校出身のエリートたちの考え方に驚きがあった。ずっと同じ層にいるから、考えが直線的になってしまっていると感じた。そうならないためには、いろんな場所に身を置くべきだ」
「それはつまり、先鋭化しないように複数のコミュニティに属すべき、ということか?」と尋ねる自分に、彼は大きく頷いた。

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