「あとから後悔する」ということの本当の意味

私は中学からバレーボールを始め、20歳まで現役だった。中学をでた後は高等専門学校に進んだ為である。これから書くのは現役を引退する際に感じたことである。

バレーボールを始めるきっかけは些細なもので、もともとは野球をしていたのだが、中学の野球部の先輩が地元でも有名な不良グループであり、そこに所属したくないなと思っていたところに友人から誘われた為である。

私自身はバレーボールが好きだった。というよりバレーボールを夢中でプレーすることが好きだった。高専に入ってからはより一掃で、面倒見の良い先輩もいたことから、彼らに自分のプレーを認めてもらいたくて練習に取り組んでいた。

自分で言うのもなんだが、それなりにセンスはあったと思う。自分よりもすごいプレーヤーが沢山いることは重々承知していたが、特にテクニックという意味では同学年の中では一番だったと思う。

私たちの学年からキャプテンが選出されるとき、私が選ばれるものだとなんとなく思っていた。しかし実際は、1年の前期に退部し、2年の中盤に偶然私が誘って再入部した奴が選ばれた。奴も意外そうな顔で俺を見ていた。

「俺は自分に厳しくするの苦手だから、お前のほうが向いてるよ」

そうおどけてみせた。内心は悔しさと納得出来ない気持ちだった。そしていつの頃からか以前のように120%本気で練習に打ち込めなくなっていった。

今ならよくわかる。私はひねくれていたのだ。そしてそれが後に一生引きずるもやもやを心に残してしまうことなど、当時の私は考えもしなかった。

最後の夏の大会の時期になった。この大会が終われば引退である。この年は地元開催という地の利と、後輩がよく育ったこともあり、念願の地区大会優勝を飾ることが出来、全国大会へ出場することとなった。

組み合わせの運も相まって順調に勝ち進み、ついに勝っても負けても最後の試合となる全国大会決勝の舞台に上がることが出来た。初めての大舞台ということもあり、第一セットは流れをつかむ前に落としてしまった。

続く第二セットは緊張もとれ、相手に先行を許すものの、僅差で追いかける展開となるが、追いつけぬまま相手にマッチポイントを許す。24対22、その差は2点。ここで2点取ればデュースに持ち込める。

しかしその結末は。

相手のサーブを広い攻撃するも決めきれず、相手の攻撃に。ここでライトのスーパーエースのスパイクが私の守備範囲へ打ち込まれた。キレのあるスパイクだが球筋は見えている。拾えると思った。

しかし拾えたと思ったスパイクは後方に逸らし、コートに仰向けに倒れた。床に落ちるボールがスローモーションで見えた。そして試合が終わった。

表彰式で銀メダルを受け取ったが、正直あまり嬉しくなかった。となりで優勝したチームがはしゃいでいる。全国大会準優勝ということよりも、なぜあの球が拾えなかったこと、そこまでの試合の中で決めきれない場面があったことを悔やんでいた。

『あとから後悔する』ということの意味を理解した瞬間だった。


私の母校のバレーボール部には毎年恒例のOB会があり、年に一度昔の仲間や先輩と顔を合わせる機会があり、現役時代の昔話をする。そのたびに当時の自分の事を悔やむのだ。

どうしてもっと真摯に練習に打ち込めなかったのか。

どうしてより自分を高める努力を惜しんだのか。

過ぎてしまった過去を変えることは出来ないとなぜわからなかったのか。

5年前からアメリカに住んでいるため、もうしばらくOB会には参加していない。今年はコロナウィルスの為にOB会自体が無かったようだ。とはいえ毎年その時期になると当時のことを思い出し、後悔することは変わらない。

このことはチームメンバーの誰にも話していない。

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