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「自力」ってなんだろ?

ずいぶん前の本で、読んだのもずいぶん前になるけど、『ザ・ギフティッド 14歳でカナダのトップ大学に合格した天才児の勉強法』って本がある。

この本の主人公であり、著者でもある大川翔さんが、自らの「半生」をつづった本だ。紹介はしないけど、タイトルどおり、すげー経歴をお持ちで、孫正義育英財団の財団生に選ばれるなど、今もその才能を惜しみなく発揮されているようだ。

翔さんの優秀さとともに、この本から読み取れるのは、お父さんお母さんの、子育てに対する熱意ある向き合いだ。

「母さんの解説」という章で、翔さんの母上が、

「…子育ては、結果から見ると悪くはなかったわけですが、今、振り返って思うに、もっと上手な方法があった」

と反省しつつ、いかに彼と向き合ってきたかをふり返っているんだけど、これがまたすごい。いちいち紹介しないけど、共働きのご家庭で、ここまでの子育てができるもんなのかと少々感動した。


何も大川家に限ったことじゃなくて。

優秀な人たち、社会で活躍するような人たちの多くは、子ども時代に手厚く良質な教育やサポートを受けて育っている。

アスリートが好例で、優れたコーチや設備のもとで毎日練習する子どもを、自身のすべてを捧げて献身的にサポートする親の姿をメディアなんかで見たことがある人も多いだろう。

スポットライトを浴びるのは当の本人だけだから、ついつい忘れがちだけど、その成功には、親を含め多くの人の貢献が隠れているのだ。

そんな話をするとき、いつも僕は思う。「自力」って何やろかと。

辞書を引くと、

じ‐りき【自力】 
1 自分ひとりの力。じりょく。「自力で脱出する」⇔他力 (たりき) 。
                      出典:デジタル大辞泉

とある。確かに、本人の努力なくして結果を残すことはない。

でも、もう少し広い捉え方をすると、さっき話したように、周りのサポートあってこその結果であって、「自分ひとりの力」だけで成せるものなどない、とも言える。

つまり「自力」とは、

“自分と自分を支える周りの存在すべての合力”

なんじゃないかと。

そのように自力を「チーム力」だと捉え直すと、今までと違った世界の見方ができるだろう。

おごる気持ちが消え、周りに感謝できるようになったり、いままで無関係に思えたことに対して責任を感じたりするかもしれない。

「監督、コーチをはじめファンの皆さんのおかげです。」インタビューでスポーツ選手が答えるお決まりのセリフもまた、そう考えるとチープな印象が少し和らぐかもしれない。



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