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「共演拒否」は生意気なのか?

今日ヤフーニュースの通知で「えなりが泉ピン子共演拒否」の記事が目に飛び込んだ。えなりと泉ピン子といえば、長寿ドラマである「渡る世間は鬼ばかり」で長年共演してきている2人だ。そんな中、えなりは泉ピン子と会うと発疹が出るくらい、拒絶反応が出てしまっているらしい。

共演拒否を暴露した脚本家の橋田壽賀子は、共演拒否をするえなりかずきに対して怒りの感情をぶつけている。

「(泉ピン子と)一緒に出るとえなり君は発疹が出たり、おかしくなるんですって。それを聞いて、私、えなり君にものを言うのも嫌なのね。そういう申し出をすること自体、私は頭にくる」
「肝心の嫁姑問題は絶対にできない。母親と息子のマザコンみたいなものさえ書けない。アホみたいな話ですよ。役者がケンカしてるから、書けないって」

「たとえ嫌いでも、上手くやれよ」と言いたいんだろう。大人なんだから、周りに迷惑をかけずに適度な距離感を保って仕事をするべきだ、と。平等にふるまえる人こそ素晴らしいし、大人なんだと。「平等である」は今でもすごく重要で、恋愛ノウハウ記事でモテる女子の条件としてよく「誰にでも分け隔てなく接すること」があげられている。

でも、不平等ってそんなダメなんだろうか?

いま、「好きなことを仕事にする」といったジャンルの本が大量に出版されすぎている!といったしゅんしゅしゅんさんの記事を読んだ。実際今日本屋に行ってみると、入り口の一番目立つ場所に「好きなことを仕事にしよう!!」コーナーがでかでかと設置されていた。

「好きなことで生きていく」は、同時に「嫌いなことは避けていく」でもある。でも「好きなことで生きていく」のが推奨されているのに、同じ意味の「嫌いなことは避けていく」はイマイチ推奨されない。むしろ「大人になれよ」と怒られてしまう。

きっとみな「嫌いなことを避けていく」生き方をしづらいから、どんなにたくさんの本が出されても「好きなことで生きていく」人がなかなか増えないんじゃないだろうか?

「共演拒否」をする生き方は「好きなことで生きていく」ための1つの方法だ。必ずしも悪いものじゃない。詳しい事情は分からないけど、この「共演拒否」の記事が出たのは、えなりさんにとってそこまで悪い話ではないのかもしれない。

そして今後この記事を受けてえなりさんが吹っ切れて、「共演拒否して生きていく」なんて記事を書いたらきっと面白いはず。覚悟をもって吹っ切れてしまえば、何でも面白くなる未来になるんだろう。

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