真実の物語

◇"人の人生のきっかけになる生き方をする"そんなテーマを掲げて生き…

真実の物語

◇"人の人生のきっかけになる生き方をする"そんなテーマを掲げて生きている。 ◇"私の志"→【◉作家◉日本中でトークライブ】それを目標にまずnoteを始めました。1人でも多くの人のきっかけになれますように。

最近の記事

恋人が出来るが、好きが続かない。そして、、、

「僕と付き合ってほしい」 中学1年生の時だった。 ”人を好きになる”ということがいまいちピンときてなかった私は、ただ一言「ごめんなさい」そう答えた。 それが私の人生で”告白”というものを経験した瞬間だった。 そこからその彼は告白をし続けてくれたが、付き合うことはなく1年が過ぎていった。 ”付き合うってなんだろう” ”付き合ったら何が変わるの?” そんなことが全く分かってなかった。 そこからも数名の男の子が告白してくれるたびに、そのクエスチョンが頭をぐるぐるして

    • ◎プライドで成長が止まった3年間。

      中学生から高校の部活引退するまで、私は6年間バスケ部に入っていた。 バスケが好きだったわけではなく、実は1番嫌いなスポーツだった。 でも2個上の姉がバスケをしていて、中学高校と同じ学校に行った為、姉と父が「妹がバスケ部に入るからよろしくお願いします!」と言っていたのだ。 私は昔かなり消極的だったし、習い事が大嫌いだし、極度の人見知りだった為、何にも入るつもりはなかったが、断る勇気もなかったので流されるままに、私は気づいたらバスケ部に入部していた。 だが、「やるからには

      • ◉勉強って何のため?大人になって知った衝撃の答え。

        高校生になった私は、中学生の時と同じバスケ部に入った。 その時にゆうこ先輩という、おしゃれで、頭がよく、バスケがとても上手な女性と出会った。 当時の私は、頭もよくて、おしゃれで、運動も出来るそんなゆうこ先輩に憧れを覚えていた。 そして、当時もう一つ尊敬していた人が、明石家さんまさん。 また全然違う系統だが、 彼の話の展開のキレ、引き出しの多さに、いつもテレビに釘付けになっていた。 私はいつの間にかこうやって人生で初めて憧れの人が出来ていた。 私はそこから2人の共通

        • ◉初めてのイメトレ

          "思考は現実になる" そんな言葉をみなさんは聞いたことがあるだろうか。 姉がそういえば、何やら分厚い本を読んでいた時があった。 その本の名前は、 "ザ・シークレット" あなたが考えた事の、思考を支える無意識の思考が現実になる。 という話を様々な学者達が、根拠をもとに解説している。 私は本を読む事が苦手だったので、手を付ける事は無かったが、 実はそれが時を経て、23歳になったある日、私の人生を変えるメンターが、ザ・シークレットの動画を見せてくれる事になり、

        恋人が出来るが、好きが続かない。そして、、、

          ◉仲間との出会い

          中学2年生になった時、 友達のまきが、毎日遅刻するようなになった。 当時私は自転車通学をしていて、まきという女の子と2人で毎日登校していた。 迎えにいったある日、チャイムだけ鳴らして、いつものように出てくるのを待っていた。 5分待ってもでてこない。 遅刻しちゃうな、、、 もう一度チャイムを鳴らした。 『井上さんごめん!ちょっと中で待ってて!!』 寝坊したのかな? する奥から 『うっせー!!!だまっとけ!!』 どうやらお母さんと喧嘩しているようだっ

          ◉仲間との出会い

          ◉母との再会

          中学になったある日。 突然母から連絡がきた。 『みんな元気にしてますか?お久しぶりです。よかったら一度会いませんか。』 居なくなって以来の連絡だった。 兄弟3人は目をまんまるくして驚き、その光景が一瞬信じられなかった。それと同時に、会えることに対するワクワクとドキドキが込み上げてきたのを覚えている。 再会の当日。家に母が車で迎えにきてくれることになった。 3人で今か今かと外で母を待っていると、それらしい車が近づいてきて、

          ◉母との再会

          第二章 中学生時代 ◉ネガティブな自分

          中学生になって、私はバスケ部に入る事にした。一番嫌いなスポーツだったが、姉が入ってるという事で何だか流れでバスケをする事になってしまったのだ。 中学生になって初めてちゃんとバスケをやり始めたが、運動神経には少し自信があった為、なんとか基本はできるようになった。走りが速かったので、誰よりもコートの中で走っていたが、なんせ体力がなさすぎたので、すぐバテるという繰り返し。 2年生になった私は、途中交代だったが試合に出るようになっていった。 運動神経は良かったが、小心者だった私

          第二章 中学生時代 ◉ネガティブな自分

          ◉ばーちゃんの背中

          『人の良い所を見つけなさい』 これは、私のばーちゃんから言われ続けてきた言葉だ。ばーちゃんは、人をそうそう怒らなかった。いつも笑顔で、一番笑って、一番抱きしめてくれていた。 ばーちゃんからの言葉といえば、何ならこれだけしか言われなかったくらい、ばーちゃんはひたすらこの事だけを私に伝え続けてくれていた。 私がまだ幼い頃からよく祖母のお家へ遊びに行っていた。じーちゃんは怖かったし、その上私は本当に弱虫だった為、夜中になると何だか寂しくなって、よく布団で泣いていたものだ。

          ◉ばーちゃんの背中

          ◉じぃちゃんの教え〜お金〜

          わたしのじぃちゃんは、もともとは自動車屋さんだった。そこから1人で車の販売の会社を立ち上げ、その後にマンション経営と、駐車場経営をしていた。 じぃーちゃんはいつも 「早く自分で会社をもて!」 だの、 「あそこのマンションが何千万円で、あそこは、、、」 だの、 「お金は大事だ!沢山かせげ!」 だの、あたしが小学生のころからずーっとお金の話ばかりしていた。 その当時、何言ってるのか全くわからず、楽しくなさ過ぎて気にも止めてなかった。 今振り返ると、 じーちゃんが話していた

          ◉じぃちゃんの教え〜お金〜

          ◉極度の人見知り〜たった一つの勇気が変えたもの〜

          幼稚園の頃から小学生時代あたしまで、私は極度の人見知りだった。 幼稚園のころ、おままごとも恥ずかしくて出来ない。自分からは絶対友達を誘わない。夜中お泊まり幼稚園で、1人だけ泣き叫んで寝れなかった。何かの発表のとき、手をあげるのを想像しただけで心臓の音が自分で聴こえる。机に毎日昼休みは1人で座ってる。などなど、、、 とにかくあがり症で人見知りで、どうしようもなかった。 でも、中学生の時に友達が、お笑いコンビ組もう!と持ちかけてきた!笑 普通ではやらないはずだったが、何故

          ◉極度の人見知り〜たった一つの勇気が変えたもの〜

          ◉母が消えた

          小学校4年生の時、突然母が消えた。 小学4年生だった私は、いつものように朝ごはんを食べ、ワクワクさんの番組を見ていた。 時間が来て、2階にいる母に 行ってきますと言いに行った時だった。 母は寝室にいたので、扉を開けようとした時、中から声が聞こえた。私は開けちゃいけない気がして、扉にすっと耳を澄ませた。すると、 母「もう耐えれない!私出ていくことにした。」 そんな言葉が聞こえた瞬間、何故だか涙がこぼれ落ちてきた。 止めなきゃ! と思った私は扉を勢いよく開け、 私「お

          ◉母が消えた

          ◉世界旅行でのカルチャーショック

          これは私が常識というものが壊れたきっかけになった大きな出来事だった。 私のファミリーはわたしが記憶がない頃から海外旅行に行く家族だった。海外旅行といっても、毎年ハワイなんだけどね。 幼い小学生のころの私は 海外のイメージがいつしか"ハワイ"のイメージが硬く付いてきたのだ。 小学4年生の頃父から、 「今年の旅行は中国だ!ゆき一緒にいくか!」と言われたのだ。中国?と全くイメージがつかなかったのだが、海外のイメージはハワイだったから、私はすぐに、「行く!」と答えた。 そして

          ◉世界旅行でのカルチャーショック

          第一章 ◉小学生時代

          ◉いじめの対象となりかけた時に気付いたこと 私は福岡県出身、3人兄弟の真ん中だ。 学生時代は人見知りが激しすぎて、最初はほとんど人と話さなかった。 だんだんと人といることを覚えていった時、ある女の子が私の陰口を言い始めた。 それを人に広め始めたのだ。 ここで感じたことは。 "その人よりも楽しい自分でいなきゃ!" ということだけだった。 気持ちで負けてしまうと行けない。そして陰口を言う人に負けたくなかったから。 もしわたしが相手にして気にしていたら、どんどんエスカレー

          第一章 ◉小学生時代

          もくじ

          第一章 小学生時代 ・いじめの対象になりかけたときに気付いたこと。 ・世界旅行でのカルチャーショック ・母がきえた ・極度の人見知り ・じーちゃんの教え ・ばーちゃんの背中 第二章 中学生時代 ・ネガティブの自分との葛藤 ・母との再会 ・仲間との出会い ・イメージトレーニング 第三章 高校時代 ・学歴が学年No.2になりつづけた ・プライドで成長がとまっていた3年間 ・恋人ができるが、好きがつづかない自分 ・人生の出口を本気で考えた ・父からの言葉 第四章 美容師時代ス

          プロローグ

          「何の変哲も無い、平凡だった一人の人間の”キセキ”の物語。」 現在29歳、今年で30になります。 過去の私はというと、自信ない、かなりのネガティブ、親の離婚、極度の人見知り、物忘れが激しすぎる(笑)何するにも最後に合格、LGBTQ、変人と言われる、、、、 こんな私だったのですが、今ではこの全てを受け入れる事ができ、今では人生の使命も見つけ、結婚もできました。仕事はいくつかしております。 ちなみに私の使命は ”人の人生のきっかけになる生き方をする事” これがまとまる

          プロローグ