ノルウェイの森

ヴァイオリンでビートルズを弾いた。今日で2回目だった。1回目に弾いた時は音と音の繋がりがうまく掴めずぜんぜん曲にならなかったが、今日はなぜかすんなり弾けた。

それから村上春樹の『ノルウェイの森』を読み切った。これを通して読むのは4回目くらいだったが、やはりこの作品は色々な意味で私にとって特別であると再確認できた。先日、多崎つくるを読んで、ノルウェイの森を読み返したくなったという経緯があったのだが、両作品に通じているものを確認することもできた。そしてほかの作品を読んで再びこの作品に戻ってきたことで、ほかの作品よりもこの作品が私には特別なのだと感じた。

作品の終盤で、レイコさんが直子のためにビートルズの曲を次々に演奏したあとで、「この人たち(ビートルズ)は人生のかなしみ方や優しさといったものがわかっているわね」と呟く。私はそれに心から同意した。私が熱心にビートルズを聴くようになったのはつい最近と言ってもいいくらいのことだった。だから今まで読んだときは、ビートルズに関する記述にさして注目することがなかった。タイトルがビートルズの曲名(邦題)にも関わらずだ。しかし、ともあれ、いまは日常の一部と言ってよいくらいに聴いているし、丁度今日は奇しくもビートルズの曲を弾いていたのだ。ミシェル、ノルウェイの森、イエスタデイ。私の最も愛する曲たち。作中でレイコさんも弾いていた曲。直子が愛した曲。

不思議なことだな、と思った。私がビートルズに惹かれたのは、村上作品とは全く関係のないことだった。村上春樹の『ノルウェイの森』が好きだから、村上春樹がビートルズ好きだから、村上春樹の作品にビートルズがよく出てくるから、興味を持ったわけではない、ということだ。だが、あるいはもしかすると、関係があるのかもしれない。村上春樹の作品を通じて、ビートルズに通じる感性のようなものが私の中に流れ込んで、その取り込んだ感性が、私をしてビートルズの曲に共感せしめているのかもしれない。

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