『低温物理実験技法』§4.極低温

 1Kより低温は、前述のような液体ヘリウム(4He)を用いるだけでは達成が難しい[1,2,3,6]。非常に大きな真空ポンプが必要になり、実用的ではない。その理由は、4Heの飽和蒸気圧は1 Kより低温で10 Pa以下になること、4Heの蒸発熱が小さいので排気速度が大きくないといけないからである。温度が下がると潜熱が小さくなることと、蒸気圧が急速に小さくなることのために、排気による吸熱能力は1 K辺りで極めて小さくなる。4Heは0.7 K以下で冷凍能力が非常に低くなる。

 もっと大きい制約は、超流動フィルムフローと呼ばれる現象である。2.17 K以下では液体ヘリウムがフィルム状にデュワーの壁をはい昇り始める。フィルムからの蒸発の潜熱は試料を冷やすのに寄与しないだけでなく、フィルムは熱機械効果で移動し常により高い温度にあってより高い蒸気圧をもっているために、排気の努力はほとんどフィルムに食われることになる。残念なことに、蒸気圧および排気速度は低温で急激に減少するのに、フィルムの輸送速度は一定である。

 文献[3]によれば、大きな真空ポンプで4Heを排気した場合の最低到達温度は0.7 K程度のようである。真空引きの方法をソープションポンプに変更することにより、0.5 Kまで到達する装置が作られたようである。ソープションポンプを使うと、外部ポンプを必要としないコンパクトな構造が可能となる。真空配管が短くなり、配管の温度も低いため、排気速度を稼ぐことができる。吸着させた4Heを脱着し戻すことで、シングルショット型でなく低温を持続できる装置もある。

 1 K以下を狙うなら、3Heを使うのが有利である。4Heに比べた3Heの決定的な利点は、低温での飽和蒸気圧が3Heのほうが高いことである。0.5 Kでの圧力の比は約1000もあり、温度の低下とともに指数関数的に増加する。この事実により、3Heの方が大きな冷却パワーを示す。

 0.3 Kまでの温度であれば、3Heの蒸発を減圧下で利用することで実現できる。0.3 K以下の温度は3Heガスを液体4Heに連続的に希釈することで達成できる。大抵の極低温システムは液体4He(4.2 K)に浸すことで、外界からの熱抵抗を抑えている。

§4―1. 3He冷凍機
 3He冷凍機は通常0.3 Kから1.2 Kの温度範囲で使用されるが、100 K以上まで動作温度を上げられるものもある。3Heの蒸発により冷却を行う仕組みである。1つ目の種類は、蒸発した3Heを液体3Heとして戻して循環させることで連続的に動作させるものである。もう一つの種類はシングルショットモードで動作し、少量の3Heを真空引きすることで冷却するものである(3Heが蒸発してなくなるまで動作する)。効率の良いクライオスタットだと、20cm^3の3Heで50時間以上ももつ。小さい冷凍機だと0.5 Kで数mWの冷凍能力だが、数Wの冷凍能力をもつ大型の装置もある。同じ条件であれば、循環型よりシングルショット型の方が低い温度に到達できる。

 ソープションポンプを用いると、3Heクライオスタットを経済的でコンパクトにできる。また、3Heをポンプ中に収容することで、高価な3Heを誤って逃がしてしまうのを防ぐことができる。配管の排気抵抗を減少することができ、結果的に冷却パワーは吸着過程だけで制限される。

 吸着剤の状態が、吸着速度(排気速度)に影響を与える。知っておくべき重要なことは、吸着されたガスの総量が最大容量の60-70%以内であれば、吸着速度は吸着量にあまり強く依存しないことである。一方、吸着能力は温度に強く依存する。そのため、吸着剤の温度を変えることで、排気速度を制御できる。

§4―1―1. ソープションポンプを利用した3Heシステム
 ソープションポンプを利用した3Heシステムは通常シングルショットの冷凍機であり、限られた時間ではあるが高い性能を示す。また、超伝導マグネットと組み合わせることも可能である。トップロード(上部から試料ロッドを挿入するタイプ)のシステムはサンプルロッドを直接3Heに挿入できる。上限の温度は通常100 Kである。

 Heliox 2VL insert(型番はわからないが類似Helioxの)は、非専門家が試料を0.3 Kの温度に冷やすことが簡単にできるシステムである。液体ヘリウムデュワーや超伝導マグネットに合うように作られている。試料の配線は簡単であり、試料層は真空である。試料を変えるときはインサートごとクライオスタットを抜けばよく、インサートは小さいので、通常のトップロードのシステムと時間や手間は変わらない。高温は200 Kまでは動作し、クライオスタットの首まで引き抜けば300 Kまで達成できる。

 インサートは試料層の周囲に真空層(Inner Vaccum Chamber; IVC)を有し、外部の4He層から熱的に隔離されている。IVCの中は試料層を囲うかたちで3Heを吸着するソープションポンプ(上部)と、3Heを凝縮させる1Kポット(下部)を有する。

 3Heを凝縮させる時は、ソープションポンプを40 Kまで温度を上げて吸着された3Heを放出し、より下部にある1Kポットにより3Heを凝縮することで液体3Heが試料層底部に溜まる。1Kポットは周囲の液体ヘリウムデュワーからニードルバルブを通して常に満たされた状態にある。このとき液体3Heの温度は1.2 Kである。その後、ソープションポンプを4.2 Kに冷やし、試料層を減圧する。すると温度が減少し、0.3 Kに到達する。ソープションポンプの温度を10K-40Kの間で調整することで試料温度を制御できる。なお、蒸発する3Heガスはソープションポンプに吸着され、再利用可能である。 

 冷凍能力やベース温度に制限があるので、5 mWより大きい冷凍能力が必要な場合には循環型の3He冷凍機の方がよいかもしれない。

§4―1―2. 循環型の3He冷凍機
 循環型の3He冷凍機は高い冷凍能力と長い動作時間を実現できる。室温の排気系(ロータリーポンプとブースターポンプを含む)が必要である。なお、通常のロータリーポンプは、低圧側の気密が完全でなかったりするので、鋼板を溶接して作った特別なものを使うのが安心である。

 3Heガスはクライオスタットに入れられ、液体ヘリウムにより4.2 Kまで冷やされた後にIVCに入る。その後、1Kポットにより1.2 Kまで冷やされ液化される。液体3Heは熱交換機などを通って3Heポットに入る。3Heポットは試料と良い熱接触を有しており、3Heの蒸発に伴う潜熱を利用して試料を冷却する。3Heガスの流量をニードルバルブで制御することで冷凍能力を制御できる。

§4―2. 3He/4He希釈冷凍機
 希釈冷凍機は、10 mK以下の極低温を得るための一般的な手段である。この冷却方法が実現されたのは、3He-4He混合溶液が多くの特徴的な性質をもつためである[3,6]。4Heの超流動転移温度は2.2 Kであるが、3Heの濃度が増えると転移温度は減少する。高い温度では3Heと4Heはどのような割合にでも混ざり合うが、臨界温度(3Heの濃度に依存するが最大で0.87 K)の温度以下では、相分離領域が存在し、溶液は2つの相に分離する。

 一つの相は3Heの濃度が低い相(希薄相、D相)であり、超流動を示す。もう一つの相は、3He濃度が高い相(濃厚相、C相)であり、超流動を示さない。濃厚相の密度は希薄相の密度より小さいため、液体の上の方に浮かび、明瞭な相境界を形成する。D相はいわば3Heが超流動4Heの中を自由に動く「気体」、C相は3Heの相互作用が強い「液体」である[6]。

 低温では、3Heが4Heに溶け込む最大溶解度は、6.4%であり、絶対零度まで同じである。そのため、絶対零度において、下の相(D相)では3He濃度は6.4%であり、上の層(C相)ではほとんど純粋な3Heである。上の相のエントロピーは 25×温度 [J/mol K]と低く、下の相は 107×温度 [J/mol K] と高い。従って、3Heが上の相から下の相に移動するときには、2つの相のエントロピー差に基づく熱の吸収が起きることになる。「液体」状態の3Heの「蒸発」である。これが希釈冷凍機の原理である。ベース温度は、残留する熱リークや熱交換の効率で決まっている。

 連続的に動作するシステムにおいては、3HeはD相から取り除かれC相に戻すことで、動的な定常状態を保つ必要がある。冷凍機を動作させると、1Kポットが3He/4He混合体を(4Heの蒸発を利用して)1.2 Kに冷やして液化させる。このとき、混合器(ミクシングチャンバー)とスティルに溶液が溜まり始める。相分離を起こすには0.86 K以下にまで冷やす必要がある。それを行うのスティル(still、分留器)である。真空ポンプで引くことで0.6 K-0.7 Kに液体表面が保たれる。この温度では3Heの蒸気圧は4Heの1000倍であり、優先的に蒸発する。

 臨界点以下に冷やされた3He-4He混合溶液はミクシングチャンバーに入り、数分後に相分離が起きる。スティルの中の3Heの濃度は蒸発によりミクシングチャンバーより低いので、スティルに向かう3Heの流れが生じる。

 室温に置かれた排気系により3Heはスティルから取り除かれ、フィルターなどで不純物を取り除いた後にクライオスタットに戻される。液体ヘリウム浴の4.2 Kで予冷された後に、1Kポットで液化する。

 試料がついている部分はミクシングチャンバーの中にあり、D相と良い熱接触をとる必要がある。室温につながる全てのパーツは熱アンカーを様々な場所で十分にとり、熱負荷を下げることでベース温度を下げる。もし高温で実験を行うには、熱をミクシングチャンバーに与える。温度コントローラを使うことで安定性を確保できる。

 相分離の境界がミクシングチャンバーの中にあり、かつ液体の表面がスティルにあるように、3Heの濃度と体積は適切に選ぶ必要がある。3He/4He混合物における3He濃度は通常10-20%である。

§4―3. ソープションポンプを利用した希釈冷凍機
 外部の排気系をもたない希釈冷凍機も作ることができる。2つのソープションポンプを使うことで、スティルを減圧する。片方のソープションポンプを使っているときは、もう片方は再生する。

 特別な”collector”を1Kポットの下につけることで、1Kポットにより液化された液体を集める。Collectorの圧力は温度を一定に保つことで制御する。これにより、ポンプからcollectorへの圧力が一定でない場合でも、3Heガスのcollectorから希釈冷凍ユニットへの圧力を一定に保つ。

 このシステムのメリットは、振動が抑えられ、システムがコンパクトになることである。また、3He/4He混合体がクライオスタット内に留まるので、空気のリークもおきづらい。コンピュータで制御することで、自動化も容易である。

§4―4. 常磁性塩の断熱消磁による冷却
 4 mK以下の温度は簡単かつ安価には達成できない[3,6]。希釈冷凍機では5 mK以下の温度を達成できるが、大型になり高価である。

 常磁性体塩の磁化を変化させると可逆的な温度変化を伴う。外部磁場のエネルギースケールが温度のエネルギースケールより大きい極低温では、磁場の印加により磁化が揃うことでエントロピーがかなり減少する。この原理に基づき低温を得る方法が本項のテーマである。シングルショット冷却であるが、手軽であり、市販品も存在する[3,6]。

 典型的な物質はセリウムマグネシウム硝酸塩(CMN)である。セリウムイオンはJ=5/2であり、磁気転移点は1.6 mKである。セリウムイオン間の相互作用のエネルギーは4.2 mTであり、セリウムを非磁性イオンであるランタンで置き換えることで減少させることができる。LaドープのCMNは、1 mK以下の温度計として用いられる。

 熱接触をよくするために、CMNの(単結晶でなく)粉末が用いられる。最も簡単な方法は数MPaの圧力でプレスして固めることである。常磁性塩は希釈冷凍機で予冷を行う。

 常磁性塩を等温に保ったまま、ゼロ磁場から磁場を印加する。磁化による熱は予冷ステージに排熱する。熱交換ガスをポンピングし、熱スイッチを超伝導状態にすることで、低温部分を予冷ステージから熱的に切り離す。断熱状態で消磁することにより極低温が得られる。常磁性塩の熱容量と外部からの熱流入に依存して、温度は緩やかに上昇する。

§4―5. 核断熱による冷却 
 核断熱消磁法は、常磁性塩の断熱消磁法と同じ原理であるが、電子スピンの代わりに核スピンを用いるところに違いがある。核スピンの磁気秩序温度は10^-7 Kのオーダーであり、電子スピンよりはるかに小さい。

 核断熱消磁のシステムは、電子スピンよりも複雑な実験技術が必要である。より低い出発温度と高い出発磁場が要求される。なぜなら、磁場/温度の比を電子スピンの場合に比べて2000倍(核の磁子/電子のボーア磁子の比に相当)大きくしないといけないからである。

 核断熱消磁に用いられる物質は、金属である。その1つの理由は、金属はスピン-格子緩和時間が絶縁体より短いので、速く格子が冷え磁化による熱が速やかに取り除かれるからである。ただし、(熱伝導が悪くなるため)超伝導状態になってはいけない。また、コリンハ定数は小さい方が冷却パワーが大きくなる[6]。

 最も一般的な材料は銅(Cu)である[3,6]。銅は機械加工もしやすく、入手が簡単である。純金属以外では、ヴァンヴレック常磁性磁化率が大きいイオンを含む化合物が用いられる。この場合、超微細相互作用により核の磁気モーメントが増大する。それにより、大きな冷却パワーを得ることができ、また出発磁場が小さくても(出発温度が高くても)よくなる。プラセオジムイオンPr^3+ を含む化合物が最も有望であり、PrNi5において最も良い結果が得られている[3]。

 核常磁性の断熱消磁により、4 mK以下の温度を実現できる。これはシングルショットの過程であるが、長い保持時間を達成できる。しかし、試料から消磁ステージに吸収される熱の総量は限界がある。消磁ステージは、8 Tから10 Tの磁場下で、希釈冷凍機を使って10 mKまで予冷される。その後、超伝導の熱スイッチを使ってミクシングチャンバーから切り離され、磁場をゆっくりと減じることで温度が減少する。PrNi5を使うと1 mK以下の温度まで冷却できるが、銅は消磁することで10 μKまで冷却できる。
 
§4.6 ポメランチュク冷却
 3Heの断熱結晶化におり冷却させられる可能性は、ポメランチュクによって最初に予言されたのでポメランチュク冷却と呼ばれる[6]。1.1mKでは、交換相互作用の結果スピンがオーダーして3He固体のエントロピーは液体状態よりも低くなる。このときの吸熱を低温の生成のために利用できる。ポメランチュク冷却はシングルショットであるが、低温を数日間維持できる。また、磁場をかけたまま冷却できる点が断熱消磁法と比べた利点である。

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