庭を仕舞う
亡くなった義父母の家に住んでいて、庭にはさまざまな木があった。
なかでも圧巻なのは白木蓮の木で、季節になると、立ち止まって写真を撮る人もいた。シュロの木もなかなかの高さなのだけれど「台風のときは怖いね」と、近所の人の評判はあまりよろしくなかった。それでもシュロの木の髭のような木の皮をもらいにくる人もいた。金魚が卵を産みつけるのにちょうどよいらしい。
子供が欲しがって買ったけれど一度も実がならなかったみかんの木
今の季節ならば、たわわの濃いピンクの山茶花。
お彼岸の頃には黄色いリコリス。
冬の終わりには白い椿。
そうそう、日頃は忘れているのに、いきなり香り出してびっくりするのが金木犀。
グールデンウィークが明ければ、おばけのように伸びた白いカラーが並んだ。
結局残したのは、端っこに並んだあじさいと、家の一番近くの梅の木だけだった。
それ以外は、庭石とともにすべて撤去して、駐車場にした。
家と駐車場のあいだにはフェンス、玄関フェンスもつけた。
家の有様が変わった。
花木を愛して、丹精こめて育てていた義父母に申し訳ないと思うだろうか?
そう思っていたが、意外にも庭がなくなってもそういう感情は芽生えず、むしろ、びっくりするほどすっきりしてしまった。
* * *
「いつかは庭仕舞いをしたい」と数年前から思っていたけれど、思いながらもなかなか機会がなかった。
庭があっても特に不自由はない。
もちろん剪定や草むしりの手間もあるけれど、その分、花木を眺める楽しみはある。
オットは緑の指を持っていたが、わたしは残念ながら持ち合わせず、いつも、「ごきげんは伺うけれど、心は半分しか通じない」ような自然のものと片言のような対話をするのみだった。
隣の家が解体されたのがきっかけだった。
いつも散歩していたおじちゃんも、しょっちゅう煮物をくれていたおばちゃんも施設に入ってしまい、子供がおらず親戚も高齢だったせいで、後見人さんが立ってくれたらしい。
そして、夫婦の意向により、家は壊され、土地は売られた。
家の解体作業中は、よく見に行った。
「着物や色鉛筆の場所」まで知り尽くした隣の家の、すべてがゴミとなって廃棄されてゆくのは少しさみしかった。
隣の土地が売られたため、境界線の立会いもした。
家の塀との境界線、公道との境界線の立会い。
となりにすぐに家が建つならば、もう庭仕舞いをする機会は訪れまい。
この時しかチャンスはないだろう。
わたしは馴染みの工務店の山田くんにも測量に立ち会ってもらった。
「家が建つ前に境界にある高いブロック塀を低くして、庭じまいをしたいと思っている」
と、わたしは測量のさいに買主さんに言った。
「昔のブロック塀は、危険なので、取り外してもらえるとありがたい。こちらは整地して、再来月から駐車場として貸すことが決まっている。来月は契約がない状態なので、工事車両はこちらに停めてください」
そう買主さんは言ってくれた。
ラッキー!
それから工務店の山田くんは期限つきの仕事を少し急ぎ目にこなしてくれて、我が家の庭はツルッツルの駐車場になった。
ツルッツルのピッカピカだ。
嬉しくてなんども水を流して掃除した。
猫の額ほどになった花壇には、紫陽花の横にミニシクラメンを地植えした。
不思議なほどさみしくなかった。
やっと手入れできる規模の庭になって、わたしたち夫婦は、少しずつポストや宅配ボックスや人感センサーを整備していった。
愛はいつも。
手に届く範囲のものにしか届いてなかったんだ。
うまくは言えない。手入れの追いつかないほどの庭木の中を、冒険のように歩いても箒で掃いても。
わたしの中には「季節に追いまくられる」ような感覚もあったし。
花は愛でても、枯れ葉はいつも庭の隅にたまっていたし。
わたしには大きすぎるものを愛しようとしても、愛は十分に届いてなかったから。
きちんと始末できてよかったという感覚の方が大きかった。
持ちきれないほどのものを持っていても、それは手の平の隙間から容赦なく落ちてゆくのだろう。
掌から知らぬ間に溢れ去るものをじっと見つめていた日々の。
愛と思っていたはずのものが、砂のように自分の中から溢れ去る日々を。
なくしてしまうことの方が、むしろ気持ちよすぎて。
それはやはり「欲張って持ちすぎたものを手放すことの方が、愛に近いよね」という、ちょっと自分でも意外としか思えない感覚だった。
さよなら、義父母が愛した美しい庭。
3台分の駐車場と、少しの植物が、今、わたしの手の中で愛せる分のスペースになった。
もっと遺恨の念を記すつもりでいたけれど、こうして書いてみると、遺恨も後悔もなかった。
*後日談:2台分は月極で貸す予定だったけれど、ちょっとしばらくはこのまま愛でる予定になりました。