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★★★自己紹介★★★

プロフィールを書いていなかったのでこの機に書きます。

鬼滅の刃の考察をしている、リッペちゃんと申します。

幼少期

奈良市で誕生しました。

私には3つ上に兄がいて、4人家族です。両親は離婚はしていないものの、母は父の顔を見るたびに嫌そうで喧嘩ばかりでした。

今考えると父はアスペルガーなような気がします。父はよく立場の弱い私に当たり散らしていました。

その父が原因で、冷めきった家庭環境で育ちました。

私は、幼少期は活発な女の子というより、ぼ〜っとしているトロイ子でした。

比較的、よく寝てよく食べてお利口さんで、育てやすい子供だったと思います。

ただ、冷めた家庭で育ったことで、交通事故などの可哀想な報道ニュースを見るたびに、

「私が代わりに死んであげたかった。神様はなんで私を選ばなかったんだろう。可哀想に…」

と、わざわざ自分から死ぬほどではないけれど、生きたいとも思わない、なんなら「仕方なく生きている」という感覚を幼少期から思っていました。

なので将来の夢など聞かれるのが嫌で、いわゆる自己肯定感がめちゃくちゃ低い子供でした。

小学校から大学に入るまで

お勉強は嫌いではなかったです。

ただ、頭が悪いです。

頭の記憶力のデータ量が人より容量が小さいため、歌の合唱コンクールなどで歌詞が覚えられず口パクをしていたような子でした。

兄が中学生になった頃から、母は仕事に夢中になり帰りが遅く、父の機嫌がますます悪くなりました。

その頃から兄はずっと夕飯は自分の部屋で閉じこもって食べるようになりました。

兄のせいで我が家の壁には、ボコボコに殴った跡がクッキリありました。

「俺、遺書を書いたから、ここに置いてるから覚えておいて」と言われたので、

「うん。わかった。」と冷めた返事をした記憶あります。


結局、兄は大器晩成型でした。

現在は奥さんと息子がいて、
マイホームで奥さん専業主婦という絵に描いたような幸せになっています。

高校時代

京都の私立高校生になり、家に帰りたくない理由で、マクドナルドでアルバイトをしました。

母から「我が家はもうみんな自分の好きなことして生きていこう!!」と言われました。

母は仕事が優先、主婦には向いていないタイプです。
きっと母なりに「子育て終わり!解散!」の宣言だったと思います。

ここまでの私の印象は「冷めきった子」だと思いますが、なぜか私は幼少期からコミュ力が高く、すぐに友達ができるタイプで友人は多かったです。

学校は、国語と宗教の授業が好きだったのでそのために学校に通っていたようなものでした。

お寺の住職が宗教(仏教)の授業をしてくださるのですが、圧倒的なオーラとまるで説法みたいな授業で、悲鳴嶼さんみたいな方でした。

その宗教のテストの中で「自分の想いを書きなさい」という問いに対して、馬鹿正直に「お家に帰りたくないです。家が嫌いで家出をしたいのですが、行動に移せません」と書きました。

翌日、校長室に呼び出されました。

いろいろめんどくさい事になるの嫌なので、
「衝動的に書いてしまいました。すみません。」と謝りました。

住職(先生)とのお話しの内容は忘れてしまいましたが、優しい温かい笑顔と何故か握手をした記憶が残っています。

その手は、人望のある分厚くて温かい手をしていました。

大学時代

高校のクラスやお友達に、お寺の子供が何人かいたのもあって、縁があって大学も仏教系の日本文学科に指定校推薦で入学しました。

そこで、高校からの友人に「競技スキー部のマネージャーになって欲しい」と頼まれて、ルールは何一つ知りませんでしたが、これも何かの縁だと思って引き受けました。

雪山合宿では、みんなで食べる食事が何より嬉しくて温かくて…
仲間や部室という居場所があったことが自分の中ですごく良かったと思っています。

大学の勉強は「漱石はなぜこういう文章を書いたのか」をレポートに書く講義や近代・中世などの文学作品や俳句や詩を勉強しました。

文学作品の解釈には正解などないし、作者は亡くなってますし、そんなの考えても何にも生産性がないので、いくら討論しても仕方ないことです。

けれど、教授たちはずっと考えているんです。

そこで今の鬼滅の考察に繋がるのですが、文章や言葉には、一つ一つに想いがあり、理由があります。

たまたま書いたりする事はないです!

もし、何気なく考えなしで書いたものであったとしても、それには「何も考えずに書いた理由」という理由が必ずあります。

例えば、「113年前に上弦の鬼たちが無限城に召集された」というセリフがあります。

わざわざ「113年」と書いた理由は何だろうというのを考えるのです!100年でもなく、112でもなく、113…。

「えー!?そんなの作者しか知らないよ。なんとなくじゃない?」と思われがちですが、

大学の教授たちは同作者の他の作品の中の数字をピックアップして、この作者がよく使っている数字なのか、
もしくは歴史的に意味のある数字なのかを調べます。

どうにかして深掘りし、繋がる答えを導きだすのです。
そして一段と作品の真相を深め、世に出してファンを喜ばせるのです。

それが正解かどうかは作者自身しか知りません。解釈が間違えているかもしれません。

ただ、たくさんの人にその作品の素晴らしさを分かち合いたい、次の世代にもずっと伝えていきたいという気持ちが強いんだと思います。

私もそういう気持ちで鬼滅の刃の考察をしています。

卒業後

高校生の頃、握手した住職(先生)の手の感触が忘れられず、ずっと私の心の中にありました。

そこから「手当て」という言葉や想いが好きで、「自分の手のひらで人を癒したい!」という気持ちで、エステ業界に入社しました。

ほとんど機械での施術だったのと、店長の無理な勧誘により行政執行を喰らい、営業停止になりました。

3ヶ月で退職しました。

そのあと4〜5年ほど医療事務のお仕事をしました。

結婚と同時に「子どもができるまでは自分の好きな仕事をしたい!」と思い、今度はリラクゼーション系のマッサージ店で働きます。
これが私にとって天職でした。

仕事に夢中になりすぎて家庭を疎かにしてしまい、毎日終電で帰りが遅いので、主人に仕事を辞めて欲しいと言われました。

そして一人息子が生まれて、飲食店で働きながら子育てをし、小学校に上がると同時に転職し、現在は人材派遣会社で働いてます。

鬼滅の刃を考察しようと思った理由

もともと、幼い頃から『日本昔ばなし』の絵本やテレビをよく見ていて、鬼が出てくる物語が好きでした。

主人公の炭治郎が「鬼は人間だった」という目線で描かれているのがすごく面白いと感じました。

『鬼滅の刃』は一人一人のキャラ設定が確立されているので、とても分かりやすいです。

えぐいシーンもありますがコミカルなシーンもあって、そのバランスがとても面白いです。

不滅を夢見ている無惨様の想いがぶつかりあって、鬼たちも人間味があって、特に黒死牟と縁壱さんの話はすごく好きです。

結局のところ、黒死牟(巌勝)は母上の病気に気付かず、実は弟の縁壱さんが頼りにされていたということを知り、心底悔しかったんですよね。きっと嫉妬からくる悔しさです。


黒死牟の最後「縁壱になりたかった」の名言は、決して強さだけの意味ではなかったのかなと思います。

煉獄さんの母上もそうですが、男の子のママをしていて感じることは、男の子はお母さんのことめっちゃ好きっ!ですよね(笑)

うちの子も将来マザコンになるんじゃないかと心配するぐらいママっ子です。

『鬼滅の刃』のことを考えている時間がとても楽しくて、すごく良い気分転換になっています。

きっと本来の考察って、大学の教授たちのように同作者の他の作品からも比較して読み解くものであります。

私のは正直、ナンセンスでただの妄想や感想にすぎないと感じていますが、難しい事を考えずに、楽しい!面白い!と思って頂けたらとても嬉しいです。

これからも一緒に鬼滅の刃を盛り上げていきましょう!!

あとがき

「113年前に上弦の鬼たちが無限城に召集された」の113年という数字について、私はこう考えました。
良かったら読んで下さい😊

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