衡平な選択④

【回顧】
 たったったっ。少女が公園を走っている。ブランコも滑り台もない質素な公園である。 少年達がその後を追いかける。少女は凧をあげていた。ふわりふわり。風に乗って気持ち よさそうに凧が泳ぐ。少女と少年達の光景はまるで鬼を追いかけている鬼ごっこのようだ。 少女のスカートもひらりひらりと風になびく。そんな光景を遠くから見ている別の少女が いた。五才の遥である。
 姉の光はいつも集団の中心であったが、遥はそこに交じることなく自分の時間を過ごし ていた。自分の時間は、自分だけのものであるという喜びはなく、遥は孤独と戦っていた。 姉の光は活動的で社交性があり、運動も得意で頭も良かった。なにより遥が嫉妬、まだそ う呼ぶことを知らない年齢であったが、感じたのは光の類まれなる容姿であった。男の子 たちが夢中になるのが良くわかる。光と遥の年齢差は五才。光は遥の面倒を見る立場であ ったが、こうして公園に連れてくるものの積極的に仲間に入れることはしなかった。初潮 を迎えうる年齢であろう光には男の子と遊ぶことは自尊心を満たし、また刺激的なもので あった。五才下の妹のことは可愛がっていたが、それは家の中だけのことであった。
 遥はこうして、姉の影を追いながら幼少期を過ごす。それはどこか抑圧された屈折した 精神を育んだ。遥は自分の才覚に気づくことなく、成長という名の無為な時間を過ごし、 身体だけが丸みを帯びた柔らかな存在になっていく。自分は姉の影でただ存在しているだ けの存在という自己肯定感の低さが養成された。遥が自分を出せるのは家で姉と人形ごっ こなどをしている時であり、外では大人しくしていなければならないものだと無意識に刷 り込まれていた。
 遥がふと気づくと中くらいの玉が一つ増えていた。Kが喋る。
「感情の起伏が能力を発動させるキーだ。ここでしばらく訓練するといい。彼が手伝って くれるだろう」
 てんがペコリと挨拶する。今日はフードを外している。ピンク色のモヒカンヘア。柔ら かい物腰の彼だが、過激な髪型だ。透明になるから気にしないのだろうか。そう言うとK はその場を立ち去った。
「オイラの能力でHさんの心を子供時代に戻した。過去の回顧はどうだったかい。楽しめ たかい」
 遥の目からは一筋の涙が流れた。なぜ泣いているかは分からない。
「私に干渉しないでって言ったでしょ」
「君の心には閉ざされたドアがいくつもある。それを一つずつ開けていく。そのうえで自 分自身を見つめることが能力の開花につながる」
 遥はまだぼーとした頭で考える。自分自身を振り返る。遥は今までそんなことをしてこ なかったかもしれない。
 閉ざされた扉。それは遥のこれまでの人生の足跡、知らないふりをしてきた過去との対面を意味する。姉に対する劣等感。第一の扉はそれだった。てんの能力で第二、第三の扉 が開く。
 第二の扉は友達との確執であった。この言葉は不正確かも知れない。何故なら、遥には 友達と呼べる存在はいなかったし、確執と呼べる意見の主張がなかったのだから、そう彼 女は沈黙という名の主張に固執したのである。小学校も高学年となると、異性を意識し始 める。化粧や服装、恋人の有無、性に関するあれこれ、女子は秘密という名のグルーピン グを行ない、排他性と匿名性の名のもとに攻撃を始める。それはいつ自分が標的になって もおかしくないデス・ゲームだった。大抵の女子はここで女性社会を生き抜いていくため の処世術を学ぶ。しかし、遥は誰に対する悪口も同調したくなかった上、場を調停する能 力も無かった。その結果、遥の味方もまた誰ひとりとしていなくなった。それは同学区内 の中学校でも続き、高校に至っては遥は友人を作ることを諦めていた。
 第三の扉は両親の離婚だった。遥の父親は物書きだった。若い時に新人賞を受賞し、大 手出版社から本を出していた。その書籍のファンだった母は父にファンレターを送り続け、 父と瞬く間にゴールインした。しかし、そこからが問題だった。父の本は一向に売れず、 遂には筆を取ることができず、アルコールに溺れる日々となってしまった。母の父に対す る愛情は変わらなかった。しかし、光と遥という思春期の娘達を育てるには環境が不適切 だった。母は父と離婚するものの、今も援助は続けている。再び筆を取れるようになるこ とを信じて。
 遥がこれまで対面してきた暗い過去。それらが遥の心から解放されるたびに中くらいの玉 が現れる。そして黒い靄のようなものが遥の口から湧いて出てきた。遥の心の最深部。最 も重い扉の前に遥とてんが佇む。扉の前に一つの羽が落ちている。
「この扉は…… ダメ、開けられない」
 遥が悲痛の声を絞り出す。
「Hさん、君の足に嵌められている重い枷をほどくにはこの扉を開ける必要がある。何が あったかオイラに聞かせてくれる?」
 ぱさぱさぱさ。
 漆黒の闇に羽ばたく音が響き渡る。その猛禽類は闇夜に溶け込み、その光る目で遠くを 見据える。
 ぱさぱさぱさ。
 遥かな高みに向けて飛び立って行く。高く、高く。 遥は目が覚めた。目から涙が零れ落ちる。七年前のある喪失を思い出したからだ。その 白色の死体は血に染まり、住宅のゴミ収集場に生ごみと共に放置されていた。気づいたの は昼過ぎのことだ。多くの目に触れているはずなのにその死体は放置されていた。蟻など の虫がたかっている。その目は灰色に濁り、虚空を見つめている。
 幸喜と名付けられたその白い梟は遥の十才の誕生日の両親からの贈り物であった。まだ離婚する前のことである。福を呼ぶ鳥として可哀そうな妹に両親がプレゼントしたものである。
 両親としても姉と妹の間に幸福の差があることを認識していた。分け隔てなく育てたつもりであったが、持ち前の性質はどうにもならない。なんでもできる姉との比較にコンプレックスを幼心にこじらせた遥は既に闇を抱えているように見えた。その闇を少しでも払拭したいと思い、贈られたその鳥は皮肉にも一年と経たずに遥の前から姿を消すこととな
った。
 その一年間、遥は毎日幸喜に話しかけた。他に話しかける相手がいなかったのである。言わずもがな、梟は返事をすることがない。しかし、彼女のイマジナリーフレンドとして遥と幸喜のコミュニケーションは「おはよう」から「おやすみ」まで続いた。決して外に出すことはなかった。これはもしかしたら解離性同一性障害の一端だったのかもしれない。
 同時に遥は幸喜の絵を描き続けた。それは最初こそ稚拙なものだったが、徐々に巧く写実的なものになってきた。遥と幸喜が様々なところへおでかけする絵。絵の中では、遥も幸喜も自由だった。
 しかし、ある日ケージを開けたとき、たまたま窓が開いていた。外のお散歩の経験のない幸喜はそのまま帰ってくることはなかった。発見されるまでの僅かの間、彼は少しでも自然を満喫することができたのだろうか。それとも都会の喧騒に苛まれたのだろうか。
 福を象徴する鳥、梟。彼の喪失は遥の不幸を運命づける象徴だったのかもしれない。友達との確執、両親の離婚はそれからほどなくしてのことであり、母親に引き取られたのち、光と遥の生活はますます異なるものとなる。母親の期待を一身に受けて、賛辞の言葉をもらう機会の多い光に対して、とりたてて目立たない遥はその内なる思いを燻ぶらせていた。光と影。そのコントラストは周囲の者も当然気づいており、遥は腫れもののように扱われ
ていた。
 距離感。それは人間関係を円滑にする上で大切なものであるが、時として残酷だ。遥は光の影であるかのように、どこかの誰かの影のようにひっそりと、しかし着実に成長していく。そして迎えた高二の冬にこの一連の事件が起きた。
 黒い靄が球状になり、四つ目の玉として現れる。どの玉よりも大きく、黒光りしたそれ
は遥の顔をほのかに映し出す。自分の顔が歪んで見えた。
「これでHさんの心の扉はすべて開かれた。オイラにできるのはここまでだ。あとはくるみちゃんに頼むといい」
「はるか…… 」
「ん?」
「私の名前は遥。覚えておいて…… 」
「遥ちゃん、よろしくな。ちょっと待ってくるみちゃんを今呼ぶから」
 そういうとてんはどこかに電話を掛け始めた。ほどなくしてくるみちゃんがやってきた。今日は紫の無地の着物である。コスプレイヤーさんなのだろうか。Kも一緒に来た。数㎝ 程度の厚さの四角い箱とスーパーの袋を持っている。袋からは黒い液体の入ったペットボ トルが透けて見える。
「さぁ、一杯やろうか」
 Kはそう言うと、コンクリートの地べたにピザとコーラを広げ始めた。紙皿と紙コップ はない。箸もお手拭きもない。
「私たちは家族だ。この世界に能力を持った人間は約〇.〇一%いるが、能力を自覚して 活用しているのは一握りだ。マイノリティの私たちはつながり助け合う必要がある。そう 思わないか遥ちゃん」
「どうして私の名前を?」
「てんによって心の扉が開かれた今、私には心の中が見えるのだよ、コウキちゃんのこと もね」
「幸喜…… 」
 幸喜を失ったとき遥はその半身を失ったような気がした。遥の自己肯定感の低さが成長 とともに改善されなかった原因がここにもあるのかもしれない。
「さあ、みんな食べよう」
 宴が始まる。

 鹿島金属に辿り着いた。写真を見せると、職員はすぐ倉庫の裏に連れて行ってくれた。 そこには砂場の山のように石が積み上げられていた。
「どうしようか考えておったんですわ。返送するにも埋立地に送るのも金がかかりますか らな。もう其の辺に埋めたくなりましたわ。もちろん法律違反なんで、あれ有価物やった ら違反にならないのか。これってそもそも廃棄物なのか分からんのですわ」
「一つ貰ってもいいですか?」
「一つと言わず、全部持って行ってくださいよ。記事の役に立ちますよ」
 霊司は丁重にお断りするものの予備も考えて5つほど貰うと、その場を後にした。
 物質の正体を明らかにするためにはどうすれば良いだろうか?専門機関に依頼すれば結 果は出してくれるだろう。しかし、大物だった場合、手柄を取られる危険性がある。まず は、有機物か無機物かを調べるところからか。有機物だった場合、炭素が含まれていると いうことだ。無機物だった場合は、イオン化傾向を調べるために電池でも作ってみるか。 何はともあれ、燃やしてみてからだ。有機物であれば燃えて二酸化炭素を生成するはずだ。 二酸化炭素であることを確かめるために石灰水も用意した。マッチで火をつける。さぁ、 どうだ。
 物体は変化しなかった。石灰水にも変化がない。では、無機物か。霊司は様々な電池を 作って実験してみた。しかし、電気は流れなかった。燃えることも電気が流れることもない。安定している。「とってもかたい」田中の言葉を思い出した。
「ダイアモンド…… 」
 霊司はそれしか思い浮かばなかった。しかし、ダイアモンドのように輝いてはいない。 ダイアモンドの亜種か。霊司はスマホを取り出すとどこかへ電話をかけた。
「もしもし松井か?助教授になったそうじゃないか。おめでとう。そこでなんだが、いい 話があるんだ」


まだま若輩者ではございますが。皆さんの期待に応えられるように頑張ります(*'ω'*)