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『だから古典は面白い』全文公開:第9章の1

『だから古典は面白い 』(幻冬舎新書)が3月26日に刊行されました。
こんな時こそ、古典の世界に救いと安らぎを求めましょう。
これは、第9章の1の全文公開です。

第9章 だから古典はためになる

1 よみがえった60年代ポピュラー・ミュージック

巨大リンク集で、YouTubeが見やすくなった
私は、最近、「超」メモ帳というものを作りました。これは、Google ドキュメントにさまざまなメモを書いて、必要になったときに即座に引き出せる仕組みです。仕事の効率化に大変役立っています(野口悠紀雄『「超」AI整理法』KADOKAWA、2019年 を参照)。
ところで、「超」メモ帳は、仕事に役立つだけでなく、趣味にも使えるのです。
例えば、YouTube の動画にリンクを貼っておくことができます。通常のブックマークだと、数が増えてくると目的の動画を見つけ出すのが難しくなって、機能しなくなってしまいます。しかし、「超」メモ帳であれば、巨大なリンク集を作っても、目的の動画を簡単に開くことができます。
このように便利なリンク集を作ってしまったために、YouTube を見る時間が増えてしまいました。リンクの対象は、まず第1にバレエ、第2にクラシック音楽、そして第3に、1950年代から60年代のポピュラー・ミュージックです。
細切れのものが多いポピュラー・ミュージックを簡単に開くためには、「超」メモ帳の
リンク集は最適の仕組みです。

積極的に聞いていたわけではないのだが……
半世紀以上前のポピュラー・ミュージックを、その当時どのように聞いていたのか、思い出せません。多分、ラジオから流れていた音楽を、聞くともなしに聞いていたのでしょう。
少なくとも、自分から積極的に聞いていたわけではありません。ビートルズにしてもビーチ・ボーイズにしても、世の中は熱狂していましたが、私は、ほとんど関心がありませんでした。
しかし、いま聞くと、何とも言えないノスタルジアに包まれます。
カーペンターズが、Yesterday Once More で歌っている通りです(この歌の主人公のように熱心に聞いていたわけではないにもかかわらず)。
しかも、YouTube では動画を見ることができます。これらは、当時のテレビの映像です。
私が50年代、60年代にこれらの曲を聞いていたときには、テレビの画面は見ていませんでした。いまになって初めて、「歌っていたのは、こういう人たちだったのか」と、感慨深く思います。

失われて、もはや取り戻せない時代
1950年代から60年代のポピュラー・ミュージックをいま聞いて感じるのは、ノスタルジアだけではありません。
「これらの歌の時代は、もはや失われて、決して戻ってこない」という強い喪失感に襲われます。
例えば、Peter, Paul & Mary の Puff, the Magic Dragon(マジック・ドラゴン)。「この歌は、昔のものだ」「古くなってしまって、どうしようもない」という気持ちを強く感じます(それにしても、何と切なく、何と素晴らしい歌でしょう!)。
Peter, Paul & Mary は、この歌を60 年代以後も歌い続けました。そして、彼らの歌唱力は衰えなかったのです。
それにもかかわらず、60年代の栄光は、そして彼らの時代は、もはや戻らない。
「懐かしい」という気持ちと、「過去の世界は取り戻せない」という感情が混ざり合って、何とも言えない気持ちになります。
同じことが、Peggy March の I Will Follow Him についても言えます。
彼女は、1963年に15歳でデビューして以来、ほぼこの曲だけを歌い続けてきました。
そして、彼女の歌唱力も衰えなかったのです。
衰えなかったために、いくつものアルバムが作られ、そのジャケットには彼女の15歳のときからの写真があります。それを見ていると、「人間が歳をとる」とはどんなことかを見せつけられて、涙が出ます。
The Ronettes のBe My Baby についても、同じです。
その当時には見られなかった動画をいま見て、エステル・ベネット(リードシンガーであるヴェロニカの姉)の魅力を発見しました。
ヴェロニカが全身全霊で歌っているのに対して、エステルは覚めていて、「妹の売り出しだから、しようがないので、手伝う」といった雰囲気です。しかし、彼女のパフォーマンスがないと、The Ronettes は成立しません。
そして、彼女たちの髪形も、服装も、しぐさも、何と古臭いこと! まさに60年代そのものです。60年代だから懐かしく、そして60年代だから今様ではないのです。

彼らは特定の時代から脱却できないが、クラシックスは違う
彼らは60年代に括くくりつけられています。そして、そこから脱却することができません。
つまり、時代を超越することができないのです。
彼らの歌唱力はその後も衰えなかったにもかかわらず、時代の変化に対応することはできなかったのです。
ですから、彼らの歌は、60年代という古きよき時代を背景にしないと成り立ちません。
われわれの世代が彼らの歌を聞くとき、60年代の世界に立ち戻り、60年代の自分になり、その世界に浸っているのです。
だから、ノスタルジアの温かい空気に包まれると同時に、一方では「その当時を取り戻せない」という気持ちを抑えることができないのです。
以上で述べた60年代ポピュラー・ミュージックに対する思い入れは、われわれの世代に特有の感情です。
別の世代は、Peter, Paul & Mary にもPeggy March にも、そしてThe Ronettes にも、
何の感興をも抱かないことでしょう。
しかし、クラシックスは違います。
モーツァルトやベートーヴェンは、古くならないのです。
これらは、200年も前に作られたものであり、その当時の人々はわれわれとはまったく別の世界に生きていたにもかかわらず。
クラシックスは、特定の世代だけに属しているわけではありません。あらゆる世代の共通の財産なのです。
どうしてなのでしょうか?



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