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『だから古典は面白い』:はじめに:なぜ古典なのか?

『だから古典は面白い 』(幻冬舎新書)が3月26日に刊行されました。
こんな時こそ、古典の世界に救いと安らぎを求めましょう。
これは、はじめに の全文公開です。

本に囲まれているときが一番幸せ
私は大学で教える仕事を長年続けました。大学教授に特権というものはありませんが、 大学図書館の書庫に入れることは、間違いなく例外的な特権だったと思います。 そこは、普通は誰もおらず、静まり返っていて、見渡すかぎり棚に並んだ本だけが見える空間です。
私にとって書庫は、最も心が落ち着く、世界で最高の場所です。ここで本に囲まれてい ると、とても安心した気持ちになります。
私がとくに好きだったのは、スタンフオード大学のグリーン・ライブラリーの書庫です。 アメリカの大学図書館はいくつも利用しましたが、そこは、大学院生としてリーディン グ・アサインメント(来週の講義までに読まなければならない文献)を読む場所でした。 短い時間のうちに大量の文献を読まなければならなかったので、「大変だった」という思い出しかありません。

2004年にスタンフォード大学にいたときには、そのような義務がなく、のんびりした気持ちで書庫に入ることができました。このために良い思い出が残っているのでしょう。
グリーン・ライブラリーの書庫は地下にあり、大きな机が置いてあって、本を読めるようになっています。外の世界からまったく隔絶された僧院にいる修道僧のような気分になれます。
図書室があるホテルもあります。上高地の帝国ホテルの図書室には、部屋の真ん中に大きな机があります。箱根ハイランドホテルでは、廊下の片隅、エレベータのそばに、あまり人目につかない小さな部屋があります。伊豆の川奈ホテルの2階にも図書室があります。 蔵書が沢山あるわけではないのですが、窓際に机が並べてあります。ここで外の景色を見ながら仕事ができたら、何と素晴らしいことかと思います。沖縄のザ・ブセナテラスの図 書室は、かなり大きなスペースです。
こうした空間があることが、ホテルの雰囲気をまったく変えています。そこで本を読まなくても、その空間があると思うだけで、落ち着いた気持ちになれます。

空想図書館を作る
あるとき、「空想図書館を作れないか?」と 考えました。
大学図書館ほど立派ではないが、ホテルの図 書室のように、気が向いたときにふらっと訪れ て、本に囲まれて安心した気持ちになれるとい う、想像上の空間です。
そこには、私がこれまで読んで、その素晴ら しさを皆さんと共有したいと思う本が置いてあります。どれも、私が愛してやまない本です。
そんな場所を作れたら、どんなに素晴らしい でしょう。
そこで、私の書棚に眠っている本に召集令を かけて呼び覚まし、昔のように、熱弁をふるってもらうことにしました。
気が滅入るとき、不安に駆られるとき、あるい は傷ついたときに、ここに逃げ込んで好きな本と 対話すれば、安心できるでしょう。
そして、本の世界に入ることが至上の喜びであることを実感できるでしょう。
小説を読んでいて感情移入することがありますが、小説以外でも、優れた本であれば、すべてを忘れて、その世界に入ってしまうでしょう。
これは、現実逃避でしょうか? そうかもしれません。しかし、簡単にできるし、 習慣性もありません。出ようと思えばすぐ出られます。逆に、時間があれば、いくらでも深いところまで行くことができます。
その空間が、私がこの地上からいなくなっても 残ることを祈っています。そう想像するだけで楽 しい気分になります。

新刊書ではなく、いつまでも輝きを失わない本
ところで、書籍の紹介は、さまざまな書評欄で行なわれています。それらは有用ですが、問題は、取り上げられる書籍のほとんどが新刊書だということです。
本書で取り上げているのは、新刊書でなく、いつまでも価値が減じない本、つまり古典 です。
古典とは、時代を超越した作品であり、決して古くなることがないものです。 「昔作られたもの」の数は膨大です。その中の大部分は、忘れられてしまっています。そ の存在さえ、知ることができません。
つまり、「昔作られたもの」の中で、現在、われわれが見たり聞いたりすることができ るのは、長い淘汰の過程をくぐり抜けてきたものだけなのです。 「淘汰されなかったものは、淘汰されたものに比べて価値が高い」と考えるのは、多分正しいでしょう。ですから、古典は平均すれば「淘汰されたものに比べて価値が高い」と言うことができます。
そうであれば、「現在生産されているものと比べても、多分、価値が高いだろう」と推 測できます。
したがって、われわれがかぎられた時間内に読むのであれば、「現在生産されているも のよりは、古典を読むほうが、平均して効率がよい」と言えるでしょう。 これは、まったく簡単な算術計算であり、実に単純な功利主義です。
しかし、この結論は、間違っていないと思います。

説得法なら聖書を、組織の経営なら『戦争と平和』を読もう
いま多数刊行されている経営書やノウハウ書に比べて、古典のほうが遥かに有用な知識 を教えてくれます。
例えば、第1章で述べるように、聖書は、説得術の最高の教科書です。 「組織がどのように動いているのか」のメカニズムを知りたいのであれば、経営学の本を 読むよりは、第2章で取り上げるトルストイの『戦争と平和』を読むほうが、ずっと効率的です。  
人を操る術策を知りたいのであれば、第3章で紹介するシェイクスピアの『マクベス』 を開き、魔女たちがどのように巧みにマクベスを誘導したかを見ることです。人間操縦法 という触れ込みで書かれている本を100冊読むよりも、遥かに効率的でしょう。
もちろん、昔書かれた本には、スマートフォンやインターネットをどう使うかという類のことは、書いてありません。そうしたことについては、いまの時代に発行されている書籍を読むしか方法はありません。
しかし、それ以外のことについて言えば、人間の心理や人間が作った組織は昔と基本的 に変わっていないのですから、トルストイやシェイクスピアのような洞察力を持った人が 書いたものを読むほうが効率がよいことは、明らかなのです。こうした本は、未来の社会 においても生き続けるでしょう。

いまは、誰でも容易に古典を読める
音楽に招いても文学に招いても、時代を超越した作品があり、それらは、いつの時代に なっても決して古くなることはありません。
それが「古典」です。
いま、われわれは、望めば古典を読んだり聞いたりすることが、簡単にできます。これは、考えてみれば素晴らしいことです。
人類の歴史において、多くの人が古典に接することができるようになったのは、それほど昔からのことではありません。
まず、誰もが文字を読めたわけではありません。聖書はラテン語で書かれていたため、 普通の人は読むことができませんでした。
その上、印刷物のコストは高く、誰もが印刷物を手に入れられたわけではありません。
電子書籍が普及して絶版がなくなれば、古典を読むのが、いまよりもっと簡単になるで しょう。そうなれば、新刊書以外の本についての書評も多く行なわれるようになるでしょ う。私は、そうした書評が今後、増えることを期待しています。

読書の連鎖過程のための「きっかけ」を作ろう
ある著者の本を読んで面白いと思い、その人の著作をつぎつぎに読んでいくということ が、しばしばあります。これを「読書の連鎖過程」と呼ぶことができます。これは、読みたい本を探し出す方法として有効です。
例えば、私は、シュテファン・ツヴァイクの『ジョゼフ・フーシェ』を読んでツヴァイクの魅力に引き込まれ、次に『人類の星の時間』、そして、『マゼラン』『メリー・スチュ アート』『マリー・アントワネット』と、つぎつぎに読み進みました。
これは小説を選ぶ場合に、とくに有効な方法です。小説の面白さは、著者の力量によって大きく左右されるのですが、この方法で選べば、おおよその水準は確保できます。とく に、SFは出来・不出来のバラツキが極めて大きく、大部分が駄作です。しかし、面白い と思った著者の作品を読み進めば、あまり大きな失望はありません。
以上は、「著者」に関して「縦につなげてゆく」方法です。それとともに、テーマに関連して「横につなげる」こともあります。例えば、『メリー・スチュアート』を読めば、 エリザベス女王にも興味を持つでしょう。そこで、彼女に関連した本を読んでいくことに なります。
歴史や経済、あるいは科学などについての読書では、この方法によって読む本が広がっていくことが多いでしょう。
あることについて知識を持てば、それに関連することへの興味が増します。したがって、 興味がつぎつぎに広がっていきます。いわば、好奇心が自己増殖していくわけです。
私は、好奇心こそが人類の進歩をもたらしてきたものであり、そして、好奇心の自己増殖過程を意識的に作ることは可能であると思っています。右に述べたのは、その方法を読書に当てはめたものです。
そうしたきっかけを、できるだけ多く作ることが重要です。それが、あなたの人生を豊 かにするでしょう。
最初のきっかけは、できるだけ若いときに作るのがよいのですが、いつになっても決して遅すぎることはありません。
「読書の連鎖過程」を作る最初のきっかけとしては、さまざまなものがあります。学校の 教科書であることも多いし、友人との会話であることもあります。映画がきっかけになる こともあります。
本書がそのようなきっかけの一つになることを望んでいます。
ここには、経済学の本はありません。そのかわり、文学書や歴史書、あるいはSFなど があります。
私が日常的に読んでいる本は、その時々のカレント・トピックスを扱っているものが多 いのですが、それらは本書では取り上げていません。
なお、小説やSFについて、その結末を書いてしまっている場合があります。小説は、 結末がどうなるかという謎解きの魅力に惹かれて読む場合が多いので、未読の方の楽しみ を奪ってしまう危険があります。このことにご注意ください。
私はいま、つぎの2つをとても残念なことだと思っています。 一つは、取り上げられなかった本が沢山残ってしまったことです。
シェイクスピアの喜劇(とくに『十二夜』)、ロマン・ロラン『ジャン・クリストフ』、 アンブローズ・ビアスの短編集、アルベール・カミュ『ペスト』、科学者や数学者の伝記 (ニュートン、ガロア、フォン・ノイマン)等々。
第2は、いつまでも書き続けていたいのに、原稿を編集部に引き渡さねばならないこと です。いつかその日が来るのは、最初から分かりきっていたことですが......。




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