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超整理日記(第806号)かつて、コロナがない世界があった

 かつて、コロナなどというものがない世界があった。
 その時、われわれは誰とも会うことができ、どこにでも行くことができた。
 電車に乗り、バスに乗り、新幹線に乗り、ときには飛行機に乗ったり、自分で車を運転したりして。

 いま、別居している家族のメンバーとも、友人とも、会うことができない。

 この状態がいつになったら終わるのか、予測ができない。
 ワクチンの開発にこんなに時間がかかるとは、これまで知らなかった。開発されても、それを接種してもらえるだけの量が生産できのは、いつのことなのか、分からない。
 ワクチンがない限り、つねに感染の危険にさらされていると考えなければならない。

 疫病が蔓延する世界は、これまで歴史の事実として読んだ。ペストのことも、スペイン風邪のことも。また、フィクションとしても読んだ。カミュの『ペスト』キングの『ザ・スタンド』等々。
 しかし、自分がその中に閉じ込められるなどとは、想像もしなかった。
 いままさにその中に閉じ込められて、抜け出すことができない。
 これは夢ではなく、現実のことだ。
 こうした中で精神の均衡を保つのは、容易なことではない。

 この数年間に、私の周りにいる何人もの人が亡くなった。
 いま、われわれは、それらの人たちを羨ましく思う。
 なぜなら、彼らは、コロナなどという不条理なものが現れる世界を知らないで亡くなったから。

 幸いなことに、日本は感染の爆発的拡大も、医療崩壊も免れた。そして、緊急事態宣言も解除された。人々は仕事場に戻りつつあり、街に戻りつつある。
 しかしコロナの危険がなくなったわけではないので、いつどんなところで感染するかもしれない。緊張感が緩んだことで、再度の感染の波が生じてしまうかもしれない。
 経済は再開するのに、私だけが取り残されているような焦りを感じる。

 コロナがなかった世界に、もう一度戻ることはできるのだろうか?
 どこにでも心配なしに出かけて、誰とでも心配なしに会うような世界が、再び訪れるのだろうか?
 そうした世界が訪れるまで生き延びられるなら、なんとすばらしいことだろう!


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