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『円安と補助金で自壊する日本』:全文公開 第3章の1

『円安と補助金で自壊する日本』 (ビジネス社)が9月26日に刊行されました。
これは、第3章の1全文公開です。

第3章 銀と投機筋の壮絶な戦い

1 世界の投機筋は、円安 が進むと予測している

「キャリー取引」とは?

 第1章で、円安が進むのは日米間で金利差があるからだと述べた。この説明は間違いではない。しかし、このプロセスは、それほど簡単なものではない。これについて以下に説明しよう。
 いま、「日本で円資金を借り、それを売ってドルを購入し、ドル建ての資産で運用して一定期間後に日本円に戻す」という取引を考えよう。これは、「円キャリー取引」と呼ばれるものだ。
 現状ではアメリカでの運用利回りが日本の借り入れ金利より高いので、その差額だけの収益が上げられるから、この取引は利益をもたらすように思われる。
 本当にそうなるだろうか?
 次のような数値例を考えよう(実際の値とは異なるが、計算を簡単にするために、このような数字を用いる)。

 現在の為替レート:1ドル=135円、日本の金利=0%、アメリカの金利=5%、契約期間:1年(1年後に日本円に戻す)

 この数値例だと、日本円で100万円を借りてドルにすると、1ドル=135円なので、0・74万ドルになる。これを5%で運用すれば、1年後には元利合計が0・78万ドルになる。
 もしこのときの為替レートが1ドル=135円のままで変わらないとすれば、円にすると105万円になる。すると、100万円を返却した後で、5万円が残る。これが利益だ。
 この取引では、最初に円を売ってドルを買っている。したがって、円キャリー取引が行われると、円安が進むことになる。
 キャリー取引の対象は、円だけではない。低金利国の通貨が対象になる。2022年の5月頃までは、スイスフランが対象とされていた。
 ところが、スイス中央銀行は、6月16日に利上げに転じた。このため、高金利国との金利差が縮小し、キャリー取引が縮小した。そして、フラン高に転じた。これは、キャリー取引が為替レートに大きな影響を与えていることを示すものだ。

日銀は、円キャリーを煽っている

 日本銀行は、2016年から長短金利操作(イールドカーブ・コントロール、YCC)を実施している。長期金利の上限を0・25%程度に抑えるため、金利がこの上限を突破すると、10年債を無制限に買い入れる指値オペ(公開市場操作)を行う。
 中央銀行は、短期金利を政策金利としてコントロールするが、長期金利は市場の実勢に委ねるのが普通だ。長期金利をも直接にコントロールしようとする日銀の政策は、金融政策の常識からすると、かなり異質なものである。
 日銀は、「円安は基本的には日本経済にプラス」とし、金融緩和政策を堅持するとしている。投機筋は、そうであれば円キャリーが利益を生むと判断し、そうした取引を増大させている。
 ここで恐ろしいのは、このメカニズムには、自己増殖的な要素が含まれていることだ。つまり、円安の進行を前提として行われる投機取引が、実際に円安を進めて、投機筋に利益を与える。それがさらに投機的取引を煽る、ということだ。

先物取引を利用してヘッジする

 以上の説明では、1年後の為替レートが変わらないと仮定した。しかし、実際には、円に戻すときに円高になっている可能性がある。
 すると、為替差損が発生し、それが金利差収益よりも大きくなるかもしれない。すると、キャリー取引は損失をもたらすわけだ。このように、キャリー取引は非常にリスクが高い取引だ。
 2022年の3月以降、急速に円安が進んだため、円キャリー取引も急増した。しかし、7月中旬以降は円高が進んだため、こうした取引はかなりの損失を被ったと見られる。
 では、キャリー取引を行うと同時に、為替先物取引を利用したら、どうか? 先物取引とは、「いま決めた価格で、将来、受け渡しをする」という約束である。
 これを用いれば、将来時点で円に戻すときの為替レートを確定することができる。先物取引は、取引所との間で行われる。取引所では、次項で説明するメカニズムによって、先物の価格が決まっている。その価格で、「一定期間後に円を受け渡す」という契約を結ぶのだ。
 こうした契約を結ぶことによって、将来における不確実性はなくなる。これを「ヘッジする」という。
 なお、先物為替取引は、実需取引でのリスクを軽減するために用いられている。輸出業者の場合、輸出品の代金が入るのは、将来のことになる。契約がドルでなされている場合、円換算の輸出代金がどうなるかは、将来の為替レートに依存する。この場合、先物で円を買っておけば、円換算の収入を確定できる。輸入業者は、先物で円を売っておけば、決済日の為替レートがいくらになっても、先物で決めたレートでドルに換金できる。

現物価格と先物価格の関係

 ところで、現物価格と先物価格の間には、必ず図表3−1の関係が成り立つ(円とドルの取引の場合)。この関係を「金利平価式」という。


 右の式の左辺は、「円キャリー取引+先物によるヘッジ」という取引をした場合の為替差損だ。そして、右辺は、金利差による利益だ。右の式は、これらが等しいとしている。
 つまり、金利差による利益は、為替差損でちょうど打ち消され、全体としての収益は必ずゼロになるというのだ。
 先に挙げた数値例の場合には、次のようになる。

 円の現物価格:1円=1/135ドル
 円の先物価格(1年後の契約実行時の価格):1円=1.05/135=0.0078ドル
 先物価格で計算した円の増価率=5%。これは、金利差に等しい。

「裁定取引」とは?

 均衡においては、必ず金利平価式が成立していなければならない。それを確認するには、仮に金利平価式が成り立たないとすれば、何が起きるかを見ればよい。
 いま、現物の為替レートが1ドル=135円であり、1年後に受け渡しをする先物価格も1ドル=135円だとしよう。
 この場合には為替差損がないので、円キャリーと先物によるヘッジを組み合わせた取引を行えば、金利差だけの利益が確実に得られる。
 将来の実際の為替レートがどうなろうと、1年後の換算は先物契約で決まっているので、必ず利益が出るのだ。
 このような取引を「裁定取引」という。こうした取引は、金利平価式が成立するまで続く。つまり、金利平価式が成立していない状態は、均衡ではないわけだ。だから、為替市場においては、金利平価式という裁定条件が成立していなければならない。

アメリカの金利が高ければ、先物価格は円高

 2022年の時点では、アメリカの金利が日本の金利より高くなっている。だから、金利平価式によれば、先物レートは現物レートよりも円高になっていなければならない。
 実際には円安が進行しているなかで、「先物レートは、いまより円高」というのは、奇妙なことだと感じられるかもしれない。
 しかし、「そうなっていないと、為替差損を上回る金利差収入を得られるので、均衡にはなり得ない」ということなのだ。
 先物レートが円高と聞いて奇妙な感じを持つのは、「先物レートは将来の為替レートの予測」だと考えているからだ。しかし、先物レートは、将来の現物レートの予測ではない。
 先物価格とは、将来時点での受け渡しをいま約束する取引における価格なのである。だから、将来時点における価格が先物価格に一致する保証など、まったくない。

投機筋は、円安が収まらないと見ている

 このように、先物レートを見ても、将来の為替レートについて、いまどのような予想がなされているのかを知ることはできない。
 将来の為替レートについて人々の予測を知るには、別の方法による必要がある。
 一つは、キャリー取引を見ることだ。
 現在、巨額の円キャリー取引が投機筋によって実際に行われている。これは、「近い将来に、いまより円高になる可能性は低い。むしろ、いまより円安になる可能性が高い」という予想が投機筋で支配的なことを示している。
 なぜなら、すでに述べたように、この取引は、将来円高が進めば損失をもたらす可能性が高いからだ。それにもかかわらず、投機筋は先物でヘッジをせずに、将来の為替レート変動のリスクを放置している。
 これは、将来円高になって損失を被る危険が低いと考えられていることを意味する。むしろ、円安がさらに進んで、為替差益を得ることもできると期待されているのだ。

投機筋のポジション

 将来の為替レートについて人々の予測を知る第2の方法は、先物取引の状況を見ることだ。
 全米先物取引委員会(CFTC)は、取引所に商品先物の「建たて玉ぎょく」の公表を義務づけ、それを集計してホームページ上で公表している。
「建玉」とは、先物取引などにおいて、取引約定後に反対売買されないまま残っている未決済分だ。英語では「ポジション」という。買いの建玉を「買い建玉」(またはロング・ポジション)、売りの建玉を「売り建玉」(またはショート・ポジション)という。
 この統計では、ヘッジファンドなど「Non-Commercial」(投機筋)のロングとショートが特に注目されている。投機筋による日本円の先物取引を見ると、2021年3月以降、ショートがロングより多い状況が続いている。つまり、将来の円安を予想する投機筋が多い。22年の3月以降は、特にその傾向が強まった。5月中旬以降は、ショートが減ってロングが増えている。しかし、ショートが多い状況に変わりはない。




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