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ほんとうはそろそろお花見なのですが・・・

これは406回目。今年のお花見、どうなるんでしょうか・・・

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お花見の季節が近づいてきた。

その昔、春は山から神様が降りて来られて「田の神」となられ、農作業や作物の成長が順調にいくように見守ってくれる季節だと考えられていた。人々はその神様を山にお迎えに行き、そこで神様と人とが一緒に飲んだり食べたりする儀式が「お花見」になっていったらしい。そして、桜はその神様が鎮座される場所とされていたようだ。

その当時の人たちは、桜の花の咲き具合や散り具合を見て、作柄を占ったり、桜の下で飲食をしてその年の豊作を祈っていたのだろう。

しかし、桜がその存在を日本文化の中で磐石なものにしたのは、なにも最初からではない。万葉の時代に、和歌に詠まれた花は桜より梅の方が多い。中国文化の影響で薬効を認めていた事もあって梅重視の花見だった。

鎌倉時代にはぱっと咲いて、ぱっと散る桜が武士の気風に合って武家の間に広がったとも言われる。豊臣秀吉が1598年に「醍醐の花見」を催し、「花見」を庶民が知ることとなったようだから、やはり桜は武士が始まりで、庶民はそれを見て始めたということになりそうだ。

江戸時代、花見が庶民の生活に定着し、この時代にソメイヨシノが発見され広がったようだ。

ソメイヨシノは江戸の染井村の植木屋が吉野桜と触れ込んで広めたそうだが、吉野とは関係がなく、大島桜と江戸彼岸との雑種らしい。最初の1本を人の手でさし木で増やして来た言わばクローンということになる。

ソメイヨシノは寿命が60年くらいと言われ、有名な桜の巨木は樹齢百年から千五百年と言われる。

桜の開花は、1月1日から毎日の気温の総計が六百℃になったら開花するという説もあるようだが、一方では寒暖の差で開花するという説もある。

あまり、わたしは花見というのは興味もないのだが、(そもそもあの混雑は、足がすくんでしまうのだ)最後に、京都のある植木職人のぼやきを紹介しておこう。

曰く、「花見は、酒を飲みに行くだけでもよろしいんですけど、帰りぎわに『おおきにありがとさん』と言うて帰るといいんですわ。酔っ払って、酒を適当にまくのもよろしい。
わしはいつも言いますねん、へど吐いとるやつは、あれはもう、褒めてやれ、て。土に戻るのやからね。けどナイロンやら敷いてるもんは放り出せというんですわ。その間、根が息できひん。ナイロン敷いてるのんは、人間は濡れへんさけいいけど、桜にしたら息がでけへんのですわ。ゴザとかムシロやったら大丈夫ですわ。人間の尻は冷たいけど、桜は息ができますわな。」

ごもっとも、と思う次第。


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