国会

政治家の失言

これは341回目。政治家の失言というものは、昔から多いのです。辞職に追い込まれることも多々あります。そのたびに、「脇が甘い」と言われます。失言をしない政治家のほうが圧倒的に多いのですから、確かに「脇が甘い」と言われても致し方ないとは思います。

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が、それでもである。メディアの偏向報道や、意図的に誤解を誘発するような報道というものは、許しがたいほどあるのだ。

戦後、この失言を多発した「という印象の強い」のは、池田隼人首相である。たとえば、有名な国会答弁の中に、「中小企業の五人や十人自殺してもやむを得ない」と言ったことなどは、その典型である。

新聞はこのように報道したが、実際に池田首相が答弁した正確な表現は、こうである。

「正常な経済原則によらぬことをやっている方がおられた場合において、それが倒産して、また倒産から思い余って自殺するようなことがあっても、お気の毒でございますが、止むを得ないということははっきり申し上げます」

これのどこが、「中小企業の五人や十人自殺してもやむを得ない」と答弁したという報道になってしまうのか。これが、メディアのあざとさである。

池田首相というとこの種の「失言」があまりにも多いのである。いや、「失言」に仕立て挙げられるようなことがあまりにも多いと言ったほうが正確だろう。「貧乏人は麦を食え」というのも、そうである。しかし、そう報道された発言の、正確な記録は次のようなものであった。

「所得に応じて、所得の少ない人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食うというような、経済の原則に副つたほうへ持って行きたいというのが、私の念願であります」

池田は後年、こう述べている。

「私は正直すぎた。政治家として終戦以後色々あったが、政治家には向いていないのかもしれない。」

池田首相はテレビを本格的に活用しようとした最初の首相であると言われる。テレビという新しい視覚に訴えるインパクトを重視したのだ。そこで、1960年の総選挙に於いて、ケネディとニクソンの大統領選でのディベートを模倣して行われた「三党首テレビ討論会」に出演した。

これは社会党の江田三郎の申し出に対して、泥仕合にならないならという条件で受けたものであったが、1960年11月20日の第29回総選挙に先立っては自ら自民党のテレビCMに登場して、本音しか言えない池田というイメージを逆手に取って「私はウソは申しません」と言い切った。

これは当時の流行語となり、これが世論を背景にした政権運営という新しいスタイルに先鞭を付けるものともなった。

正直、池田首相というのは舌足らずで、決して弁は立たない。しかし無邪気であり、吸い寄せるように人材を集めた。財界を中心に支持者が多く、政治資金にはまったく困らなかったともいわれる。そのため、池田ほど金に恵まれた政治家は戦後一人もいないとも言われる。

「失言」は多かった。しかし、池田の人気はそれを十分カバーして余りあった。日本の戦後復興という黄金期を走り抜けたこの人気者だが、閣僚たちは毎日不満たらたらだったようだ。

それは、超絶に忙しい毎日、時間を有効に使おうと、池田はランチ越しに閣僚会議を繰り返した。連日、自分が大好きなカレーライスを振舞った。

来る日も来る日も、ランチは会議をしながらのカレーライス。閣僚たちは、もううんざりだったという。当の池田はご機嫌なランチミーティングにご満悦だったらしい。この男、やはり憎めない。

おまけで、近年の政治家たちの失言をオンパレードしてみる。どこまで、「盛られた」失言か。それとも、ほんとうにそうした発言した愚か者か、みなさんはどう思われるだろうか。少なくとも、字面を見る限りは、救いようのない失言のようにも見えるが。


・2003年、当時自民党の衆議院議員の党行政改革推進本部長だった太田誠一氏が6月26日、鹿児島で公開討論会で発言。早稲田大学のサークルが起こした強姦事件が話題になった際、「集団レイプする人は、まだ元気があるからいい。正常に近いんじゃないか」と発言した。

・2005年9月の衆議院選挙で自民党公認候補として出馬し、最年少で当選を果たしたのが元衆議院議員の杉村太蔵氏。当時、「小泉チルドレン」の1人とされていた。当選から約2週間後、「早く料亭に行ってみたい」「これで念願のBMWが買える」「真っ先に調べたのは国会議員の給料ですよ。2500万円ですよ」などと発言し批判が集まったため、謝罪会見を開いた。

・2007年1月27日、松江市で開かれた後援会の集会で女性について「機械と言って申し訳ないけど」「15歳から50歳の女性の数は決まっている。産む機械、装置の数は決まっているから、あとは一人頭で頑張ってもらうしかない」と述べた。後日、女性団体や労働組合などからも辞任の要求を求める声が上がったが、内閣は柳沢氏を辞任させることはせず、当時の安倍首相は「多くの女性の心を痛めたことに、私も深くおわびする」と、同31日の参院本会議で謝罪した。

・2011年7月4日、当時復興担当相だった松本龍氏は、宮城・岩手両県を訪問。それぞれの知事と会談した。初めての被災地訪問となったが、午前に訪れた岩手県庁で当時の達増拓也知事に「知恵を出したところは助けるが、知恵を出さないやつは助けない。そのくらいの気持ちを持って」と、被害に遭われた方々を突き放す発言。また、「九州の人間だから、東北の何市がどこの県とか分からない」と話したことで、野党などから批判や辞任要求が相次ぎ、翌5日に引責辞任した。

・2017年、当時復興相を務めていた今村雅弘氏の失言。東京都内で開かれた自民党二階派のパーティでの挨拶で、東日本大震災の人的被害、社会資本の被害について説明した際、「これはまだ東北で、あっちの方だったから良かった。これがもっと首都圏に近かったりすると、莫大なですね、甚大な被害があったと思う」と述べた。翌日、自身の発言の責任を取り安倍首相に辞表を提出し大臣を辞任。

どうも、これらは池田の無邪気さや、口下手を通り越して、ほとんど人品を疑わざるを得ない。

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