レンズ選び

パリと彼女が教えてくれた


普段あまり行かない場所で仕事があり、せっかくだから足を伸ばして、有名な豚丼でも食べて帰ろうかなという考えがあった。豚丼は大好物で、どこで食べてもそれなりに美味しいと思うけれど、とくにその店が好きだ。仕事場所から歩いて30分くらい。たいした距離ではない。
でもCP+の中止や、新型コロナウィルスのことが、足を重くしたのだろう。正確には”新型コロナウィルスに関する加熱する報道”が、ぼくの足を重くした。こんなときだからこそ好きなものを食べて元気を出そう、という気になれなかった。

ふと思い出すことがある。鮮烈に記憶しているけれど日時については曖昧で、いろんな出来事の順番が混濁してしまって正確に思い出せない。けれどもGoogleに二文字の単語をふたつ入れれば、すぐに検索できる。「パリ、テロ」——パリ同時多発テロが起こった、2015年11月13日のこと。

そのときぼくは撮影の依頼を受けてパリにいた。羽田からの便が使えるようになったおかげで早朝にパリに着けて、時差に身体を慣らしながら、撮影プランを考えていた。レンズは何ミリを中心にしよう? 通う場所を決めるか、あてもなく歩き回るか、天気予報と地図を交互に見て・・・そこで爆破事件が起こった。
ホテルはモンマルトルを選んでいて、それはマレやサンミッシェルのような華やかでスタイリッシュなパリの姿よりは、むしろ下町の普段の暮らしに近いところで写真を撮りたいと願ったから。狙いは「アメリ」にちかいかもしれない。
テロの首謀者や目的がはっきりしないうち、原理主義者たちによるものだとしたら、多民族の象徴的エリアであるモンマルトルの危険度はかなり高いとの報道を、早い段階で目にした。

時間が経つほど、日本のニュースから伝わってくることと、現地にいて肌で感じることとに、解離が大きくなっていく。翻訳ソフトの力も借りて現地ニュースも見てみるけれど、どれが「ヒルナンデス」でどれかNHKなのか、どれが正式な発表で、どれが識者の見解なのかがわからない。注意さえ払えば日常生活に支障はないのか、外出は控えるべきなのか、判断が難しくなっていった。
ルーブルやオルセーのような大きな美術館はもちろん、リュクサンブール公園やチュルリー公園まで閉鎖され、人が集まるようなところはすべて立ち入り禁止になっていく。こんなパリの姿を見たのは初めてだった。

写真など撮れるわけがない。
ユージン・スミスやクーデルカのように、悲劇的な状況が傑作を生んだ時代もあったかもしれない。メイプルソープやダイアン・アーバスみたいに倒錯がエネルギーになったこともある。けれどもぼくは、基本的に写真は光に向いて撮るものであり、美しさに喚起されるものだと思っている。とくにスナップはそうだ。
クライアントと連絡をとり、あらためてスケジュールを組み直す方向で話がまとまり、まずは無事で帰国することを最優先で、となった。

残りの旅程を、ただホテルの部屋で過ごしていいものか。
マグナムの写真家たちがパリに召集されたという記事も見た。でもぼくはジャーナリストではない。軽はずみな行動でトラブルに巻き込まれたら、自分だけの問題ではない。好奇心だけで現場に赴くようなことはすべきでないだろう。
それでもこの街の様子は——芸術を愛して、芸術に愛されたパリのこんな姿は、心に刻んでおきたいと思った。
「もうスーパーなどの買い物は行くよ」「子どもたちの学校は再開された」といった現地情報を得て、街に出ることにした。

マレに向かうのにメトロに乗るのは不安があった。だから短くはない距離を歩いた。
撮りたいものなんて何ひとつ目に入ってこないし、カメラはやたらと重く感じる。モンマルトルからマレまで、こんなに距離があったかなと自分を疑うほど。
ようやくマレに着いても、ギャラリーは閉まっているところが多い。営業しているカフェも人はまばらだ。
しばらく歩いていたらカメラを肩から下げた女性が目に留まった。「さすがはパリだな、こんなときでもカメラを持って街歩きするなんて」とすぐに思った。報道されているほどではなかったけれど、息苦しい雰囲気が街を支配していて、「素敵なものに出会ったらパチパチ撮るぞ!」なんて思えるムードではない。
後を追うように足を早めると、自分も知っているカメラじゃないか! 声をかけて写真を撮らせてもらうことにした。
カメラの宣伝のために書いているわけじゃないので詳しく触れないけれど、同じメーカーを愛用していて、しかもそれがメジャーなものではなかったことが、彼女との距離を近づけてくれたのは間違いない。
わざわざコートの裾を開いてポーズをとってくれて、「このカメラ、最高にクールよ!」と彼女は言った。「そういえば日本製ね。帰国したら伝えて」といったことを断片的に言い添えて。
美意識の塊みたいなファッションセンスなのに、ストラップは同梱のものをそのまま使っていて、「クールってこういうことかな」と思った。

背面液晶に彼女の写真をプレビューしていて、パリってすごいなとあらためて思った。
ニューヨークもロンドンもベルリンも、アートが身近なところにあって、すごくエネルギーをもらえる街だけれど、パリのようにバリアフリーではない。特定のエリア、特定の人たちが出入りする店が、最高にかっこいいだけ。でもパリは「こんなところに?」と思うような地区のカフェに、ものすごく美しく額装された写真が飾られていたりする。専門的な教育を受けていない人たちが、写真に合わせて最高のフレームを選んで買っていく。
毒づく人も多いように道はゴミと犬の糞だらけで、タバコの煙は鬱陶しいし、「これが芸術の都かよ」という意見にも共感はできる。それでも他のことには寛容と言い難いフランス人がこと芸術に関しては寛容で、新しい物を受け入れ、古い物を大事に扱い、美が日常に寄り添ったところに存在しているのは、心からの称賛に値すると思う。

そんなことを考えているうちに、強い日差しに気づいた。
11月のすぐに傾くパリの太陽は、まだ高い位置にあり、晩秋のヨーロッパ特有の深い青空もある。ぼくの肩にはカメラがあり、メディアとバッテリーもたっぷり残っている。さっきまで感じていた足の疲れはもうない。
ここから南に歩けば、パリ市庁舎がある。ドアノーの名作が撮られた場所だ。そこからセーヌに沿って歩くと芸術橋がある。ブレッソンが通い、多くのスナップが撮られた。橋を渡ればサン=ジェルマン=デュ=プレはすぐそこ。エルスケンの傑作の舞台であり、ジャン・ルシーフの写真で知られるカフェもある。
でもまずはこの周りから撮り歩こう。

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この長い物語に教訓はないです。少なくとも、教訓のためには書いていません。
もし伝えたいことがあるとすれば、カメラや写真は人を傷つけることもある(報道写真家ケヴィン・カーターの自殺から、我々は何も学んでないように思える)けれど、勇気や元気を与えてくれるものだってこと。そして写真は常に環境とともに立場が変化しているのだと。
あともうひとつ。
ヴィジュアルの強さを追い求めて盲信的になることの怖さ。
そんな時代に、人の心を動かすために[物語]というものが強い意味を持っているだろうこと。これはぼくの信念として。

ソダーバーグが監督して、マット・デイモン、グイネス・パルドロウ、ジュード・ロウと豪華な出演者がいたのに、興行的にはこけちゃった「コンテイジョン」という映画があって、新型コロナウィルスを予見していたような内容だからってことでNetflixの視聴が増えているそうです。
(余談ですが、ウィルス感染、パンデミックを扱った映画なら「アウトブレイク」が最高傑作だと思います。「コンテイジョン」はこんな状況だからつい見入っちゃう。でも「アウトブレイク」は状況に関わらず見入ってしまいます)
この映画の終わりのほうでローレンス・フィッシュバーン(「マトリックス」でネオを導くモーフィアス役だった俳優)が演じるウィルス対策の専門家が、子どもに「握手の由来を知っているかい? 手に武器を隠し持っていないってことを相手に明かすことから始まったんだ。ウィルスも同じだな」と言います。
カメラも似たところはあるんじゃないかって気がします。カメラだけじゃなく、エゴを隠し持たないこと。これは蛇足かもしれないけれど。

「写真家をハンターに例えるのは過ちで、実際には釣り糸を垂れる釣り人に過ぎない」とはドアノーの言葉。
悲しい生い立ちから世界の喜びを撮りたいと願い、でもたまたま演出で撮った写真が代表作として独り歩きして、そのモデルに訴えられて裁判には勝ったものの代償としてその作家性が問われることになり、過小評価なのか過大評価なのか、写真界のひとつの謎。ですが、代表作じゃない作品を見るとすごくいいです。
パリの、いや、フランスの国民的作家として多くの人に愛されています。


レンズ選び.001

追記:
ぼくの中で、上の写真とこれは常にペアで記憶されています。
彼女にもらった勇気で、翌朝に撮った写真だから。まだ公園は封鎖されていて、エッフェル塔周辺も警備がすごかったけれど、それでもパリに残された数少ないオープンな空間だから、人が集まっていました。
”それ”が必要なんだよ、と。

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