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没絵が没った理由を語る(需要なし)

こんにちは雪町です。需要のない文章を書くことで定評のある雪町ですが今回も誰が見るねんみたいな話をします。題して「没絵はなぜ没になったのか!」。もうどうしようもなく面白くなさそうなタイトル(笑)

今回没にした絵はこちら(笑)

もともとこの絵を描く経緯から説明しますと3/11に死者の魂が救われるようにという祈りをささげたいという動機から出発したものです。表現しようとしたことは「死者の魂は鳥の姿を取って輪廻の川へと還り次の未来生へと転生していくという思想のもと、未来生で幸福な生を経ることで七生を生きる魂が救われますようにと祈りをささげる。ざっくりいうと今世が不幸でも同じ魂の生きる来世が幸福なら魂は救済されるよねというなんとも説教くさい思想」です。

そんなわけでこれを絵に落とすときにどうしてもクリアしておきたい条件が

・私が祈りをささげるある人(少女)の魂が鳥となって輪廻へ還り星となる

・魂が来世へと転生していくような流れ

・祈りのこもった絵

です後半2つはかなり抽象的ですね(笑)。この3つの条件のもと没絵を見てみましょう。まあ良く解釈してもたかだか1番目の条件しか表現できていないかなあといった感じです。そもそも未来方向への流れを表現するなら魂(鳥)が還った先が画面内のある1点にあるとそこで視線とか流れが止まってしまうのでよくないですね。あと縦構図もそういったものを表現するのは難しいかなあといった感じです。そんなわけでそとっつらだけ誂えたような最低最悪なイラストを作ってしまい自己嫌悪に至った雪町でした。パッと見て美しいで終わるような絵もいいですけどそんなのほかのところでやってろ!って感じですね。ただでさえ画力が壊滅的にないのに中身なく見た目だけ万人受けしようと取り繕い始めたらおしまいですよ。

だいぶ怒りと悲しみの雨に浸ってしまいましたがそんな最悪の絵を踏み台にして何とか完成させた絵がこちらです。

まあ、見た目だけなら没絵のほうが好きな人が多いかもしれないですね。