毒にも薬にもならない話_74

いきたい世界へ自らの手で

何を言葉にして、どんな表情で、何をするか。

それが自分の生きる世界を少なからず決めている。優しい言動は相手の優しさを、苛立った言動は相手の苛立ちを引き出すから。

私のことを「優しい、話していて癒される」と言ってくれる人がいる。それは彼女がいつも穏やかで気遣いやさんで、会うたびに私のことを褒めてくれるからだ。彼女が気遣ってくれた分、私もお返ししたくなる。だから、彼女の前では自ずと優しい言動が増える。彼女はきっと他の人からも優しい面を引き出して、優しさの多い世界で生きている。

ネットの世界でもきっと、同じことができるのだろう。言葉を紡いでネットの海に浮かべれば、場所や時間にとらわれない自分の世界となる。自由で純粋な「想い」「考え」の領域で、とりまく世界を自らの手で引き出すことができるのだろう。

私はどんな世界にいきたいだろう。
どんな人に囲まれて、どんな役割をもって、どんな関係を結びたいだろう。

ふと「ナチュラルに生きる」というワードが頭をよぎった。

それは、肩書きや容姿や見栄に縛られない世界。
自分のこころの声に正直で、世間体や多数派の意見に振り回されない。
流行りに乗ることもあるし、気にしないこともある。
仕事や家事を頑張ることもあるし、頑張らないこともある。
失敗や方向転換も、格好悪い過去も、「そんなこともあるさ」とあたたかく受け入れる。
ほかの人の好きなものや決断を尊重し、違いをからりと受け入れる。

そんな世界の中心で「肩肘はらずにいこうよ」とか「その気持ちわかる気がする」とか「今はこんな気分」なんて言っていたい。自分に対してもほかの人に対しても、やわらかく寛容な空気をほわんと広げたい。

そのための言葉を、文章を、物語を自らの手で紡げたら、どんなに素敵なことか。目指す形を模索していきたい。

最後まで読んでくださってありがとうございます! いただきましたサポートは、さらに自分の心と向き合い、表現するための学びに充てさせていただきます。