畑と家族のこと

今年に入って急に畑仕事を始めた私の、自己紹介のようなもの。

実家は和歌山市の市街化調整区域、ターミナル駅から車で15分くらいだけど、開発行為が制限されていて田園風景が残る地域にある。父方の先祖が農家で、7年前に祖母が亡くなってから、父が畑といくつかの田んぼを管理し、自分たちが食べる分のお野菜と、それより少し多めのお米を毎年作っている。

実家と祖母の家は徒歩5分の距離にあった。小学生の頃は両親が共働きのため学校が終われば祖母の家に寄っておやつを食べてから、両親の仕事が終わる頃に自転車の後ろに乗せてもらって帰宅するのが日課だった。

祖母の家から少し山側に畑があって、癌が見つかって動けなくなるまで、祖母は毎日畑で採れた野菜を届けてくれた。きっと勉強の邪魔をしてはいけないと思って、私を畑に呼ぶことはなかった。お野菜の届く日常を当たり前に受け入れていた私は、採れたての野菜の味も変わりばえしない生活の一部だった。

いつか自分でもお野菜を育ててみたい気持ちはなんとなくあったから、夏からの和歌山での実習期間は父の畑仕事を手伝おうと決めていた。でも2.3月の大学の春休みをひきずった気分のままコロナ禍に突入し、京都で時間を持て余していた私は非常事態宣言の直前に帰省。コロナのおかげでタイミング良く春の作付けができ、夏野菜のピークは過ぎて早くも今季の収穫が終わろうとしているところ。

google mapのストリートビューには今も畑で友達とおしゃべりしている祖母が写っている。畑は雑草が生えておらず手入れが行き届いていて、私が目指すべきお手本のように見えた。祖母に教われることはたくさんあっただろうし、手伝えばよかった。どれだけの時間畑に通い、愛情を込めてお野菜を育てていたか知ろうとしなかった。もっと味わえばよかったし、祖母と話せばよかった。

祖母とは誕生日が一緒だったので、毎年一緒にお祝いした。結婚時に改名したことで自分の名前を2つ持っている人でもあった。私は通名の方に馴染みがあったけど、土に還るのは生まれた時の名前が良いねって家族で相談して、葬儀は元の名前で送り出した。

畑仕事がこんなに楽しいのは、祖母と父とつながる手段のように思えるからだと思う。私が畑仕事を始めてから父はわかりやすく嬉しそうにしてる。土を触りながら、おばあちゃんも喜んでるかな〜とか考える。

自転車の後ろに乗ってこの街の右側だけを知っていた夏

鈴木晴香さんの短歌。間違いなく恋の歌なんだけど、いつもこの短歌で思い出すのは、祖母が漕いでくれる自転車の荷台にまたがって進んだ田んぼ道。ランドセルは前のカゴに載せてくれるから、服と背中の間を通りぬける風がとても気持ちよかったこと。一生忘れないだろうな。