友達想いのウッディの旅立ち
Toy Story 4 が公開されてから4ヶ月が経ち、映画館に行けずしばし見逃していたのですが、ようやくベガス→シカゴ便の機内で見ることができました。
Toy Story 4 を観ていない方は、この辺で読むのをやめておいてくださいね。少々ネタバレになりますので。
さて、今回新しく加わったフォークのフォーキー。ただのフォークから作られたフォーキー。しかし、思い込みがとにかく激しく、自己肯定感の低いフォーキー。
自分はとにかく「トラッシュ=ゴミ」だと思い込みます。
そんな自己肯定感の低いフォーキーに、ウッディが価値があることを伝えようとするも伝わらない。
フォーキーがゴミ箱に行かないように必死に食い止める友達思いのウッディは、「トラッシュ」という思い込みから、もっと価値のある「おもちゃ」へとマインドチェンジをさせていきます。
そんな過程において更なるトラブルに巻き込まれていくのは、いつものこと。そしてその巻き込まれ方も「訳有り」のおもちゃたちとの騒動。
ウッディはいつだって友達思い。
後先考えず友のためを思って感情的に動き、失敗して周りに迷惑をかける。
ただ、どんなことがあっても自分のことは二の次。まず友達の幸せを考えて、どんな困難な状況になっても友達のことを諦めないウッディ。
そのウッディの信念に心を動かされて巻き込まれてしまう友達、うんざりしている友達たちもウッディに協力し始めます。
ウッディの巻き込み力は半端ではありません。
過去のトイ・ストーリーで一度は勘違いからみんなに嫌われて仲間外れにされたけど、半端ない諦めの悪さで真実を証明し、友達の信頼を取り戻しました。
そこからのみんなのウッディに対する尊敬と信頼は確固たるものになり、グループのリーダーになっていきました。
ウッディはとにかく信じる力が強い。
根拠のない自信に満ち溢れている。
これは、感情をとにかく制御して頭で緻密に計算していたらできないこと。
感情が先にきて、その感情をうまいこと膨大なエネルギーに変換して、知性と理性をちょこっと働かせて、友達の救助に向かう。
自分の過去のトラウマから、おもちゃをuselessにさせたくない、おもちゃは子どもと一緒にいることで沢山の素敵なメモリーを作ることができるという熱い想いのもと、とにかくウッディは動き続けます。
ウッディは、とにかく心で動く。
心で動くからこそ、ミスもする。でもそのミスを仲間がカバーし、受け入れてくれるので、ウッディは常に挑戦態勢でいることができる。
正真正銘、ウッディはみんなのヒーロー。
「誰のために生きるのか?」というのが明確で、そこに愛があって、自分の損得など考えずに動き回るウッディはめちゃくちゃ魅力的で、こんな生き方ができるウッディを私は尊敬しております。
ただ最後、思いもよらぬ結末が待っていました。
そう、ウッディは初めて自分の幸せをチョイスするんです。
これまでウッディは「おもちゃは持ち主の子どもといることで幸せになれる」と思って行動し、ウッディの持ち主である子どものために生きてきました。
でも、好きな人(同じおもちゃ)との思わぬ再会でその心が揺らぎ、自分の心の声との葛藤があり、バズの後押しもあって、はじめて自ら持ち主の子どもと離れる決断をしました。
ここでウッディは、人生を「誰と共に共有したいのか?」が明確になりました。それが、ボー(boo)という存在でした。
「誰のために」「誰と共に」の両方が明確になったウッディは新たな幸せを掴みました。そしてその後もおもちゃの世界で変わらず、おもちゃと子どもを繋ぎ合わせて、両者が幸せになるwin-winの関係を作るという役割を果たし続けます。
と、こんなことを書いていたら、ローマ教皇のこのコラムが目に飛び込んできました。
まずは、自分の隣りいる人をとことん愛すことから始めよう。
友を思いやり、愛する人と人生を共有するウッディの心は間違いなく豊かですよね。
みんなが協力しあって生きていける社会へ。愛と共感力で、豊かな世界を創っていきたい。サッカーが私にもたらしてくれた恩恵を、今度は世界に還元していきたいです。