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子ども虐待防止策イベント2021 全国開催されます - 「親ガチャ」について、虐待サバイバーと一緒に考えてみませんか? -

1)「親ガチャ」ついて、サバイバーが考えてみる

Facebookでシェアされて、話題になっていた記事を上に貼りました。
様々な場所で話題になっている「親ガチャ」というキーワード。

「親をモノ扱いする良くない言葉だ」
「産んでくれた親に対する感謝がない。いつまでも他人のせいにするな」
「自分の子供に、”親ガチャ”ハズレたなんて言われたら傷つく」
「ガチャを引くのは産む親なんだから、”子ガチャ”が正しくない?」
「”親ガチャ”と言うことで、長年の苦しみに区切りがつく人もいる」
「虐待されたことがない人に、親ガチャと言うしかない人の気持ちはわからない」

「親ガチャ」という言葉自体に拒否反応を示す人もいれば、「親ガチャ」という言葉がある意味では救いになっているという人もいます。賛否両論。

個人的には「親ガチャ」という言葉に、それほど違和感はありませんでした。
なぜなら、これまでも仲間内では「担任ガチャ」「上司ガチャ」「部署ガチャ」「支援者ガチャ」など、よく「ガチャ」という言葉を使っていたからです。

「コインを入れてレバーを回転させると、ランダムでカプセルに入った景品が出てくるガチャ」のように、「集めたアイテム(ジェムなど)を消費して、SRやSSRのアイテムやキャラクターが出てくるのを狙う、ソシャゲのガチャ」のように、自分の努力や、やり方次第というよりは、運を天に任せるしかない出来事に「ガチャ」とラベリングすることで、「今回は運が悪かった」と思うことができます。

虐待サバイバーは、虐待する大人から「殴るようなことをするお前が悪い」「本当は怒りたくないのに、お前が怒らせるんだ」「お前みたいなバカな子どもを持って、自分は不幸だ」などと責められる言葉掛けをされ続けていることが多く、自分の身が危険にさらされたり、不快な目にあったりしたときでも「自分のせいだ」「私の努力が足りなかったからだ」「私が悪いから罰が当たったんだ」などと、自分で自分を責める思考に陥りがちです。

私は、「今回は運が悪かっただけだ(次は大丈夫!次に行こう!)」と切り替えるスイッチを作っておかないと、考えても答えが出ない「他人の気持ちや、行動の意味」について延々と考えたり、勝手に反省したり、悩んだりの「負のループ」から抜け出ることができないことが多いように感じます。
単なる八つ当たりやイジメであることが明白であっても、それを客観的に「相手に問題があった」と考えることが、いまだに難しいことがあります。

2)個人の「お気持ち」頼みの社会福祉が、「ガチャ」を生み出している

また、私は虐待サバイバーであるということや、ひとり親であること、障害があることで、国や自治体のお世話になることが多いのですが、支援を受ける際に「担当する人次第で、受けられる支援の質や量が如実に変わる」という経験をしたり、自身の障害をオープンにして就労する際には「配属される部署や、直属の上司次第で、職場が天国にも地獄にもなる」という体験をしたり、ということが何度も起きていました。

「社会福祉」や「障害者に対する支援」は、残念ながら常にリソースが足りません。予算も人もありません。ですので、「親切な人に当たればラッキー」だが、「理解がない人や意地の悪い人に当たればハズレ」という状況に陥りやすいのではないかと思っています。

善意や慈悲、思いやりや奉仕の精神などの個人の「お気持ち」頼みになってしまっている社会福祉が、運次第で天国にも地獄にもなる「ガチャ」にしてしまっているのではないでしょうか。

3)生まれる環境で子どもの人生が変わる「親ガチャ」と、公助を怠る政府の関係


教育についても、日本は「義務教育は無償」といっているのに、実態は違います。

公立の小学校・中学校に入学すると、学校指定の体操着や水着、算数セット、習字道具セット、絵画セット、裁縫セット、ミシンの授業に使う道具などなどの購入する必要があります。また、毎月のように引き落とされる給食費、PTA会費、教材費、修学旅行や校外学習の積立金がかかります。
中学校に上がると夏冬の標準服、学校指定の鞄や上履き、名前刺繍が入った体育着セットも購入しなければなりません。これが本当に高いのです。

この問題については、諸先輩方がすでに長年取り組んできていらっしゃいますが、既得権益の壁をなかなか崩せずにいます。

子どもの学ぶ権利を阻害するものは、貧困だけではありません。
昨年、児童虐待防止策イベントで当事者のお話を聞いて、初めて意識するようになったのですが、「ヤングケアラー」も根深い問題のひとつです。

日本では、”親のために身を削る子ども”のストーリーが好まれる傾向があるのではないでしょうか。
「自分を犠牲にして、親を慰めたり、癒したり、世話をしたりする子ども」だなんて、私は想像するだけで胃が捻れるような苦痛を感じますが、例えば「亡くなった母の代わりに、父親の食事の世話をする小学校低学年の娘」のような話が、感動的なストーリーとしてベストセラーになってしまうことを考えると、「ヤングケアラー」は、日本社会に深く根を張った難しい問題だと思います。

親や親族のケアをするために、家事や介護を担わされている子ども。そのために部活ができない、アルバイトができない、学校に行けない、勉強の時間が取れない、進路が限定される、就職をあきらめるなどの問題が子どもたちの身に起きてしまっているのは、今の社会の「公助の弱さ」の現れであり、「家庭のなかの問題は、家庭で解決してね」と公的な支援を削り続けてきた、日本政府の方針の結果なんだろうと思います。また、そんな政府を選び続けてしまった、我々大人にも大きな責任があります。

社会の中に「つらさ」が溢れたときに、その「つらさ」は、より弱い立場の人間の方に流れて溜まっていきます。
社会の中でも、家庭のなかでも、最も弱い立場に置かれているのが子どもです。

生まれた家庭の問題で、子どもの権利が踏み躙られるような社会であってほしくありません。「親ガチャ」にハズレても、衣食住で困ることがなく、機会が平等に与えられ、暴力から守られることが保障され、成長する全ての過程で「生まれを理由にした不利益」を被らないようになってほしいです。

4)子ども虐待防止策イベント2021 に参加しよう!

前置きは長くなりましたが、昨年登壇させていただいた児童虐待防止策イベントが、今年もまた全国で開催されます。
虐待サバイバー・市民・政治家が集まり、新しい子ども虐待防止策を創り出すために議論できる貴重な機会です。
(今年も登壇してしまうと3年連続になってしまうので、新鮮味がなくなっちゃうかなと思うところもあり、私は一般参加で申込みしました)

昨年の東京会場でのイベントには、国会議員の山田太郎先生が来てくださり、ディスカッションの時間に約束した通り、虐待サバイバー達の声を聞く時間を作ってくださいました。

また、昨年、東京会場・神奈川会場で登壇した風間 暁氏が、議員会館で開催された「Children First の子ども行政のあり方勉強会」に招かれ、多くの政治家達の前で虐待サバイバーの観点から見た、児童虐待防止にまつわる問題点を発表させていただくことにも繋がりました。

この発表をきっかけに「子ども家庭庁」と予定されていた名称が「こども庁」になるということも起こりました。
下記のサイトで、発表の様子や資料を閲覧することができます。(風間 暁氏の発表は第6回です)


今年も新型コロナウイルス感染防止のための消毒や、ソーシャルディスタンスの徹底など、ボランティアスタッフが多くのリソースをさいて頑張っているようです。
私個人も、少額で申し訳ありませんが、各会場に寄付させていただきました。

今世紀最大ともいえるパンデミックのなか、最も弱い立場に置かれている子ども達が、家庭内での暴力や貧困による栄養不足、ワクチン接種の優先順位の低さ、学習の機会を失うなど、多くの危機に晒されています。

子ども虐待防止策について、ご関心のある方は、ぜひ下記のブログより各会場へのご寄付・ボランティア参加・当日のご参加予約などご検討ください。
アクションを起こしましょう!

イベントの内容や、各会場の詳細は下記のブログをご覧ください。


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