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古見さんはコミュ症だがコミュ障ではない?(選択性緘黙と高機能自閉スペクトラム症)

Netflixで「古見さんはコミュ症です。」というアニメがあり、コミュ症の専門家としては押さえておくべきと思い見てみたところ、とても面白かったし、専門家として色々思うところがありました。診療が忙しく、なかなかnoteが更新できていませんでしたが、かなり久しぶりに書いてみたいと思います。

古見さんはコミュ症です。」は漫画がアニメ化されたもので、ストーリーとしては分かりやすい恋愛ラブコメディーですが、女子高生のヒロイン古見硝子(こみしょうこ)さんの設定が変わっています。皆が振り返るほど容姿端麗で、頭脳明晰であるにもかかわらず、とても不安や緊張が高く、外ではほとんど会話出来ないため、筆談でコミュニケーションしています。幼少期からそういう特性であったため、友達が一人もできませんでした。

もう一人の主人公の只野仁人(ただのひとひと)くんは、名前の通り平凡で平均的な男子高校生です。容姿も頭脳も全く「普通」なのですが、高校の入学してたまたま古見さんと席が隣になり、彼女の「友達がいない」という悩みを聞き、卒業までに古見さんが友達を100人作れるように協力するというストーリーです。お話自体は漫画やアニメをご覧ください。

ヒロインの古見さんの特性を医学的に表現するのであれば、まず知的水準は間違いなくかなり高く、さほど凸凹もないタイプに見えます。主たる特性は「不安障害(不安症)」で、人からどう思われているか、どう見られているか、といった「他者からの評価」に非常に敏感で、その結果「学校を含めた人前では話すことができない」という選択性緘黙(せんたくせいかんもく)という診断がつく状態になっています。選択性緘黙の方は、家では全く普通に話ができますが、古見さんの場合は家ではほぼ以心伝心なため、親や兄弟ともあんまり会話せずにコミュニケーションしています。

不安障害の不登校」でも書きましたが、こういった不安の高いタイプの人は、不登校になりやすいです。ただ、選択性緘黙の場合は、緘黙になることでなんとか心の安全とバランスを保っているので、登校できる子もいます。

このように、古見さんの主たる特性は不安障害なのですが、専門家の視点でみると、もう一つ気になるところがあります。それは、軽度ですが自閉スペクトラム症の特徴も持っているところです。実は古見さんのお父さんも、さらにわかりやすい自閉スペクトラム症であるという家族歴からも、古見さんにその特性があることが予想されます。

自閉スペクトラム症は他人の気持ちがわかりにくかったり、そのせいでコミュニケーションが苦手だったり、変化が苦手でこだわりが強いといった特性を持っている人です。多くの人が幼児期から学童期に、学校などの集団活動において対人関係で支障をきたしてしまうために気付かれますが、古見さんのように全般的な知的能力(つまりIQ)が高く、さらに不安が高くて控えめなタイプの女児は、その知的能力の高さと控えめさによって幼児期や学童期にあまりトラブルになることがないため、その特性が見過ごされます。そしてそのまま思春期を迎え、いよいよ対人関係が高度で複雑になってきた段階で、古見さんのように「自分が困る」という形で顕在化することが実際によくあります。こういったタイプを「高機能自閉スペクトラム症」と言ったりしますが、女性の高機能自閉スペクトラム症の方は実際に、一般にはとても分かりにくいです。

そして古見さんのように不安障害(選択性緘黙)に軽度の高機能自閉スペクトラム症を合併したタイプは、まさに中学校で苦労することが多いです。十分に成熟していないけれども、非常にハイコンテクストな日本の中学生女子のピア関係がうまくいかず自信を喪失し、もともと低かった自己評価がますます下がり、どんどん不安になっていきます。普通だったら不登校になってしまいます。作中の古見さんも、中学校ではかなりつらい思いをしている描写がありましたが、勉強はできるのでかろうじて不登校にはならずに独特の生徒ばかりが集まる進学校の高校に進学しています。

現実もそうなのですが、高校は中学校に比べると比較的多様性が認められる部分が増え、自分に合った環境を選ぶことができ、周囲の同級生も徐々に成熟して大人になってきているため、他児への許容力が増えています。中学時代は孤立してしまっていたも、高校に入ってから程よい距離感や友達関係を築く中で、自信を取り戻して回復していくことが多いです。

もう一人の主人公の只野くんは、そんな古見さんとともに成長していく「普通」の高校生です。只野くんと古見さんの通う高校は、ものすごく個性が強い学生が集まる学校です。古見さんと同じように非常に不安の高いタイプ、他者に非常に依存的なタイプ、自己愛的でナルシシスティックなタイプ、明らかに強迫症の診断がつくタイプなど。そういった環境であるため、只野くんは「普通」で「平凡」であるため、当初は全く目立たないのですが、徐々に「普通」であることの素晴らしさを発揮していきます。実際、只野くんはもともと「普通」ではなくて、きちんと「中二病」を乗り越えて「普通」になった人であり、年齢相応の発達課題をこなしています。また、他者の気持ちを汲み取りそれに基づいて行動できるという「メンタライズ能力」が非常に高いです。一方で、男子高校生特有のちょっとした鈍感さも兼ね備えており、それがある程度、相手の自律的な変化を促すように働くこともあり、明らかにカウンセラーのような対人援助職の天性を持っている人物です。

物語としては、色々な個性をもったこどもたちが、それぞれの得意や苦手を発揮しつつ、徐々に自分にも他者にも優しくなっていけるというお話であり、現実でもこんな環境で、少し難しい特性を持ったこどもでも、仲間と一緒に成長していけると素晴らしいなと思えるものでした。

ちなみに、題名は「コミュ症」という言葉が使われています。「コミュ症」というのはきちんと定義されずに使われている言葉のようで、いわゆる自閉スペクトラム症のコミュニケーションの質的な障害を表す意味での「コミュ障」とは厳密には異なります。古見さんの場合、不安による選択性緘黙から筆談でしかコミュニケーションができていないことをとらえて「コミュ症」と表現しているのだと考えられますが、これまで書いてきたように、古見さんには軽度ですが高機能自閉スペクトラム症の「コミュ障」の部分もあると私は診立てています。作者は医学的知識を参照して「コミュ症」とされたわけではないようですが、近年、様々な精神疾患が「〇〇障害」ではなく「〇〇症」と表現されるようになっていることとも合致していて、作者のセンスや感性が素晴らしさが感じられます。

アニメなので多少誇張された部分もありますが、こういった特性を持ったこどもや青年が、どんな気持ちになり、どんなことに困り、どう寄り添ってあげればよいのか、どうしてあげたら前に進めるのか、分かりやすく伝えるメディアというのは、医学的診断を受けたりすることよりも、実はとても重要であると思っています。

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