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GAROへの道はなにで舗装されているか

その5:ヒットの周辺(約5分で読めます)

緊急事態宣言に伴う自粛期間中。
シナリオライターである私は、作品へのヒントとして、しかるべき音楽を捜していました。
その結果、GAROと出会い、ファンになったのです。
50年の時を越えて。
GAROが活躍していた当時、私は小学生でした。
おぼろげな記憶の中では、GAROは大人気。
あれだけテレビに出ていたのだから、動画もたくさん残っているだろうと思いました。
ところが、今、動画投稿サイトを巡っても、あまり見つからないのです。
早過ぎたのですね。
家庭用ビデオが普及するずっと前のことでしたから。

さて、『学生街の喫茶店』にこだわってばかりいるのもいい加減にしたいところですが、資料を見つけてしまったのでここに残しておきます。
『WiLL 12月号増刊 すぎやまこういちワンダーランド』(2011)。
ドラゴンクエストが好きなので買ったムック本ですが、「ひょっとしてGAROのこと載ってる?」と思い、見直してみました。
載ってましたよ。
今回のトップ画はそのページです。
そして、インタビュー「すぎやまこういち半生を語る」でも言及されていました。
以下がその抜き書きです。

「どうしてもクラシックがベースにあるので、「曲調が綺麗すぎる」と言われることもありました。だから作品が、いわゆる昔のレコードの「B面」になってしまうことが多かったんです。
 ところが、時間が経つと次第に「いい曲だ」と分かる。A面よりも、かえってB面の僕の曲のほうが売れてしまうということもありました。そこでついた称号が「B面の王者」。
 一番の典型が、一九七二年に発売されたガロの「学生街の喫茶店」。A面は村井邦彦さん作曲の「美しすぎて」だったのですが、レコードが出てしばらく経ってから有線放送で人気が出て、一年後くらいに大ブレイク。
 レコード会社が慌ててA 面とB面をひっくり返して、ジャケットも「学生街の喫茶店」が目立つように作り変えて発売し、二百万枚近く売れました。」

 ▼すぎやんは しょうごう「Bめんのおうじゃ」を てに いれた!
という感じですね。
クラシックが根底にあるというのはドラクエの音楽を聴いても容易にわかります。
『学生街の喫茶店』の憂鬱な前奏もラヴェルの『ボレロ』だと言われればそんな気がします(編曲は大野克夫)。

GAROといえば『学生街の喫茶店』だけの一発屋、と思っている人はけっこう多いと思います。現に私がそうでした。
しかし、調べると、他にも知っている曲が多かったのです。
大して音楽に興味のない小学生でも複数の曲を覚えているのですから、一発屋だなんてとんでもない思い違いです。
『手のひらの愛』
『ロマンス』
『どこまでも駆けてゆきたい』
この三曲は覚えていました。
覚えているどころか、好きな曲でした。
すっかり忘れてはいましたけどね。

『手のひらの愛』は、明治チェルシーのコマーシャルソングです。
1971年の発売以来何組ものアーティストが歌い継いでいて、初代は女性フォークデュオのシモンズ。GAROは二代目です。
当時、「男の人が甘いお菓子の歌を歌うんだ」って、意外でした。

『ロマンス』は、『学生街の喫茶店』『君の誕生日』に続くヒットで、この三曲は全部歌い出しが「君」なので、三部作のように扱われています。
この中では『ロマンス』だけが作曲・マークなので、GARO純度が高い作品です。
忙しい最中だったので、マークは東京から大阪に向かう新幹線の中でこの曲を考え、到着し次第、楽屋でギターを取り出して書いたそうです。
アレンジにマンドリンを使うことは最初から構想にあったとか。
GAROの新曲は『ロマンス』を含めた候補5作品が競うコンペ形式で、審査の場では緊張で足が震えたとマークがラジオで語っていました。
本来GAROというのは曲を作れるグループなのに、なぜオリジナル曲を通すのこんなに苦労しなければならないのでしょう。
そして、コンペを勝ち抜いた『ロマンス』はヒットし、レコード大賞大衆賞を受賞します。
1973年の大晦日のGAROは、レコード大賞で『ロマンス』を歌い、直後の『紅白歌合戦』で『学生街の喫茶店』を歌うという大活躍でした。
帝国劇場→NHKホールの移動の様子は、マークのblogに「いままでで一番気持ちの良かったドライブ」と書かれています。
ちなみに、NHKホールは1972年に完成、運用が始まったのが1973年でした。

『どこまでも駆けてゆきたい』はNHK『みんなのうた』の1973年作品。
『みんなのうた』ですから、後年まで繰り返し放送されていた覚えがあります。
好きな曲でしたが、歌っているのがGAROだとは気付いていませんでした。
作詞:谷川俊太郎 作曲:冨田勲
豪華ですね。
CMソングにみんなのうた。GAROは「歌手」としての需要も高かったんだなと思います。
とにかく上手いですものね。
こうしてみると、1973年はGAROのハイシーズンだったのですね。

人気タレント、歌手、コーラスとギターの名手、質の高い楽曲制作。
GAROの魅力は多面体です。
尽きることがありません。
(つづく)
(文中敬称略)

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