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「悲惨なアフリカを欧米人が助けにくる話はうんざりだ」

コンゴ民主共和国が舞台の映画『わたしは、幸福(フェリシテ)』の公開記念イベント

登壇されていたシネマアフリカという団体の方のお話が、とても印象に残っています。

「悲惨なアフリカを欧米人が助けにくる話はうんざりだ」
あるアフリカの映画監督がこう言っていました。

「悲惨なアフリカを欧米人が助けにくる話はうんざりだ」
そのうんざりするようなストーリーの向こう側には、どんな人の顔があるんだろう?

はじめてアフリカを訪れてから、そろそろ10年。
ずっとアフリカに興味があるのは、そこが気になっているからなのかもしれません。

最近はアフリカ出身の監督による、アフリカに暮らす「名のある個人」をリアルに描く作品もでてきているそう。(『わたしは、幸福(フェリシテ)』もそのひとつ)

トークのなかでは、

そのまま撮っても伝わらない。
リアルなものをリアルに伝えるには、監督の技量が必要。

というお話もありました。

リアルに伝えることよりも、誰かが好みそうなストーリーにすることを優先した、異様に悲惨なストーリーとか、逆にやたらきらきらしたストーリーとか。
「実際にアフリカ行ってきた私が言うんだから、これがリアル!」というテンションの武勇伝みたいなインターネットの記事とか。

日本の人によるアフリカも、そういう伝え方をされることがあるなぁと思います。
誰もが発信できて、わかりやすいものがバズる時代だからこそ、余計に増えているのような気もします。

この10年、亀の歩みで細々とやっているSalmonsの活動も、結局はアフリカの人ではなく、日本人が描くアフリカではあるのだけど。

「私たちが感じた」という主語のところをとばさずに、「私たちが感じたリアル」をどうすれば伝えられるか、誠実に模索していきたいなぁと、あらためて思ったのでした。

(この文章自体を書いたのは去年の冬で、イベント以来映画を見るタイミングを逃し続けていたのですが、今日から吉祥寺のココロヲ・動かす・映画館○で、公開しているそう。見にいきたい…!
そして、ここ最近仕事で関わった、『トレバー・ノア 生まれたことが犯罪!?』は、うんざりするようなストーリーの向こう側にあった、南アフリカ出身の一人のコメディアンのリアルなストーリーで、編集しながらずっとわくわくしっぱなしだったのは、それも大きかったのかなと思ったのでした)

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