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絶対忘れるながやめられない 1

~会社員6人組がCDをリリースするまでの記録~

2004年~2008年(絶対忘れるな以前)
'04、大学入学。高校の時に軽音部でベースを弾いていたのでバンドサークルをいくつか見て回って、なんとなく雰囲気が自分に合っていると感じたところに入る。そこでわりと序盤から仲良くしてもらった先輩が志賀ラミーさんと貫地谷翠れんさんの2人だった(※便宜上ぜわすネームだけど当時はもちろん本名で呼んでいた)。ちなみに志賀さんはギターとボーカル、すいちゃんはベース。

志賀さんは学科も同じで、わたしが1年生のときの5年生だった(志賀さんは当時精力的にバンド活動をしていたため一時期休学をしていた)。志賀さんは必修科目である「第二外国語」の単位をまだ取れておらず、落とすと卒業できなくなってしまうため「一緒に授業を取ろう」と誘われて 「フランス語Ⅰ」 を共に履修した。そのときの先生がめちゃめちゃ変な人だったんだけどそこは割愛。

サークルの先輩といいつつ、二人はそのころほとんどサークルに顔を出していなかったので一緒にバンドを組んだりしたことはほぼなかったのだが、なぜか個人的に仲良くしてもらっていた。すいちゃんのアパートで深夜にハルカリの「ストロベリー・チップス」のMVを見ながらダンスを踊りまくり、そのあとで突然「自分が何をしているかわからない」と言いながらすいちゃんの膝に泣き崩れたりもしたこともあった。自分でもなんでそんな心境になったのかさっぱりわからない。他にもそういうことが何度かあって(というか二人の前では何かあるとすぐ泣いていた)、当時隆盛していたmixiで志賀さんが「遊びが一段落すると"自分が何をしているかわからない"と言い出す。そこがいいところ」という文でわたしを紹介をしていたのを覚えている。

アルバ伊藤さん、ピーチジョン万次郎さんは普通にサークルにいた(いや、万次郎さんは6年生だったので普通はいないはずの年代なんだけど、単位の計算間違いとかで卒業できずやむなく在学していた)ので、ライブなどのサークル活動や飲みを通じて仲良くしてもらっていた。二人とも楽器がうまくて面白い先輩たち、という感じだった。ちなみにアルバさんもベース、万次郎さんはギター、ベースだった。

このときはぜわすのぜの字もないまま各々が各々のタイミングで卒業して行った。

つづく

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