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加齢と成熟

私は両親が20歳の時の子供で、親が若すぎて育てられず、祖父母と曾祖母に育てられたので、文化的に一世代古い人間なんですよ。祖父は昔の男だから子供を育てないでしょ?曾祖母と祖母はほとんど文盲で、知識をアップデートしないから、ほんとうちってピンポイントに前近代ワールドだったんですよ。そのせいで子供の頃から年寄り臭くて、小学生の時のあだ名が「おばあちゃん」でした。いじめられてたわけではない。そのくらい、なにもかもが古くて。いまだに同世代がなに見えてるのかわからないんですよね。。。💦若い子は二世代ぐらい下なので、さらにさっぱりわかんなくってねえー。たぶん漫画の感性的には団塊世代よりもちょっと下、ぐらいがちょうどいいと思うんです。ポスト24年組くらいの漫画が一番ぴったりくる、というか。

仕事でひたすら恋愛描けと言われたことが若い頃すごく苦手でこじらせまくった、というのもそのせいなんじゃないかとずっと思っていました。愛という概念じたいが、前近代と近代とでは違うかんじなのよね。家族も男女も。ひとさまの家の愛という概念が、「濃すぎる」と、子供の頃よく思っていました。前近代の愛っておおむね淡泊なんですよ。そのくせ、情はあるんです。母親の情、みたいなのも、目の前にいると子供にめっちゃものを食べさせてくるんですけど、目の前にいないと結構存在じたい忘れちゃうんですね。テンション低いんですわ。なんか獣っぽいなあーってよく思ってた。犬猫って、目の前にいると子供の面倒よく観るけど、親離れしはじめると結構そっけないじゃないですか。ああいうかんじ。私はおおむねこの辺の近代的な概念を少女漫画で勉強したと思っています。近代日本は西洋文化の影響が色濃くてキリスト教的なんじゃないかなあって勝手に思ってるんですけど、どーなんだろう?学者さんに訊いてみたい。

成熟、という概念も、前近代日本(と言っていいのかもよくわからない)と近代の欧米だと違うかんじがします。私は成熟しておばさんになり、おばあさんになることは悪いことではない、いやむしろ、いい歳して成熟してないの大人としてどーなの?社会とか次世代のこと全然考えないの大人としてどーなんだ、と思っている。おばさんやおばあさんになると馬鹿にしてくるひともいるけど、そういうひとは若い女性も馬鹿にするし、基本、大金持ちの才色兼備な美青年以外のスペック全部馬鹿にすると思うんですよー。いやそれでもアラを探すに違いない。そういう形の劣等感の裏返しなのだろう、みたいにも思っている。

現代は型みたいなのを軽視するけど、前近代日本のひとの心というのはだらっとしたゲル状なので、型にはめないといつまでたっても成熟しない。西洋は型なんか無くても強い近代的自我でみずからの形を形成するけど、日本人の我のありかたが基本ゲル状だから、型にはめる、という形で体裁を整えて社会を運営していく、という、そういうシステムだったのだろうと思うんですよ。そういうゲル状自我の国に西洋を無理やり導入して失敗したのが明治維新なのだろうなあ、と思っている。そして、どこにも行けない文化になっているのではないか。欧米的に近代化してるひとの自我なら大丈夫なんでしょうけど。


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