ききたい

森紀明に〇〇について聞いてみた(2)

PPP Project 「ちょっときいてみたい 音楽の話」第五弾は、作曲家でサックス奏者の森紀明さん。森さんは、日本でサックスを学んだ後、アメリカ、ボストンのバークリー音楽大学でジャズを、ドイツ、ケルン音楽大学大学院で作曲、電子音楽を学び、現在は拠点を日本に移し、幅広く活動されています。vol.1では、創作における「欲」「無欲」について。更に話は広がりました。

(森)ところで、わたなべさんは欲についてはどうですか?

――(わたなべ)20代の頃に、切磋琢磨していた同世代の友人たちが、コンクールで賞をばんばん取り出した時、物凄く焦りましたね。賞歴がないと、取り残されるんじゃないかって。そういう意味では今は欲薄です。

それは何で?

――十年前に欧州に来てから、コンクールや公募とか、手当たり次第にチャレンジしていた時期があって。そうすると、100出せば1くらい当たるわけなんです。でも、あんなに欲しかったのに、そこには喜びを見いだせなかった、「欲してたものってこれだったっけ?」って。それで、何だか空しくなってしまって。

なるほど。でも、それはそれで自信になったのでは?

――人に評価されることが自信になる人っていると思うんです。でも、自信って、言い方を変えると、自分が自分を信じること、そもそも他人が入り込むことじゃない。だからこう言うと傲慢に聞こえるけど、自分がやっていることに自信は持つべきだと思ってます。

それって、自分が積み上げてきたものに対する自信なのかもしれないですね。そこには、他者の承認を必要としないと。

――逆に褒められても「この人はこう思うのか、へぇ」って冷静に分析してしまったりする時がありますね。

確かに、わたなべさんってそういう感じありますよね。「良かったよ」って言っても、「あ、そうですか」って。褒め甲斐がないというか(笑)

――密かにガッツポーズしている時もあるんだけれど、そうは言っても人間だから。でも、反応が薄いっていう意味では、きっと教えてくださった先生からしたら、育て甲斐がない生徒だったんじゃないかな、って時々考えるんですよ。

そう?

――やっぱり反応があって、やってきてくれる子は育て甲斐がある、変化していく、その過程を共有できる喜びがあるんじゃないかって。私は、そういう意味では、あまり変化しないタイプだったような気がするんです。

でも、教師にとって育て甲斐があるかどうか、それって生徒の成長と、必ずしも相関関係はないと思うんです。教育って、もっと長いスパンで意味を成すことで。かつて、同じ教授のもとで学んだ韓国人の友達とも話したことなんだけど、僕も彼も、その教授とはあんまりいい関係を築けなかった。でも、言われたことはしっかり覚えていて、知らず知らずのうちに影響を受けている。結局、師弟の関係性って良好だろうが悪かろうが、そこまで重要じゃないのかなと個人的には思います。

わたなべさんは、日本の音大時代からオーストリア、ドイツと三つの大学を卒業して、その間にも頻繁に講習会に行ったりしていて、絶対的に受けてきたレッスン量が他の多くの人とは違うじゃないですか。率直に、作曲のレッスンってどのくらい大事だと思いますか?

―― 誰かに指導を仰ぐって、単にコネクションや経歴が欲しいとか、色々ある中で、私の場合は客観的に、他人が自分の作品に対して、どう思うか知りたかったっていうのが一番なんです。それって音楽の強度に凄く結びつくような気がしていて。特に、欧州ってローコンテクストじゃないですか。何となくだと通じない、どこまで何を共有できるか、わからない。

確かにすごく説明を求められますよね。何でここでこういうことをしたんだって。そんな中で、自分の作品に対する密度の濃いフィードバックをもらえることにメリットを感じていた、と。

――あと言葉に出すことの大事さ。先生と話している内に、ぼやっとしてたアイディアがまとまってくることも多々ありました。

レッスンに限らず、人と話すことで自分の考えがまとまっていくことってありますよね。その相手が多少なりとも自分が尊敬している人ならなおさら。
じゃあ、わたなべさんが考える良い先生って、生徒の考えをうまく引き出して、本人に整理させることができる人ということになるのかな?

――人って自分が見聞きしたことしか表現できない、と思っていて、新しいものって、突然降って湧いてくるわけじゃなくて、何かと何かの組み合わせだったり、もともとあるものを違う角度で見ただけなんじゃないか、と思うんです。だから、色々見たり、聞いたり、経験したりって、自分の経験を増やしていくことが、すごく大事なんだけど、それも限界がありますよね、身体は一つだし。だから、レッスンって、他の人が別の感性で吸収したものを、おすそ分けしてもらうっていうイメージなんです。「あなたがこう思っていること、実はこういう風にも捉えられるよ」とか「僕は、これを見て、こう綺麗だと感じた」とか、そういう些細ことなんだけど、その先生の美学を通して、今までになかった、別のフィルターを複数持つことができる。その意味では、森くんと話してることの時間だって、一種のレッスンみたいなものかもしれない。

人は自分が見聞きしたことしか表現できない。それは前に近藤譲さんも似たようなことをおっしゃっていました。「intuitionの99%はconventionである」と。ジェイムズ・ジョイス(James Joyce)も「想像力とは記憶のことだ」って言ってたみたいですね。村上春樹さんが前にどこかで書いていました。僕も確かにその通りだと思います。

わたなべさんの言う、おすそ分けしてもらうっていうイメージも、すごく腑に落ちます。そう言う意味で、特に作曲については先生だけでなく、わたなべさんをはじめ、ケルンで一緒に学んだ稲森安太己さんや東俊介さん、そして周りの友人からとても多くのことを学びました。だいたいは飲みの席でですが(笑)それは留学してとても良かったことの一つですね。

――これは、教える側になってから気付いたことなんだけれど、相互関係なんですよね。指導する側も気付かされる。指導者として、逆にこちら側が得ることってありませんか?

それはあります。わかりやすく伝えるために、無駄がそぎ落とされていくし、自分の思考もクリアになっていきます。こういうと語弊があるかもしれないけど、指導って一種エンターテイナーにならないといけない部分があると思うんです。指導内容もそうだけど、どういう手順で何をやるか。もちろん相手あってのことだけど、そこでの充実度は自分の手腕にかかっています。イベントをオーガナイズすることとも似ているかもしれない。生徒とコミュニケーションを取りつつ、全体的なバランスを見て、その時間を有意義に過ごしてもらう。

――先生が主役じゃなくて。

そうそう、だって主役は生徒ですよね?

――あぁ、それが案外出来なかったりしませんか?

そうなんですか?

――自分の意見ばっかり押し付けてしまったりとか。

確かにそういう人もいますね。

――レッスンへの姿勢だとか、創作に関してもそうだけど、森くんはやっぱり「リングに上がらない人」ですよね。それって案外難しいことだと思うんですよ、、、みんな基本自分が主役になりたい訳で。

うーん。逆に僕にとっては主役になるほうが難しいかもです・・・。

――それはね、少数意見なんじゃないかと思うんです、特にこの業界は。

そうかな?

――むしろ蹴落としてまで、のしあがりたい人ばかり。

蹴落とす(笑)なるほど、そういうのは確かに無いなあ。でもそれに物足りなさを感じる人もきっといると思いますね。カリスマ性があって、どんどん引っ張っていってくれる先生に憧れて、頑張れる子もいるだろうし。ただ自分は自分だし、そういう性格じゃないんだからしょうがないですね。

――あぁ、森くんの、そういう引き際の早さみたいなものも、独特。主役張りたい人には、なかなか成しえない技。

そう?

――だって、主役タイプの人はそこで悩んじゃう。「なんでついてきてくれないんだろう?」とか。それは創作においても同じで「こんなにやったのに(こんなに良い曲なのに)なんで評価がついてこないんだろう」って。

わたなべさんはそういうタイプなんですか?

――どうなんでしょう。ただ、人はそれぞれ違うから、みんなが同じように聞く、とは思っていない、だから、評価が割れて当たり前だし。そういった意味では「自分が聞いているようには、受け取ってもらえない可能性込み」で書いている。

わかってもらえない前提なんですね。でも、それなら作品を発表する意味ってどこにあるんだろう?

――いきなり難しい質問!

いや、逆に自分でも答えられないけど(笑)でも「誰かに認めてもらいたい」とか「理解してもらいたい」じゃないんだとしたら、どういうことなのかなって。

――そうだなぁ。誰かに認めてもらいたい、とかっていうのはないんです。個人単位では考えてなくて。一つの作品で社会は変えられないってわかってはいるんだけど、、、

ふむ。

――一種の社会貢献というか。

世の中を良くしたいとか?

――そういうと大事(おおごと)だなぁ、そう大したことでもないんだけど。
「こういう考え方もあっても良いよね」って、そのバリエーションが増えていくことが、世界のダイバーシティに繋がるんじゃないかなって。でも、芸術ってそもそも、その表現者がこの世界をどう見てるか、だと思うんです、人それぞれ認め合えたら良い。

なるほどなるほど。

――だから、逆に「誰が聞いても素晴らしい」が、どうも気持ち悪い。それが自分の音楽だとしても。極たまに共感してくれる人がいたら「同じ価値観の人が世界にいるんだ」ってそれはそれで救われるんだけど、それが大多数になるって、今はあまり期待してないんです。

そういう意味では、少なくても良いから、理解者がいることってやっぱり大事なんでしょうね。

――確かに、そうかもしれないです。

ちなみに2018年に発表した「朝もやジャンクション」、あれはどうでしたか?

――日本っていつもそうだけど、良い反応も悪い反応も、どちらも薄いんですよね。個人的には、それがいつも残念で。海外だと、コンサート終わった後、知らない人が声をかけてきてくれるんだけど、それがない。だから「どうだったんだろうな」って思いつつ、ドイツに戻ってきちゃって。

あぁ、そうなんですね。でも個人的にはポジティブな感想を耳にしましたよ。

――「朝もやジャンクション」では、やりたいことをやれたし、周りがどうこうとか、反応も気にしなかったっていうのもあって、あんまりエゴサーチもせず。あの場では、評価される対象でもなかったし。

森紀明に〇〇について聞いてみた(3)につづきます。

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