結局一人なのか。

【2月のさっきょく塾課題】

ひとりで作曲しますか?それとも誰かと共同で作りますか?

に対するレスポンス。

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もしかすると音楽は一人で作ることはできないのかもしれません。演奏家がいて聞き手がいるという構造から考えると、常に音楽は共同で作られている、とも言えるかもしれません。

このレスポンスの冒頭では、今まで行った幾つかのコラボレーション作品について書いていきたいと思います。

これまで何人かのアーティストとコラボレーションをしてきました。これらの共同作業は私の表現の根幹に影響を及ぼしていると思うので、ご紹介をさせてください。

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一つは永岡大輔さんとのコラボレーション作品。永岡大輔さんは、1973年山形生まれのアーティストです。ドローウィングを使った映像作品のほか、インスタレーションなど媒体は問わず、様々な形で作品を作っています。

最後の観察者

続きまして、瀧健太郎さん。1973年大阪生まれのヴィデオアーティストです。「Living in the box」は同名の瀧さんの作品に触発されて作ったピアノとヴィデオのための作品です。ビデオの中に現れる身体の動きに触発されて、身体の動きから音を考えた作品になっています。

最後は同世代のアーティスト、1984年生まれの荒川創也さんです。作曲に於けるノーテーションとは何か、2人でディスカッションを重ね、資本主義社会の中で発展してきた楽譜の形を問う、ために、一回フィナーレで書き込んだ楽譜を木彫りして、版画という形で再提示しました。

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ただ、わたしは創造作業は基本的には一人でやりたいと思っています。

人の想像力って凄くやわだと思うんですね。楽器の生の音を聞くことは魅力的だけど存在が強くて、頭で鳴ってる想像の世界はもっと薄らとしている。見たことない霧の中の城を見るような。

いつも思い出すのは、演出家の宮城聰さんの言葉で「言葉を欲望の奴隷にしない」ということ。音が何かの目的のため、音楽であり、演奏家であり、楽器であり、そういったものの奴隷にならない方法を考えています。

【追記】

あぁ、今ふと思ったけど、もしかしたら時間差の共同作業っていうのはあるかもしれないな。どこかで聞いたり勉強したことの何かが何年か後にふと蘇ってきたり。ものすごい年月を経た共同作業のようなもの。


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