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音ポスト⑤

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「音ポスト」今月で五作品目です。音ポストで読ませて頂く作品も引き続き募集しています。下記フォームよりお申込ください。

今月の作品は「金色夜叉」。編成は、アルトフルート、イングリッシュホルン、トロンボーン、打楽器、アコーディオン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、三人の男声、そしてソプラノソロ、テナーソロ。全体の長さは15分強~20分程度、小さなオペラの形式です。ここで言うオペラの形式というのは歌唱と楽器、合唱などが一緒になってドラマを運ぶ舞台芸術のことを指しています。

金色夜叉

音楽から遠く離れてしまいますが、作曲者さんがご自身で選ばれたプロットの存在が大事だと思いますので、自分の無知を承知で(!)勉強がてら題材となった「金色夜叉(こんじきやしゃ)」について、みなさんと一緒に見ていきたいと思います。

「金色夜叉」は、尾崎紅葉(おざき こうよう、1868~1903年)が書いた明治を代表する大衆小説で、1897年(明治30年)から1902年(明治35年)まで断続的に読売新聞で掲載されていました。ちなみに当時の読売新聞は小新聞(こしんぶん)と呼ばれており、娯楽要素の多い内容だったんですね。小新聞が政党新聞化するのは1880年以降です。あらすじは、辛酸なめ子さんのコラムで面白くまとめられていますので、是非読んでみてください。

活版印刷の普及

よく楽譜についてお話する時に出てくる話題ですが、文学の歴史においても「活版印刷」が関係しています。時代は戻って江戸から明治にかけて。

江戸時代初期に日本に入ってきた活版印刷の技術は様々な理由で定着せず、木版印刷が普及していたそうなんです。寺子屋の成果で庶民の識字率も高く、江戸時代には読書文化が定着していたそうですが、木版印刷のため部数は限られていたそうなんです。新聞・雑誌・書籍などの活字メディアが活躍し始めるのは、明治以降です(江戸時代のベストセラー面白そうです↓)。

日本における活版技術が浸透しはじめたのは1870年(明治3年)以降。活版印刷による新聞が刊行され、読売新聞社もほぼ同時期にスタートしました。そういった時代背景の中「金色夜叉」は新聞連載という形で生まれました。書かれる内容って、書く媒体によって変わるものだと思うんです。「小新聞に掲載」される形で広まった「金色夜叉」は、その内容と文体から庶民の爆発的な人気を引き起こし、広い層に愛されました。現在から察するに、きっとNHKの連続テレビ小説のような立ち位置だったのではないかと思います。以降形を変え、何度もリメイクされ続けている題材です。内容は所謂男女のメロドラマですが、「金権主義と恋愛の葛藤」は時代を超えて通じるテーマでもありますよね。

恋愛のかたち

ところで明治時代の恋愛って、現代のものと同じだったのでしょうか。

こちらで書かれているように「恋愛」という言葉が西洋から入ってきたのが明治時代ですね。

江戸末期の人情本が描くのは「世間」から隔絶した遊里を場とする「恋」であった。『当世書生気質』は明治10年代の東京を舞台に数多くの書生の生態を描いた小説であるが、彼らを取り巻く女たちは依然として娼妓、芸妓およびその周辺に限られている。
(日本女性の社会地位に関する歴史的研究より、シャジニナ・ハンナ著)

「当世書生気質」は坪内逍遥の小説で、「金色夜叉」の10年ほど前に書かれた作品です。「恋」の意味も現代と大きく異なり、また当時は家同士の結婚が当たり前であった時代ですから、「金色夜叉」で描かれているような「自由恋愛」は新鮮に人々の心に届いたのではないか、と思います。自身の美貌をもって高みに立とうとした宮の思惑と、「結婚」という制度そのものと「恋愛」の関係など、今と違う視点で見るのも面白そうです。

言文一致体と雅俗折衷体

さて、そろそろ音楽の話に戻したいのですが、最後にもう一つだけ。この作品の内容はさることながら、文体面において独特の体を成しています。

紅葉は「言文一致運動」(日本で明治から大正にかけて行われた書き言葉を話し言葉に近づけようとする運動)の一端を担った人物ではあるのですが、「金色夜叉」で用いていたのは、雅俗折衷文(かぞくせっちゅうたい)なんですね。雅俗折衷文とは、以下のような文体のことを指します。

明治初・中期に発達した文体。地の文は、雅文もしくは文語体、会話は口語体で、この名称は明治時代にできたが、そのさきがけは西鶴、近松にさかのぼる。(引用:コトバンク https://kotobank.jp/word/%E9%9B%85%E4%BF%97%E6%8A%98%E8%A1%B7%E6%96%87-230425)

地の文は文語体、セリフの部分は口語体、それが混ざっているわけなんです。ロマン!そして、この文語体の部分が非常に美しい。原文冒頭部分より。

未だ宵ながら松立てる門は一様に鎖籠めて、真直に長く東より西に横はれる大道は掃きたるやうに物の影を留めず、いと寂くも往来の絶えたるに、例ならず繁き車輪の輾は、或は忙かりし、或は飲過ぎし年賀の帰来なるべく、疎に寄する獅子太鼓の遠響は、はや今日に尽きぬる三箇日を惜むが如く、その哀切に小き膓は断れぬべし。(青空文庫「金色夜叉」より引用、https://www.aozora.gr.jp/cards/000091/files/522_19603.html)

セリフの部分は打って変わって、口語体です。

「おや、お帰来でございましたか」
「寒かつたよ」
「大相降つて参りました、さぞお困りでしたらう」
「何だか知らんが、むちやくちやに寒かつた」
(青空文庫「金色夜叉」より引用、https://www.aozora.gr.jp/cards/000091/files/522_19603.html)

今はある程度文体が固定されているので、この時代の文章を読むと面白いですね。この辺りも楽譜の記譜と似たような歴史を感じます。さてここから、ようやく音楽の話に戻りたいと思います。

音楽と言葉の関係

オペラは「言葉」と深く関係があります。「言葉」を歌わない現代のオペラもありますが、それでも背後に「言葉」が存在しているケースが多いのです。一度、作曲者さんが書かれたオペラ「金色夜叉」において「言葉」がどういった存在であったか、ということについて考えたいと思います。

「金色夜叉」は、実は音楽的ポテンシャルが高い作品だと思うんですね。上記の理由で作品のドラマ自体は大衆寄りのものであるにしても、そのドラマを伝える文体こそがとても美しい。なので、言葉に音をのせた時にその美しさをどう聞かせるか、一つの焦点だと感じました。

この楽譜を読ませて頂いた限りでは、作曲者さんは「地の文」を原文そのまま使用されていますね。そして、セリフの部分は恐らくですが、現代語版を使用されている。「地の文」は、お能で言う「地謡」のように、男性コーラスの低音でのっぺりと謡われています。これは、日本の能の形式を意識されていたからだと想像します。お能の地謡でも西洋的にピッチを合わせることがありませんので、こちらでもそれに準じて「音程の歪み」を敢えて作り出すよう作曲されています。

ヘ音記号で書かれたCの2パートが男声コーラスです。ぶつかり合う音程で書かれており、不気味な雰囲気を醸し出しています。お能で言う「強吟」に似た様相で狭い音程間で節が動き、リズムもある一定の規則の上で成り立っているように聞こえます。

終始に渡って、シテ・ワキ=二人の登場人物(ソプラノ、テノール)と物語を描写する地謡=男性コーラスという形で、お能に近しい役割が固定されていますが、途中の盛り上がり時点(100小節~)で、男声コーラスがメインになり、地謡の役割が拡大します。ここで流れが突如場面が変わったように感じました。楽器も必要最低限重ねられており、とても効果的な使われ方をしています。非常にドラマティックな場面です。

全体に渡って、少ない素材で緊張感のある音楽を作ることに成功されているように思います。

言葉を音にのせる、ということ

さてここで先ほど投げかけた質問に戻りたいと思います。「尾崎紅葉の文体の美しさをどう表現しようとしたのか?」ということです。「言葉を音にのせた時に、その美しさが出ていたのか」。そうでないと言葉は音楽の単なる道具になってしまう可能性があるからです。

「日本語を歌う」
ということが、そもそも一つの「大きな課題」だと感じます。「オペラ」が西洋的なフォームであること、そしてその上で「日本語を扱う意味」をどう見出すか、というのは良く言われることです。特に明治という特別な時代に「雅俗折衷文」で書かれた文章をどう音楽化するのか、というのは、非常に興味深い点であり、また作品を聞いて考えてみたいと思わせるポイントでありました。

音読と黙読

音楽以外の話が多くなってしまいましたが、上記の点に加えてもう一つ、自分自身に宿題を出したいと思います。良かったら作曲者さんのご意見も聞かせてください。先ほど出てきた活版印刷の歴史にも関わってきます。

江戸から明治へ時代が変わるとともに、読書のスタイルも変化していきました。活版印刷の技術が導入されることで、活字メディアを入手することが容易になり、本は「誰かに読んでもらうスタイル」から「自分で読むスタイル」に変わっていったようなんです。

書かれた言葉は読まれるものです。そして読むには「音読」と「黙読」の二種類があります(点字などはここでは一旦置かせてください)。特に、「金色夜叉」を語る上では、その時代背景から考えるに「音で発せられる言葉」「頭で読む言葉」の両面について考える必要があるのではないでしょうか。

オペラにおける「言葉」の扱い。踏み込んでいくととても面白そうです。また明治時代の変革期に使われていた「文字」「言葉」をそこに組み合わせると、別の視点からオペラを作ることが出来そうだなぁ、と思いました。素敵な題材をありがとうございました。また作品聞かせてくださいね。

音ポスト⑤作品を提供してくださったのは、横川朋弥さんでした。横川さん、ありがとうございました。

最後に少しだけお知らせです。現在さっきょく塾では塾生募集しています。作曲未経験の方からプロフェッショナルな方まで、老若男女問わずどなたでも大歓迎です。新規塾生さんの応募〆切は、2020年9月末です。継続も大歓迎です。


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