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自分のために、書いてもいいんだ。

ひょんなことから、何かがふっきれて数日。
noteを書く時も、心穏やかだ。


書くのは、一日の終わりに。
20時~21時とか。そのくらいの時間。

以前は、休みの日は昼間に書いていた。

仕事がある日の夜はゆっくり書けないため、いくつか書き溜めておき、少々編集するだけで公開できるように。3~4ストックがあることもあった。

「更新しなきゃ」ということに追われていたのだ。ストックがなくなると「やばい」という焦りが湧いてくる。

今は、これをやめた。
昼間は書かない。
書き溜めることもしない。

あくまで、一日が終わって自分が感じたことをそのまま書く。

時間があったら、他の人のnoteを読む側にまわる。
更新の焦りから解放されたからか、以前よりも読むことに集中できる。


夜。何を書こうか、ぼんやりと考える。
そうやって考えて、一つひとつ言葉を選ぶ時間も悪くない。

中身のない文章になっているかもしれない。
思いつくままに、ただ書いているから。

読んだ人に考えてもらえるような、「問い」を投げかけられるような文章にはなっていない。そういう文章が書きたいと思っていた。


その気持ちは消えていない。
でも今は、心からそれを書きたいと思えない。
書こうとすると「書かなきゃ」という義務感に苛まれる。

だったら今は、心のままに、自分のための文章を書く。
読んでくださっている方には、それを許してもらえるだろうか。


数日前、偶然こちらのnoteを目にした。

フォローさせていただいている、ひらやまさんのnote。

なんかもう、今の自分にどんぴしゃすぎて、一つひとつの言葉が心に響きすぎて、すぐにマガジンに保存した。

ただただ、自分のための文章を書けばいい。自分の悩みを整理する文章は、自分と似た悩みを持つ人の助けになるから。

ここ数日書いたnoteは、本当に自分のことしか書いてない。人に見せるものじゃないんじゃない?と、もう一人の自分が言う。

けど人に見られはじめて、ふっきれるような気がしたから、公開する形で書いてみた。

結果、自分は救わているけど、読む人にとってはどうなんだろう。
と、ちょっぴり不安ではあった。


でもひらやまさんの言葉に救われた。

似た悩みを持つ人の助けになることもある。そうか、書いてもいいんだ。

自分のための文章は、誰かのための文章たり得るから、張り切り過ぎずに、自分のための文章を書けばいい。

私は張り切りすぎていた。
張り切りすぎて、自ら自分を追いつめていた。
結果、書くことをやめたいと思った。
でも続けたいという気持ちが、ギリギリの所で消えなかった。

そして今、自分のための文章を書いている。

そっか、それでいいんだ。

ただただ、自分のための文章を書けばいい。その文章は、きっと誰かを救うことにつながるから。

誰かを救えるなんて、思ってない。

でも私がひらやまさんのnoteを読んで救われたように、誰かが私のnoteを読んで救われた、と思うことがもしあるならば、こんなに嬉しいことはない。


飾らなくていい。
強く大きく見せなくていい。

自分の心に正直に発せられた言葉は、誰かの心に届きやすいのかもしれない。
届けなきゃ、伝えなきゃと躍起にならなくても、自然に届くんだ。


これからもゆるやかに、一生懸命書こう。


ひらやまさん、ありがとうございました。



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