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苦さは、苦さのままで

今の自分が立つ場所を支える土台が、何によってつくられてるのか意識する。忘れちゃいけないことはなんだろう。

職場に新しい仲間が入った。これまで自分がしてきた仕事を教える。先生時代含めこれまでの職場では自分が一番下だったものだから「仕事を教える」という経験は実ははじめてで。(アルバイトではあるけれど)新鮮で楽しい。

否応なく過去の経験をふりかえることにもなる。

今の仕事に転職してから5年間いろいろあった。今でこそ自信をもってやれてることも、そうなるまでにどれほどの時間がかかったのか。子どもを預かる場としての責任の重さを背負い、散々悩んで、不安になって、失敗して、落ち込んで。決してポジティブな気持ちばかりではなかったことを思い出す。

そう、たくさん失敗してきた。私はどちらかと言うと失敗を回避するタイプだと思っていたけれど、どういう思い込みだったんだか。失敗しまくり、迷惑かけまくり。大けがや大事故、大トラブルに至ってないのは、周りにいたあらゆる人のおかげなのだ。


子どもに嫌な思いさせた。
スタッフに嫌な思いさせた。

中でも特に思い出すのはこれ。「傷つけてしまった」と気づいたのは事が起きてから。どうしてそんなふうに関わってしまったんだろう、どうしてそんな言葉を言ってしまったんだろう。今、過去の自分が目の前にいたらぱしーんと言ってやりたい。もっと相手の側に立ってみろと。

「失敗から学ぶ」と言うと聞こえはいい。けれどその言葉でまとめてはいけないこともある。確かに傷つけてしまった。そのことは忘れない。

そして学んだ。今、同じ状況になったらどうすればいいのか、あのころよりわかる。むやみに誰かを傷つけることは減ったんじゃないか。と思いたいだけかもしれないけれど。

一つだけ言えることは、あのころ「自分が誰かを傷つける」なんて思いもしてなかったこと。恐ろしい。今はその怖さを知ってる分、少し冷静に、客観的に、誰かと対峙する自分を見つめられる。

誰かを全く傷つけないことは無理なのだろう。「生きてるだけで誰かを傷つける」は極論だと思うけれど、自分が意図しない形で誰かがどこかで傷つく可能性はある。それでも「いらぬ傷」をつけていい理由はどこにもない。相手の側に立つこと。私はこれを忘れない。


過去があって今がある。

自分を支えてる土台を、忘れない。




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