解釈し、進む

少しの間投稿をおやすみしました。

気にかけてくださったかた、メッセージをくださったかた、ありがとうございました。「しんどい」と伝えてつっぱねられたらどうしようと不安だったので、その分あたたかい言葉に救われる思いでした。私も誰かがしんどそうにしていたら、声をかけられる人でありたい。

これからの文章は、整理のために書きました。長く、重いかもしれませんが、もしよければ読んでください。


祖母が亡くなりました。

ある手術で入院をしていて、それ自体はうまくいっていたものの、容体が急変しました。前日の夜に電話したばかりだったので、心肺停止という連絡が来たときも信じられなくて。正常性バイアスというのでしょうか。病院に向かう際も「祖母だけは大丈夫だ」と妙に信じていました。その願いは届きませんでしたが。

4月に一度、祖母のことを書きました

思えばこのとき少し嫌な予感はありました。一緒に過ごせる時間が短いことも覚悟したつもりでした。でも実際は全然できてなかった。やはり心のどこかで「祖母は大丈夫だ」と思ってたのです。そう思いたかった、のほうが近いかもしれません。

祖母は実家に住んでおり、生まれてから私が家を出るまでずっと一緒に暮らしてきました。だから両親と同じくらい、むしろ両親以上にお世話になった存在でした。その祖母がいなくなってしまった。


この世にもういない。
その事実が重い。

頻繁に会えてたわけじゃなかった。でも会えなくてもどこかで生きていることと、もうこの世のどこにもいないというのはこんなにも違うのかと、深く重く実感しました。「魂は近くにいる」「心の中からは消えない」という言葉を思い浮かべてみても、きれいごとじゃん、もういないじゃんと、亡くなった事実に向き合えない。

祖母は本当に眠っているようでした。「あら、きてたの」と言いながら起きてきそうな様子で、穏やかにすやすやと。でも声を聞くことはもう二度とない。

行き場のない感情の中身を覗くと「後悔」が占めていました。祖母からもらったものに対して何も返せてない、返す先がもうない。その事実に向き合おうとすると苦しくて息が吸えなくなりました。


でも、だからこそ。
最後にできることはないのか。

きれいごとですよね。自分が嫌になりました。

でもせめて、旅立ちのときにしてあげられることを考えたい。そう思わせられたのは姉の存在があったからでした。姉は祖母を一番いい形で送り出してあげようと最後に着るものを準備したり、遺影や、会場に飾る写真などを真剣に選んでいました。

「死ぬときはこの着物を着たい」と祖母が言っていたことも、私は知らなかったのに姉は知っていた。他にも、ここに日記があるだとか、実は孫たちに手紙を書いていただとか、いろんなことを知っていました。祖母が元気なとき、昔話を聞いて録音したり書面に起こしたりもしていました。これまで苦手だと遠ざけていた姉の見方が変わりました。

私ができることといえば手紙を書くことくらいでした。もちろん、もう読んでもらえないことはわかってるんです。後悔を少しでも減らしたいという完全な自己満足。もっとはやく書いておけよと何度も責めました。それでも書かずにはいられなかった。絶対に届くことのない手紙を。せめて、旅立ちのおともになったらと願いを込めて。


葬儀の前日、納棺の儀という場面に立ち会わせてもらいました。棺に入る前に納棺師の方々が支度をしてくれるのです。その支度が本当に丁寧で。見ているこちらも心が洗われるようでした。

祖母は体や髪を洗ってもらい、柄の美しい着物と帯を身につけ、足袋を履き、お化粧をして。好きだった歌舞伎を見に行くような装いになりました。「故人様はあちらにお連れしますね」と最後までちゃんと”人”として扱ってくれていた。心からありがたかったです。

旅立ちの日。みんな泣いていましたが、棺の中にいる祖母は穏やかな表情でした。淡いピンクや白のお花が、その表情をよりやさしく、やわらかくさせました。書いた手紙の封は空けたまま手元に置きました。

祖母の宗派は亡くなってすぐ極楽浄土にたどりつくと考えられているそうで、だからなのか「もう仏様になった気がするね」という伯母の言葉に大きく頷きました。不思議なことに葬儀後はぐるぐる渦巻いていた感情は消え、代わりに見守られているような安心感をおぼえました。

祖母が亡くなる前、危ないという連絡を受けたとき、実はある本を読んでいました。それは阿部広太郎さんの『それ、勝手な決めつけかもよ?』。ちょうど発売日で、数日前から心待ちにしていました。

目の前にある現実をどう捉えるか?
それは僕が、あなたが、決めることができる。

現実は変えられないけど解釈は変えられる。だから勝手に決めつけない、誰かの正解に飲み込まれない、自由への翼を手に入れるため自分なりの解釈をしようと、阿部さんの力強いメッセージや、解釈の具体的な方法が載っている本です。

祖母が亡くなった直後、「解釈」という言葉は浮かびました。でも「解釈なんてできるわけない」とつっぱねました。だってもういないんだもん。「いない」以上の解釈なんてできない。気持ちはすっかり閉じていました。

でも葬儀後に改めて本を開いたら、つっぱねる気持ちにはなりませんでした。亡くなって悲しい、さみしいのは事実。でもそう思いながら過ごすことを祖母は望んでいるんだろうか。今こそ解釈が求められてるんじゃないか。そう思い祖母が亡くなったことに改めて向き合いました。


2つの考え方を参考にしました。

1つは「現状を前向きに言い換えて解釈する」という考え方。

物事には裏と表がある。
今自分が抱える不安や心配事。
世界のすべてがそれ一色に思えてしまうけれど、そんなことはない。
その逆が必ずある。

祖母が亡くなった。この世からいなくなった。それは裏を返せば「もう大丈夫だ」と思ったのかもしれません。祖母が大切にしてきた生き方を、今生きている人たちに託せると。だから自分がいなくなっても、もう大丈夫だと。

「人生の引き継ぎ日」なのかもしれないと思いました。

仕事も、自分が辞める時は次の人に引き継ぎますよね。引き継ぎがされればその仕事は続いていく。祖母も人生という仕事を辞めるタイミングが来て、誰かに引き継ぎたかったのかなと。「あとよろしく」というざっくりした引き継ぎになりましたが、きっと今までの姿から思い出せ、学べということなのかもしれません。


もう1つは「未来を、その結果を前向きに想像して解釈する」という考え方。

思考の働かせ方として「その結果、どうなるんだろう?」と、とにかくこの先を考えてみる。不安や心配ごとが心の中で暴れている時は、その対象にくっついてしまいそうなほど、どんどん近づいてしまうけど、そういう時こそむしろ離れる。

祖母が亡くなり真っ先にやってきた感情はさみしさ、悲しさ、後悔でした。ただそれらをひっくり返すと、裏側にあったのは「感謝」でした。感謝が大きいからこそ、さみしさや後悔の気持ちがどんどんふくらんでいた。

「ちゃんとごはん食べにゃいけんよ」

よく祖母が言っていた言葉です。おいしいもの送ってあげるね、帰ったらおいしいもの用意しとくから、仕事大変ねぇ、ちゃんと寝なさいね、がんばってね、といつも自分のことより人のこと。

誰に対しても無条件に気にかけ体を心配しいつも声をかけてくれていた。これが祖母が大切にしていた生き方でした。とても自然で空気のようにそこにあって。だからこそ気がつかなかった。祖母の生き方に支えられ生きていることを。

祖母が亡くなった結果、これまでの恩に気がついた。
だから「恩送りのスタート」なのかもしれないと思いました。

残念ながら祖母はもういない。直接返せる相手はいない。だからその分、別の人へ恩を送っていく。送った恩はきっとまわりまわって自分に返ってくるのでしょう。返ってきたらまた送っていく。祖母もたぶんそうやって生きていました。そう生きて最後はとても幸せそうでした。

未来を向く考え方、選択肢があるのだと
知ってもらえたらと僕は思っている。

少なくとも私にとって解釈という選択肢は、行き場のない感情を受け止めるクッションでした。このタイミングでこの本が手元にあってよかった。阿部さんには感謝したいです。

どう解釈する?と問われ、こう解釈しますと答えた。その答えが正解なのか自信はない。都合よすぎるのかもしれない。でも、何かをしないための言い訳ではなく、何かをするための後押しになる解釈ならばいいのだと思います。きっと祖母は「それでいいよ」と言ってくれる。


これから、祖母が大切にしていた生き方を引き継いで、恩を胸に刻んで、自分以外の誰かへと還元していく。もちろん祖母が大切にしてくれた「私」のことも大切にする。

ちゃんと寝て、ごはんも食べよう。
「ごはん食べにゃいけんよ」を思い出して。


長文読んでくださりありがとうございました。




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