取り繕わず、正直であれ。

もうどのくらい歩いたのだろうか。
蝉の元気な鳴き声が、耳につく。


疲れと焦りが、少しずつ押し寄せる。

6人の子どもと一緒に、迷子になってしまった。

ある夏に行ったキャンプで、小1~小3の男子6人班を担当した。

川遊び、流しそうめん、キャンプファイヤー、ハイキング。3泊4日で、夏を満喫できる内容が盛りだくさん。

宿泊場所周辺には、豊かな自然が広がる。珍しい昆虫も生息しており、男の子たちの目はキラキラと輝く。私たちの班は、自由時間を昆虫探しにあてることにした。

「あ、いた!」

すばやく動かした手の中には昆虫の姿が。どうしてそう簡単に見つけられるのだろうか。

よりレア度の高い昆虫を探しながら歩く。虫かごの中は、少しずつ賑やかになっていった。 


もう一人のスタッフが、一足先に戻る時間になった。私たちが戻り始める時間までも、気づけばあと30分ほどになっていた。


「じゃあ、また後でね」

スタッフと分かれ、大人は私一人に。子どもは相も変わらず昆虫探しに夢中である。


「あと30分くらいしたら帰ろう」

子どもは草の中をくまなく探しながらも「おっけー」と返事をする。素直だ。


長いと思っていた自由時間は終わりを迎えた。
夢中になると、時間の経ち方が違う。


「そろそろ帰ろう」

子どもに声をかけ、戻り始める。


「あ~、もうちょっと探したかったな」

名残惜しそうなつぶやきが聞こえる。


今日はキャンプ3日目。明日は東京に帰る日だ。
東京の公園では、こんなにたくさんの昆虫は見つからないだろう。
つい名残惜しくなることも頷けた。

宿泊場所へ戻り始めてから、しばし経った。

なかなかわかる道に出ない。おかしいな、あの道に出るはずなんだけど。
もしかしたら変な道に入ってしまったのか。

いやいや、それにしても遠く離れてはいない。
焦らなくて大丈夫だ。そのうちわかる道にきっと出る。

私が不安になると、子どもも不安になる。「迷っているかもしれない」ということをしばらくは言わなかった。


「まだ着かないのー?」

そんな声が聞こえてきた。表情に疲れも見える。自由時間のスタートからは、2時間以上経過していた。

都心より涼しいとはいえ、夏真っ盛りの時期だ。
歩き続けると息も上がる。


私はいよいよ、道がわからなくなった。
自分の方向音痴さを恨んだ。

迷う余地のない場所だ。
自分でもなぜ迷ったのか、わからなかった。 
でも迷ったことは確実だった。


整備されており、危険な道ではないことが救いだった。 
おそらく距離的に遠く離れてはないものの、宿泊場所へ通じる道へ出ないと言った感じだろう。 


私はついに、子どもに打ち明けることにした。


「ごめん!道を間違えたみたい…すぐには着かないかもしれない。みんな疲れてるのに、ほんとごめん!」

子どもは何一つ悪くない。
だから、心の底からあやまった。


きっとブーイングが来ると思った。
でも、来なかった。


あれっと拍子抜けするくらい、子どもは私を責めなかった。

「大丈夫だよ、きっとこっちで合ってるよ」
焦っている私を見て、そう声をかけてくれた子。


「おーい、先に行くなよ」
私より先走る子を、止めてくれた子。


「これ使えば、ちょっと楽になるよ」
歩き疲れていた子を気遣い、杖代わりにしなよと虫捕り網を渡した子。

その子は最後尾で、友達の背中を押しながら歩いていた。
自分もきっと、疲れているだろうに。


涙がこぼれおちそうになった。
迷子への不安と、子どもの優しさが合わさって。


本部に電話をかけ、現状を説明した。
やはり宿泊場所から離れてはいないようだった。
電話口のスタッフからは、何やってんのと笑われた。


電話の案内に従って道を進むと、わかる場所に出た。

心の底からほっとした。 


自然の家に到着すると、リーダーが待っていた。
戻る約束の時間は、とうに過ぎている。

私が迷ったことはさて置き、子どもに対して「時間は守ろうな」という話があった。子どもは悪くないのだが、リーダーの信念があってのことだろう。子どもは真剣な表情で聴いていた。私が迷ったせいだとは、誰も言わなかった。


「あ!虫を帰してあげなきゃ」

そうだ、虫かごには昆虫が入れっぱなしだった。


昆虫たちには、昆虫たちの住所がある。
住んでいたお家に、帰してあげよう。


解き放たれた昆虫たちは自然の中へ帰っていった。
子どもたちの表情は、晴々していた。


その後子どもたちは「ゆっこが迷っちゃってさ、おれたちがんばったんだぜ!」と武勇伝を語るように、友達に話していた。


あれは、夏の思い出の一つになったんだろうか。 



間違ったら、あやまる。 

相手が子どもだからってごまかしたり、言い訳したりしない。

これはとても、大切なことだ。 


私が道に迷ったことはもちろんわざとじゃない。
でも、子どもは悪くない。
大人として、私に責任があった。
だから「ごめん!」と誠心誠意、あやまった。

そうしたら子どもは、私を責めるどころか力を貸してくれた。この姿に、本当に救われた。


取り繕わずに、どれだけ正直でいられるか。


子どもは大人を、よく見ている。



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