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展望塔のラプンツェル(宇佐美まこと/光文社/山本周五郎賞ノミネート候補作品)

<著者について>

宇佐美まことさん

1957年、愛媛県生まれ。2006年、「るんびにの子供」で第1回「幽」怪談文学賞短編部門を受賞しデビュー。17年、『愚者の毒』で第70回日本推理作家協会賞長編および連作短編集部門を受賞。著書に『入らずの森』『角の生えた帽子』『死はすぐそこの影の中』『熟れた月』『骨を弔う』など。

<山本周五郎賞とは?>

大衆文学・時代小説の分野で小説・文芸書に贈られる。エンターテインメント性が高く、日本の大衆文学賞として「直木賞」の対抗馬的な立ち位置だといわれることが多いが、大御所やベテラン作家が受賞する直木賞に比べて、山本周五郎賞は中堅作家が受賞する傾向が強い。ちなみに、山本周五郎は、直木三十五賞において授賞決定後に辞退をした史上唯一の人物です。

<あらすじ>

多摩川市は労働者相手の娯楽の街として栄え、貧困、暴力、行きつく先は家庭崩壊など、児童相談所は休む暇もない。児相に勤務する松本悠一は、市の「こども家庭支援センター」の前園志穂と連携して、問題のある家庭を訪問する。石井家の次男壮太が虐待されていると通報が入るが、どうやら五歳児の彼は、家を出てふらふらと徘徊しているらしい。この荒んだ地域に寄り添って暮らす、フィリピン人の息子カイと崩壊した家庭から逃げてきたナギサは、街をふらつく幼児にハレと名付け、面倒を見ることにする。居場所も逃げ場もない子供たち。彼らの幸せはいったいどこにあるのだろうか―。


<感想>

児童虐待による悲惨な事件の報に接するたび、あの子たちをどうにか救えなかったものかと考えませんか。
(そしてまた自分の無力さにため息をつくのではないでしょうか。)

そんな私達を代表して、宇佐美さんの想像が生んだ、人と人とのつながりがもたらした、「あったかもしれない」小さな奇跡と救いの物語です。

 登場するのは虐待されている幼い男の子と、その子をとりまく地元住民。いわば「他人」です。男の子は、食事もろくに与えられず、言葉も発せず、街を独りでさ迷い、また親は探すこともありません。「他人」である彼らもまた、ひたむきに自分の人生に向き合っています。

男の子の声なき声をすくい取るのは、日々の仕事に忙殺されている児童相談所の職員でしょうか?
同じような目に遭いながらも荒んだ地域でたくましく生きる17才の少年や少女でしょうか?
それとも長年不妊治療を受けながらも、わが子を身ごもることなく、向かいの家の被虐待児を一心に見張り続ける主婦なのでしょうか?

地域のランドマークである海辺の展望塔の下で、束の間、他人同士の人生が交錯していきます。

他人である彼らは、積極的に「この子を助けてやりたい」と意気込むわけではありません。ただ気にかけて関わっていくだけです。そしてその些細な気づきや興味、独りよがりな思いはリレーのようにつながっていきます。


『この男の子にも見られるように、子供は自ずからたくましい生命力を内包していて、貪欲さも野性的なのびやかさも持ち合わせている。
だから、そっと背中を押してやるだけで、子供は生きる術を見つけ出すことができるのではないか。
そしてその力添えをするのは、赤の他人でもかまわないのではないか。』


虐待という不条理な世界が実際にあることをあらためて思い知らされます。一方で、子供たちには強さがあるのだから、あなたにもいつか何かできるかことがあるかもしれないよ。と、宇佐美さんに教えられた気がします。

著者である宇佐美まことさんは、地方都市で主婦として生きてきた経験を生かし、人間の負の側面を怪談へと導く作風『愚者の毒』で2017年日本推理作家協会賞を受賞なさっています。市井の人々に潜む暗い情念を書くことがお得意のようです。

この作品も少し長いですが、心揺さぶられて下さい。


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