「怪異捜査官」第1話
【あらすじ】
様々な異常存在【怪異】を取り締まる怪異捜査官。
黄昏市の怪異対策課に移動となった葛城は、そこで怪異の力を持つ殺人鬼とコンビを組み事になる。
【第1話】
夜の闇に沈むシャッター通り。
その一角に簡素な白い建物がある。
看板は文字が掠れて読めず、辺りには用途不明のガラクタが野晒しで転がる。廃墟と見間違えるような佇まいだった。
玄関扉の隙間から、仄かに明かりが漏れている。
その奥に広がる室内には、一人の男がいた。視線の先にあるのは小さなテレビ。ニュース報道の最中らしい。
中央に立つアナウンサーが、険しい口調で話す。
『怪異による被害が悪化する一方、治安当局の責任ついて言及されています。また、一部団体が主張する怪異の人権ですが、場合によっては武力衝突の可能性も……』
欠伸を噛み殺しつつ、男はリモコンでチャンネルを変えた。あまり関心を引かれる内容ではなかったようだ。かつかつと靴が音を刻む。
次に映ったのは、緊迫感の漂う繁華街の映像だった。スタジオのキャスターと現場のリポーターが何やら会話している。
それまで眠たげだった男の目が、唐突に輝いた。ソファに座ったまま身を乗り出し、食い入るように液晶画面を見つめ始める。この番組のどこが彼の琴線に触れたのか。
現場のレポーターは、カメラに向かって言った。
『怪異です! 怪異が現れました! 泣き叫ぶ市民を容赦なく殺し回っています! あっ、今まさに男性が一人……』
レポーターの指し示す先で、サラリーマンの頭部が叩き潰される。撒き散らされた脳漿と骨片。
サラリーマンの命を奪ったのは、一本の太い触手だった。
不気味に蠢くそれは、傍らに立つコート姿の男の袖から伸びている。どうやら彼が騒ぎの原因らしい。目深に被ったソフトハットのせいで顔は窺えない。
コートの怪人は、逃げ惑う人々に次々と襲いかかった。
腹を引き裂かれた女が、臓物を抱えて悶絶する。
金髪の若者が、触手の溶解液で生きたまま溶かされた。
現場はまさに阿鼻叫喚の有様だ。華やかなネオンが血と肉片で彩られている。
やがて映像が暗転し、悲鳴と呻き声が上がった。リポーターとカメラマンも殺されたらしい。
中継映像はそこで終了し、重苦しい空気のスタジオに切り替わる。
「平和ですな」
テレビを見る男は、一言そう評した。
手入れを怠けたワイシャツとスラックス。だらしなく羽織った白衣には、赤黒い染みが点々と付いている。
端正な顔つきは、二十代後半ほどだろうか。
嬉しそうに笑った男は立ち上がり、テレビの電源を消した。投げ捨てられたリモコンが、破れたソファの上で跳ねる。
壁に貼られた市内地図を眺めながら、男は首を捻った。
「ふむ、場所はどこでしたっけ」
その時、事務机に置かれた黒電話のベルが鳴り出した。
男はゆったりとした動作で受話器を手に取る。
「はい、世崎です。……えぇ、ちょうど観てましたよ。さっそく行ってみようかと思いましてね。それで場所は……なるほど、ありがとうございます」
数度の応答を交え、男――世崎は通話を切った。
口笛を吹きつつ、軽やかな足取りで事務所の扉を開ける。
涼やかな夜風が彼の黒髪を揺らした。
「今宵はいい月ですなぁ」
世崎はゆらゆらと歩き出す。
そのままどこかへ行くのかと思いきや、数歩もしないうちに立ち止まった。
彼の目はある一点を凝視している。何か目当ての物を見つけたらしかった。
世崎は興味津々といった様子で道端に近寄る。
「ほうほう、ちょいとお借りしましょうかね」
そう言って世崎が掴んだのは、バス停の標柱だった。
先端の丸いスチール板には「黄昏市商店街」の文字、下部には時刻表と路線図が記載されている。
身の丈を越えるそれを、世崎は軽々と持ち上げた。これが欲しくて立ち止まったらしい。
彼は回れ右をして移動を再開する。
標柱の重しが引きずられてアスファルトを削った。
世崎は軽く首を傾げる。
口元には狂気を孕んだ笑みが浮かんでいた。
◆
死体と血だまりに浸った通り。
バス停の標柱を片手に、世崎は繁華街を進む。
口笛混じりに踏み潰される肉片。咎める者はいない。生きた人間は、とうの昔に逃げ出していた。
世崎は十字路で足を止め、ゆったりと周囲を見回す。
「この辺りにいそうな気が……おっ」
右から女性の甲高い悲鳴が聞こえてきた。
世崎は目を細め、そちらの方向へと歩き出す。
しばらくすると見覚えのある場所にまでやってきた。
道の真ん中には、惨殺されたレポーターやカメラマンが倒れている。ここがテレビ中継の現場だったようだ。
世崎は特に気にすることもなく素通りした。彼の目的はさらに奥にある。
濃厚な血の臭いが鼻を突いた。店先のネオンが虚しく瞬く。
本来ならば、この時間帯でも人が溢れているのだろう。
怪人が夜の繁華街を狙ったのは、何か意図があってのことか。
尤も、それは世崎にとって些事である。
彼の思考は、怪人の殺害で埋め尽くされていた。
朗らかな笑みでも隠し切れない、瞳の奥に渦巻く感情。
やがて、前方にいくつかの人影が見えた。
噴き出す血飛沫を認め、世崎は嬉しそうに声を漏らす。
「おやおや、楽しそうですねぇ」
コートの怪人が、逃げ遅れた人間を惨殺していた。
触手が振るわれるたびに血肉が舞う。
我先にと駆け出す者も、捕まった挙げ句に溶かされた。
まさに一方的な虐殺。そこに慈悲はない。
やがて襲われた人間は死に絶え、怪人だけが残った。
全身を血に染めた怪人が振り向く。
ソフトハットから覗く陰気な双眸。確かな殺意を湛えたそれは、標柱を握る白衣の男を捉えていた。
交錯した視線は、殺し合いの合図だったのか。
目を爛々と輝かせながら、世崎は歩みを早める。
「私も入れてくださーい」
対する怪人の返答は、無言の攻撃だった。
触手がしなり、鋭く振り抜かれる。赤い血霧が破裂した。
棒立ちだった世崎は弾かれ、近くのショーウィンドウを砕き割る。着飾られたマネキンが倒れてバラバラになった。
世崎は店内に吹き飛ばされたまま姿を見せない。触手による殴打が致命傷となったのか。
触手を仕舞った怪人は、おもむろに踵を返した。
その背後で、黒い影がショーウィンドウから出てきたのも知らずに。
「いやはや、なかなか便利なモノをお持ちですな」
心底から感心するような声。怪人の動きが止まる。
黒い影は気持ちよさそうに伸びをした。闇夜でもはっきり分かる微笑に、狂気の宿る瞳。段差を引きずられた標柱が鈍い音を立てる。
世崎だ。白衣が裂けて血が滲んでいるにも関わらず、彼は平然としていた。口笛混じりにガラス片を払う様子からは、ある種の余裕すら感じられる。
それを見た怪人は、しゃがれた声で尋ねた。
「……貴様、何者だ」
すかさず世崎は愉快そうに答える。
「通りすがりの殺人鬼ですよ。あなたを排除しにきました」
世崎は標柱で地面を小突いた。アスファルトに蜘蛛の巣状のヒビが走る。破壊的な言動とは裏腹に、彼の顔は未だに朗らかな笑みを浮かべていた。
「排除だと? 舐めるなよ……」
相手の殺意を悟った怪人は、袖口から触手を伸ばす。そこには欠片の油断もなかった。相手がただの一般人ではないと分かったようだ。
鋭い角度を以て、触手は這うように進んでいく。
「ワンパターンとはいけませんなぁ」
世崎が異常な速さで駆け出した。
上体を捻り、迫る触手に標柱を振り下ろす。
「あらよいっと」
間の抜けた声で繰り出された一撃は、触手を正面から叩き潰した。地面が大きく陥没し、緑色の溶解液が四散する。あちこちから白煙が立ち上り、濃密な悪臭が漂い始めた。
世崎は満足そうに頷き、半壊した標柱を握り直す。
「うーん、もう終わりですかね」
「…………」
怪人は答えない。ただ呆然と立ち尽くすのみだ。地面にめり込んだ触手は動きそうにない。
「はぁ、仕方ありませんな」
残念そうに肩を竦めた世崎は、標柱を掲げて躍り掛かった。獰猛な動きで地を蹴り進む。
次の瞬間、怪人が片腕を持ち上げた。袖口から新たな触手が飛び出す。
怪人は淡々と告げた。
「終わりだ」
一直線に伸びた触手が世崎の身体を突き破る。ぶちまけられる臓腑。世崎の笑顔が固まり、白衣が赤く染まった。
先端に心臓を絡ませた触手は、巻き戻しのように袖口へと消える。
世崎は呆然と自身の胸部を見下ろした。肉片で構成された赤い空洞。鮮血が止めどなく溢れる。
吐血して倒れる世崎に、怪人は冷たく言い放った。
「早計だったな。俺は二本の触手を持っている。気を抜いたのが貴様の敗因だ」
「なるほど、ご丁寧にありがとうございます」
世崎が有り難そうに答える。胸に大穴が開いた状態で、彼はむくりと起き上がった。体内から千切れた肺が零れ落ちる。
がしがしと頭を掻きながら、世崎は苦笑した。
「いやぁ、私としたことがお恥ずかしい。まさかこんな風に」
「――――っ!?」
驚愕する怪人が反射的に攻撃を試みる。
しかし、突き出した触手は世崎の手に掴まれた。慌てて引き戻そうとしたが既に遅く、触手はあっけなく握り潰される。迸る溶解液が世崎の腕を焼いた。
それでも彼は笑顔を絶やさない。爛れた指で顎を撫でる。
「触手はこれで全部でしたよね。さて、どうしましょうか」
「化け物め……!」
歯噛みする怪人は悔しげに後ずさった。
頼りの触手を失い、距離を詰められている。身体能力には自信があるものの、眼前の男に通用するとは思えなかった。
そもそもなぜこいつは生きているのか。
明らかに致命傷を与えたというのに。
当惑する怪人をよそに、世崎は意気揚々と標柱を振り被る。
「万策尽きましたな。それではさよーならー」
低い唸りを上げた一撃は、怪人の首を断ち切った。
黒い頭が宙を舞い、近くの郵便ポストにぶつかって転がる。
断面から血を噴き出しながら、怪人の身体は崩れ落ちた。二本の触手が急速にしおれて枯れ果てる。
ひしゃげた標柱を捨てた世崎は、怪人の死体を見下ろした。弱々しく痙攣するばかりで再生の気配はない。
高揚感の失せた世崎はそっぽを向いて言う。
「……ちょいと期待外れですね」
小さな呟きが無人の繁華街に浸透した。
世崎は白衣のポケットを漁り、百円ライターと煙草を取り出す。慣れた動作で火を付け、血塗れの唇でくわえた。
深く息を吸って存分に味わう。穿たれた胸の穴から紫煙が立ち上った。
世崎は小さく頷き、ゆらゆらと歩き始める。
「今日の夕食は何にしますかな」
遠くでパトカーのサイレンが聞こえた。こちらに近付いてくる。
それでも世崎はどこ吹く風といった様子であった。
触手に貫かれた胴体も、溶解液で爛れた腕も気にかけない。
月光に照らされる下、傷だらけの殺人鬼は笑う。
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