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10ヶ月の息子がPCR検査を受けることになった

東京では、毎日数十人から数百人の感染者が発生している新型コロナウイルス。
検査数はその数倍に及ぶが、それでも東京の人口からすると微々たる人数である。

小さな子を持つ親として、日々ウイルスの脅威に怯えて生活をしているが、どこかでそれはまだ「ニュースの中での出来事」であった。
やり過ぎだと言われるくらいに気をつけてもいるので、まさか我が家の誰かが検査を受けるような事態になるとは思ってもみなかった。

始まりは熱性痙攣(けいれん)

ことの始まりは次男の発熱だった。前日まで何の問題もなく元気だった彼が突然熱を出した。
午前中は37.8度。
元々乳児の体温は高いため、38度を超えない発熱は、まぁ微熱に毛が生えた程度かなという認識でいた。

日曜でかかりつけの医院が空いていないのもあり、翌日まで様子を見てみようと思っていた。

ところが、夕方になるにつれ熱はどんどんあがっていき、次男はものすごく不機嫌に。体温は38.5度ほどになっていた。
頭を冷やし、何とかあやしていたが、突然身体が硬直し、小刻みに震え始めた。熱性痙攣である。この辺りの体験談は、誰かの役にも立つかもしれないと思うので別のポストで詳しく流れを書きたいと思うが、結果救急車を呼び大学病院へ緊急搬送されることになった。

コロナの影響で、救急の状況が逼迫していることは知っていたため、救急車を呼ぶことにはかなりの躊躇いがあった。
結果 #8000  の子供医療電話相談にて状況を説明し、その判断に従い救急車をお願いすることにした。

病院は厳戒態勢

この騒動が始まってから大きな病院に足を踏み入れるのは初めてだった。

面会禁止の張り紙、訪問者はマスク着用必須の号令と普段とは違うピリついた空気を感じる。
夫は仕事だったため、連れてきた長男と待合ロビーで待つことになったが、そこにいる全員がソーシャルディスタンスをそれなりに意識して座っている。

救急隊員、そして病院スタッフには直近の海外への渡航歴をまず訊かれ、感染症の問診表のようなものを手渡され記入した。
次男本人、そして私に発熱や風邪などの症状がないかなどを書いていった。

やっと次男の顔が見れたのは病院に着いてから3時間後のことだった。
「テントみたいなところに入ってます」と看護師から説明を受け次男の元へ向かうと、ベッドに寝たまま周りを透明のビニールシートのようなもので囲われていた。
最初はそれが何なのかわからなかったのだが、後に次男がコロナの感染者であることを想定した、感染防止策だったのだと気づく。

え?コロナの検査?

待っている間、ひたすら熱性痙攣の症状や、原因について調べていたが、新型コロナウイルスのことは全く頭になかった。
海外にも勿論行っていないし、周りに感染者もいない。
接触8割減どころか、この数ヶ月ほぼ家からも出ていないのだ。

我が家の場合、夫は職場に行かないといけない職種のため、公共交通機関を使い通勤をしている。
だが、シフト制の業務のため、いわゆるラッシュアワーの電車には乗っていない。
電車の中でソーシャルディスタンスを保つのはもちろん、つり革や手すりなど何も掴まない、改札機にもPASMOは密着させないなど徹底してもらっている。

手洗いは勿論、ずっとマスクも着用している。職場は窓がないため換気はできない。同僚は特定少数、という状況だ。外食はやめるようにお願いし、お弁当を持参している。
また帰宅してからは、玄関で服を脱ぎリビングには持ち込まず、自身もそのままお風呂に直行してもらっている。
お風呂に入らないと、家族への触れ合いはできないというのが家族の決め事だ。

私はこの騒動で育休を延長し、基本的に自宅に篭っている。外出はスーパーと八百屋に行くくらい。
スーパーは3日に1回どころか、「2週間に1回」という目標を立てて計画的に買い物をするようにしている。行く時はもちろん完全防備。マスクをして上からウイルス防止スプレーを顔中に振りまき、スーパーについたら入り口でのアルコール除菌も必ず行う。
もちろん子供は連れて行かず、自分1人で行くようにしているし、支払いはなるべく電子マネーで現金は触らない。青空八百屋が家から3分の距離で週2回開催されるので、そこには週1いくようにしている。

保育園に通っている長男も自宅保育することにし、家の中、庭、アパートの駐車場でのみ遊ばせている。週に1回夫に近くの森(木しかなく、誰もいない)に散歩に連れて行ってもらっているが、他は商業施設はもちろん、公園にも連れて行っていない。
次男に至っては1歩も家と庭から出していない。

デリバリーが来た際には、ダンボールは玄関で開けてリビングには入れない、受け取ったあとは手を洗う、1日1回はドアノブや携帯を除菌する…とここまでやっているのである。
もう正直言ってこれ以上努力しようがないところまで必死に頑張っているつもりだ。

だからこそ、「コロナの疑いを拭い切れない」「PCR検査をする」と言われた時は、なるほど…!そうか、そういうことになるのか…と衝撃を受けた。

血液や髄液、CT検査で問題はなかったものの、肺に多少影があった(肺炎?)ための判断らしい。

コロナ患者を受け入れている病院へ移送

痙攣が落ち着き、意識が戻ったあと、私たちは担当医師と共に、コロナ患者を受け入れている病院へと向かった。
そもそも最初に診てもらった大学病院は満床で入院ができないそうだ。

到着した病院も、飛沫が飛ばないようにと受付にビニールシートが設置されていたり、待合の椅子は感覚を開けて座るように、真ん中のシートには「×」印がつけられたりしていた。

処置室に行くと、マスクとアイカバーをつけた医師と看護師が対応してくれた。書いた書類も1枚ずつビニール袋の中に入れて保管するルールになっているようだ。
看護師は頻繁に手袋を取り替えており、かなり気をつけながら処置を行なっていることが伺えた。

医師の初見では、おそらくは突発性発疹で問題はないのではないかとのことだったが、急性脳症などの合併症のリスクがあるので1週間は入院して様子をみることになった。

PCR検査は長くて3日ほどで結果が出ると言われた。
ニュースでは「PCR検査を受けたくても受けれない!」みたいな意見を見ることが多かったので、こんなに早く検査されることに驚いた。
熱が出たのもまだ1日だし、他の風邪の症状はないのだが。
やはり肺の様子がおかしいかもというのが、検査の後押しになったようだ。

そして医師には「お母さんも濃厚接触者ですから、外出とかはしないでくださいね」と念を押される。まだ陽性だったわけではないものの、可能性がある限り、行動にさらに慎重にならなくてはいけない。
夫も会社に状況を説明し、特別に数日在宅勤務に切り替えてもらうことにした。

しかしながら、「濃厚接触者」の言葉の響きにもう恐ろしさを感じてしまう。まさか実際にそんなことを言われる日が来るとは。
ニュースでよく聞くこれらは、決して遠い世界の話ではないのだ。

何よりも辛い子供との別れ

自分たちの行動が制限されるのは、全然問題ない。そもそも、普段からかなり自己規制しているのだし。

ただ、子供にしばらく会えないというのはかなり苦しかった。
元々搬送された病院では、「お母さん一緒に寝泊りできますか?」と聞かれていたため、次男のそばについて病院に残るつもりでいたのである。

がしかし、新型コロナウイルス感染の可能性がある状態では、家族も一切本人と接触をすることはできないらしい。
もうここでお別れになりますからね、お母さん」と言われ胸が痛む。
40度の熱を出し、苦しんでいる我が子を置いて帰らなくてはいけないのだ。

本来であれば入院に必要な物品を面会者が持参するが、それもコロナ疑い患者の場合はNGらしい。全て病院のものを使うようにとの指示が出た。

コロナ感染患者、そして感染疑い患者専用の病棟に運ばれていく次男の姿を見るのはとても辛かった。
何事もないように…と祈りながら、深夜2時私は1人で帰路に着いた。

子供の様子を知りたい

入院して1日目から、私と夫は精神的にかなりダメージを受けていた。
熱性痙攣が起こり、病院へ行って検査を待つまでも生きた心地はしなかった。
でも、私がしっかりしないと!という一心で何とか自分を保っていた。

既にボロボロの状態だった私の心の堰は、1日経ち完全に崩れてしまっていて、次男の哺乳瓶や、小さな靴下が目に入るたびに涙がこぼれ落ちそうになっていた。

冷凍庫を開けると、昨夜、夜ご飯に食べさせようと思って準備していた離乳食がそのまま残っていた。
夜ご飯も食べれずにお腹空いてただろうな…。昨日はこのご飯を食べていつも通り一緒にお風呂に入って、眠って、今頃起きてまた朝ごはんを食べていた頃なのに…と頭の中を一瞬にして切ない思いが駆け巡る。

急いで家を出たため、気道を確保するために外した次男のスタイや嘔吐した簡易ベッドもそのままリビングに残っている。
もう思い出したくもない、恐ろしい記憶がまたしても蘇る。

仕事を開始する前の夫にふと目をやると、ソファでじっと携帯を見つめたまま固まっている。満面の笑みの次男の写真を見ながら、泣いていた。
その姿に私の目からも思わず涙が溢れた。夫と「大丈夫、強い子だから」と泣きながら抱き合い励まし合った。

その日は次男といつも一緒にいる小さなぬいぐるみを、彼の代わりにベビーベッドに入れて眠りについた。
深夜授乳もしなくていいし、久々に朝までぐっすり寝れる。
長男1人だと家も全く汚れない。タンスの引き出しを全部開けて中の洋服を散らかすブームの次男がいると、5分で家中めちゃくちゃだ。
ワンオペのお風呂だって何の問題もない。次男が滑ってこけないようにと終始気を張っておかなくてもいいし、服を着たり、髪を乾かしたり、ゆっくりと自分の支度をできる。
いつもは次男に離乳食を食べさせながら、その隙に飲み込むようにして取っていた自分の食事も、落ち着いて食べることができる。
誤飲の恐れがあるためしまっていたパズルなどのおもちゃも久々に出してやり、長男と遊んでみた。危ないから!と気を張って片付けをする必要もない。
生活は驚くほど楽になった。

でも、そんなのどうだっていい。
どんなに大変でもいいから元気に帰ってきて欲しい。

何をしていても、次男がいない寂しさがこみあげる。顔が見れなくても元気にしていることが知れればそれで安心しただろう。
だが、一体どんな状況なのか、熱は下がったのか、痙攣はもう起きてないのか全く私たちにはわからなかったのだ。

何か訊きたいことがあれば、直接僕を指名して電話してね、と先生は言ってくれたが、この緊急時にただでさえ大変な医師たちの時間を割いてもらうのはものすごく気が引ける。
とにかく私たちは病院からの連絡を待つことにした。

入院3日目、検査結果がわかる

日曜に救急搬送され、そのまま入院。PCR検査の結果がわかったのは、3日後の水曜日だった。

救急で運ばれた病院からの電話だった。可能性は低いと思っていつつも、「検査結果が出ました」という医師の言葉に呼吸もできないほどに緊張した。

結果は幸いにも陰性。まだ痙攣症状から考えられる合併症(突発性発疹が起因した痙攣だった)のリスクがあるため手放しでは喜べないが、とりあえず胸を撫で下ろした。

何よりも嬉しいのは隔離生活から解放されることである。ようやく感染者病棟から大部屋へ移動できることになり、私たちの訪問も許された。

わずかの時間の面会

そのまま私は着替えやオムツなど必要な入院グッズを持って病院へ向かった。

コロナのせいで、病院は全面的に面会禁止になっている。基本的には荷物の受け渡ししかできないとのことだった。

病院に着くと、病棟に入る前に私の検温と問診が行われた。問題ないことを確認して、病室に入る。
次男はぼうっとしながらベッドの中に座っていて、私が近寄ってもしばらく何の反応も見せなかった。
一気にまた不安に襲われたが、次の瞬間大きな声で泣き出した。

少しだけ抱っこすることも許されたので、3日ぶりに触れ合うことができた。
ものすごく不機嫌で終始泣いていたが、痙攣の後の意識のない状態を見ている身としては、泣けるだけの元気があるだけで安心する。

看護師には「PCR検査の結果がわかるまでは抱っこもしてあげられなかった」と言われた。
3日もベッドの中で、1人泣きっぱなしだった次男のことを思うと胸が痛んだ。

死ぬのはコロナ患者だけじゃない

幸いにも次男はその後合併症の気配もなく、順調に回復している。
だが、痙攣後かなり長いこと意識が戻らなかったのもあり、その時は「もうこのまま意識が戻らないんじゃないか」と絶望的な恐怖に襲われた。
すぐに病院で診てもらえていなかったら、どうなっていただろうと恐ろしく思う。

救急窓口はそこそこ混み合っていた。日曜の夜間に来ているくらいだから、皆急を要する人たちなのだろう。倒れて頭を大きく切ったらしい高齢者の男性などが、処置後車椅子で運ばれていく姿も目にした。

コロナにかかりたくない。その一心でこの数ヶ月行動を自制してきた。医療崩壊するとまずい、それも頭ではわかっていた。
だけど、初めて本当に「医療体制が崩壊するとどうなるか」という恐ろしさがこの時リアルにわかった気がした。

ご存知の通り、救急外来受け入れを停止している病院も増えてきた。実際に我が家の最寄りの総合病院では院内感染が発生し、救急外来を閉めている。

救急車を呼ぶ状況では、1分1秒が勝負になってくることも多いはずだ。そんな時に搬送先が見つからなかったりしたら助かるはずだった命が助からないことも大いにあり得る。

医師や看護師が感染して、診てくれる人がいなくなったら。結果搬送されても処置をしてもらえないかもしれない。

「自分はコロナにはかからないから!」なんて戯言を言っている人がこの期に及んでまだいるようだが、そんな人たちは、事故に遭う可能性も、突然の病気にねる可能性もゼロだと言い切れるのだろうか。
もしくは、自分の家族や恋人、大切な人たちが同じ状態になったらどう思うのだろうか。

GWに沖縄へ向かう人が6万人いる…と話題になっている。もちろん仕事などどうしても行かなくてはいけない人もいるだろう。だが旅行、観光で向かう人もいるわけで、理解に苦しむ。

離島になれば、より医療体制は脆弱になる。医療従事者の数も、病室の数も少ない中で感染が広がればどうなるだろう。

例えば今回の熱性痙攣のようなものは、事前に対処ができない。気をつけていればどうにかなるようなものではないのだ。
ありがたいことに救急車は10分ほどで到着し、さらに10分後には病院に到着できたが、医療崩壊した世界だったら一体どうなっていただろうと思うと心から恐ろしい。

想像力が何より大事

自分や大切な人がコロナにかかったら、医療崩壊した世界で大きな病気になったら、私たちはそれをリアルに想像しなければいけない。
コロナ患者に関わらず、助からない命が出てくることはもちろん、今時点でも大事な人が入院しても会うこともできなくなっている世の中なのだ。

今回、最前線で働く医師や看護師などを直接見て、本当に感謝したし、その気持ちを思うといたたまれなくなった。

自粛疲れ?すごくわかる。私だって遊びに行きたいし、何より子どもたちを思いっきり遊ばせてあげたい。2人をワンオペでみるのも限界だ…辛すぎる…そう感じていた。
でも命があるだけで幸せなんだ。健康なだけで幸せなんだ。心から今回のことでそう思った。

人の優しさというのは「想像力」である。
こんな最中、終始気を張り詰めながら働いている人たちの気持ちを想像して、自らの行動を変える。

命に関わる持病があったり、急に病院に運ばれる可能性がある人たちやその家族の気持ちを想像する。

私たちにはそんな基本的な優しさが問われている。
その優しさを失ってしまったとき、私たち人類は本当の意味でコロナに敗北してしまうだろう。

本代に使わせていただきます!!感謝!