令和時代の子たちに必要なのは学力なのか?精神力なのか
「お前って本当に生命力強いよな」
かつての上司と久々にランチをして、こんなことを言われた。
なんかゴキブリみたいな扱いだなとは思ったが、一旦褒められていると受け取ることにした。
他にも「お前は本当に地頭は悪いけど、ガッツはある」などエライ言われようだったのだが、まぁ全面的に当たっているので、何の反論もない。
最近ではVUCAみたいなキーワードを耳にすることも増えたが、昭和時代の日本のように高度成長で人口もどんどん増え、世界はもっとよくなるんだ!という根拠のない自信を持って生きていく時代は終わった。
VUCAとは…(Volatility(変動性・不安定さ)、Uncertainty(不確実性・不確定さ)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性・不明確さ))
終身雇用が崩壊し、給料だって無条件にはあがらない。
コロナのような未曾有の危機で、超優良企業と呼ばれる大手の従業員のボーナスカットや大量リストラなんかも話題になっている。
そんな時代で重要になってくる個人のスキルとはなんだろう。
親になった今、子どもたちに必要な能力は何か?学力なのか?精神力なのか?という自問をすることが多いのだが、それこそ私はその答えが「生命力」なのではないかと感じている。
もう少し噛み砕いてみよう。生命力を構成する要素とはなんだろう。
私は以下のように考えた。
①レジリエンス力
困難に負けずに、立ち直る力
②変化力
環境に合わせて常に自分をトランスフォーメーションできる力
③楽天力
どんな時も前向きに、オプティミスティックに考えられる力
④愛され力
人として人から愛される人間力
それぞれについて、私が感じていることを実体験を交えながら書いていく。
レジリエンス力_失敗しまくれ!
レジリエンスとはここ数年これまた近年流行っているワードである。
私も以下の本を読んだことがあるのだが、
簡単に言うと「逆境にめげない、立ち直れる力」のことである。
私は上司曰く「なりあがり」で、泥臭く生きてきたのは事実だが、生きているのが辛いほどの苦しみを味わったことはない。
一方で私の知人の中には、それはもう壮絶な過去を持つ人もチラホラいて、彼らを見ていて一様に思うのは「人間としての強さ半端ないわ・・・」ということである。
正直その他大勢とは、生きている覚悟や背負っているものが違うので、はなから同じスタートラインにいないと言えるくらいに、考え方や行動力が違う。どん底を見て、そしてそこから立ち直った人にしか見えぬ世界があるのだろう。
私はそこまでの壮絶な思いはしたことがないが、そこそこ特殊な家庭環境、そしておそらく一般的な感覚から言うとかなりキツイ労働環境で働いてきたため、それなりのレジリエンス力はあると思っている。
「立ち直る」ために必要なもの、それは何と言っても「失敗の経験」である。仕事で失敗したことは?恋愛で失敗したことは?と聞かれれば、どれから話していいかわからないくらいたくさんある。
もう絶対に思い出したくもないくらい辛かったものもあるし、自己防衛本能が記憶に蓋をしてしまって、もはや鮮明には思い出せないようなものもある。
「立ち直る」ために必要なものが「失敗の経験」だとしたら、「失敗の経験」に必要なものは「挑戦」だ。
何もやらなければ失敗なんてしない。保守・安定的に生きていくというのは、実はこの世界においては逆説的だがものすごくリスクなのだと思う。
だからこそ、子どもたちの教育においても私と夫は「失敗」を一つの指標として掲げている。いっぱい失敗してほしい。
死ななければ何とかなる!命と健康にだけは気をつけてほしいが、他のことはいくらでもチャレンジして、そしていっぱい失敗して、その失敗話で皆で酒が飲みたい(子どもはカルピスで)。
レジリエンス力がほしい!と思っている方、まずは新しいことに挑戦してみよう。できないことも、悔しいこともいっぱいあるだろう。でもきっと、1年後、人として間違いなく強くなっているはずだ。
(自分へのメッセージも込めて!)
そして、親として子どもを過保護に守るのではなく、むしろいっぱい失敗させて、見守ろう。
変化力_最も変化できるものだけが生き残る!
ダーウィンの「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残ることが出来るのは、変化できる者である。」という有名なセリフを耳にしたことがある人は多いと思う。
実際ダーウィンはこんなことは言っていないという説もあるが、名言には違いないので、この際その真偽はおいておき、引用することにする。
いつかのnoteで書いたかもしれないが、私は自分の生活やキャリアに「安定」が訪れると、ものすごい不安感に襲われるという特殊な癖を持っている。
周囲に認められ、評価され、順風満帆。何を嫌がることがあるんだろう?という状態に陥ると「このままでは自分はダメになってしまうのではないか」という焦燥感に苛まれるのだ。
だからこそ、無理やり変化を起こす。
自分を変えるには環境を変えるのが一番なので、例えば転職だったり、転居だったり、他にも何かしらの決断をして、無理のない範囲で自分を追い込むことが多い。
私は営業としていろんな会社を見てきた。倒産した会社の債権回収に行ったこともあるし、絶好調で自社ビルを建てたり、従業員を増やして拡大していく会社など様々な会社を目の当たりにしてきた。
やはり企業経営でもこの「変わり続ける」というのは一つの成長企業の特徴であることは間違いないと思っている。
この不安定な時代は、もちろん個人にとってだけではなく企業にとっても同じ。
絶対的なマインドシェアを得ていた商品は、簡単に新しい商品に立ち位置を取って変わられ、皆使っていたよね!というサービスが簡単にオワコンになる。10年前の当たり前はもはや当たり前ではなく、この変化の多い時代に自らも変化をしていかなければ、すぐに波に飲まれて流されてしまう。
私は仕事柄プログラマー職の人が周囲に多くいるのだが、できるプログラマーは常に仕事とは別に自分の勉強を欠かさない。
プログラミングはこれからも伸びる仕事であることは間違いないし、需要も多いが、時代が変わると今の言語自体が滅びてしまうリスクを常に孕んでいる。だからこそ、学びを続け変化を続ける。
私は今、「歳を取ればとるほど変化をするのが怖くなる」ということを痛感している。
10代、20代の何も責任がなく、守るものがなかった時に比べると、変化の豪快さや頻度は間違いなく落ちている実感がある。
それでも。それでも死ぬまで変化し続ける気持ちは持ち続けていこうと思っている。
何歳になったってチャレンジはできるし、自分は変えられるのだ。
子どもたちなんて、もはや未来しかないのだから、よりそれが顕著である。「何にも長く続かない」とか「コロコロやりたいことを変える」なんて親としての悩みが今後出てきそうだが、捉えようによってはそれは子どもが自分なりに変化をしようと試みているとも言えるかもしれない。
楽天力_世界は素晴らしいと思えるか?
私はよく意外!だと言われるのだが、実はものすごくネガティブで悶々と小さなことを引きずる性格である。
それが良く働くこともあるのだが、やはりもっと前向きに生きてみたい!と考え、20代になってから強制的に無理やりポジティブに性格をピポットした。
根本の性格は変わっていないのだが、言霊とは良く言ったもので、日々自分はポジティブだ!と思い込み、マインドコントロールしながら生きていくと、ある程度はそれが当たり前になっていく。
自己催眠って結構効くんだな〜というのが、自らの経験からの率直な感想である。
一方、パートナーに選んだ夫は超がつくほどのポジティブ人間。
むしろ、何でこの状態でそんなにポジティブになれるんだ!とツッコミを入れたくなるほど、いつだってお気楽で前向きである。
はっきり言って、もう少し深刻に考えてくれ!そう言うところがダメなんだよ!!とキレたくなることも多々あるのだが、それでも彼を見ていて羨望の想いを抱くことの方が多い。
こんな風に生きれたら人生楽しいだろうな〜と憧れる。
なんて言ったって、ピンチに強いのである。レジリエンス力とも繋がるのだろうが、楽観的に物事を捉えらえる人間は、自分のバランスを崩さない。
いつだって自分は自分。世界はいいところだよ〜と本気で思えるので、ピンチが来ても「何とかなるよ!」と気楽に構えられるし、大抵の場合は「死ぬわけじゃないし!」と不安を跳ね除けられる。
失敗したとしても「次頑張ろう!」とすぐに立ち直り、自己否定をしないので精神を壊さないし、最終的に、いい意味で不真面目なので「逃げられる」のである。
簡単に逃げる人間は良くないが、いざというときは逃げて自分を守るスキルはこの時代にとても重要だと思う。
ただ楽天家の悪いところで、ツメが甘く、本当に計画性がないのでそう言うところは心からどうにかしてほしいとはいつも思っているが(笑)
ちなみに子どもたちが、夫のような性格なのか、私のような性格なのかは私の中の教育における興味深いテーマである。
愛され力_GIVE&GIVEな人
最終的に乱暴にまとめてしまった感が否めないが、最後に私が考えた生命力の要素とは「愛され力」である。
私の友人にはこの力が高すぎる、愛されおばけが何人もいる。
これはイケメンだとか、美人だとか、フェロモンが出てるとか性的なものではなく、人として老若男女問わずに愛されるという能力のことだ。
例えば男にはモテモテだけど、女には嫌われる〜とか、年配者には可愛がられるけど、年下には疎まれる〜とかそういう局地的な能力を持った人のことではない。
彼らには共通する特徴があって、それは「常に人に何かを与えて(GIVE)生きている」ということ。
何でそんな面倒臭いことするの?無利益で。お人好しすぎない?みたいなことを思うくらいに、彼らは人を助け、人の役に立ちたいと思って生きている。
彼らが尊いのは、決して自己犠牲でやっているわけではないところである。自分を低く見積もって、奴隷的に無報酬奉仕をしているわけではない。
あくまでもフラットに自分が無理なくできることなら、何でも手伝うよ!という姿勢で生きている。
いつもGIVE&GIVEで生きている彼らだが、結果的に私の友人知人の中でもトップクラスのTAKEをいつの間にか得ていることが多い。
愛され人間が困ったとき、彼らに今まで助けられた人間は、全力で彼らを助けにいく。
これはいくら技術が進化しても、世の中の常識が変わっても、私たちが人間である限り変わらない、普遍的な理であると感じる。
私はもともと献身性がいたく低く、自己中心的な性格だと自己分析しているのだが、だからこそ、意識して人の役に立とう!と思って生きている(つもり)。
自分が一番になりたい!勝ちたい!と負けん気しかなかった20代の頃と比較すると、30代になり角が取れて、この辺りはだいぶうまくできるようになってきたと思う。
意識している時点で偽善なのかもしれないが、結果的に人の役に立てているのであればよしとしている。
特に年下の子たちに頼りにされるとやる気が出るため、完全におせっかいおばさんと化している。
子どもたちには、やっぱり愛される人になってほしいなと願う。
皆がきっとあなたのことを助けてくれるよ、どこにいても、何をしてても。自分さえ誠実に周囲に愛を配って生きていれば。
そういうメッセージはいつか成長したら伝えたい。
令和時代の子育て
さて。こうやってその分析の正しさはさておき「生命力」の要素を考えていくと、自分でまだ自信が持てない点も多いことに気が付いた。
だけれども、結局総合評価として「生命力が強い」と言ってもらえているというのは、一つの結果として認めていいのではと思う。
みなさんの周囲の「生命力強いなぁ」と思う人の特徴はどうだろうか?私の分析以外にも共通する要素があればぜひ教えてほしい。
私も今後さらに生命力UPを目指していきたいと思うのと同時に、子育てにおいても私はこの生命力を重視しているのだな〜と書いていて気づき(笑)タイトルは子育てに寄せてみた。
勉強ができても、スポーツができても、「生命力」が低ければどこかで歪みができると思うからだ。
私の周りにも、ずっと優等生で来た子が、たった一度の受験に失敗して自暴自棄になってしまったり、スポーツで成功していた子が怪我をして生きる意味を失ってしまったりしたケースがあった。
私の子どもたちも、これからたくさんの挫折を味わったり、今までの自分のルールが通用しなくて戸惑ったりすることがあると思う。
そんな時のために、親としてできる限りの生命力を伸ばす手伝いをしていきたいと思っている。
人としての「成功」と言う言い方は近視眼的で好きではないが、私は親が考える子どものそれは「子が幸せに生きる」ということだと捉えていて、そのために一般的にはいい学校にいくとか、道を踏み外さないとか、いい企業に就職する…とか言われているが、私はそうではないと思っている。
受験や就職で失敗したっていい。グレたっていい。ケンカしたっていい。友達とうまくいかなくてもいい。
そんなことは、君たちの人としての価値を毀損しないんだよ。
それが私が親として常に発信したいメッセージである。
いつかこの話が、子どもたちとできるといいなと思っている。
ちなみにサムネイルの写真は、毎度全身泥んこになって遊ぶ我が子の姿であり、これだけ見ているとものすごい生命力は強そうである(笑)
いや、むしろ強すぎてこっちは日々クタクタである(笑)
正直、ちょっと手加減もしてほしい。