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ファクトおばさんに、私はなる。

私には苦手なタイプの人間が数種類いる。
他人への思いやりがない人や、精神的に自立していない人…などその内容は様々だが、今回は子供を産んでから最近特に苛立ちを感じることが多い「事実確認をしない人」について書こうと思う。「事実確認をしない人」は「思い込みが激しい人」とも言い換えられる。まぁ、それだけだと大して害はないのだが、「思い込みを他人に押し付けてくる人」に進化を遂げた瞬間にとてつもなく面倒臭いタイプに変化する。
大して強くもないくせに、しつこくメダパニばかりかけてくるドラクエの「わらいぶくろ」レベルの面倒臭さだ(伝われ)

新型コロナウイルスにまつわるデマ

未曾有の事件や事故が起きた時に必ず発生するのが虚偽の情報拡散である。
震災や、今回の新型コロナウイルス関連でのデマ情報を見たり受け取ったりした人も少なくないだろう。

発信者が誰なのか、またその意図は不明だが、デマの恐ろしいのはそれを拡散する人たちのほとんどに「悪意がない」点である。

悪意どころか、「この情報を伝えて大事な人を守りたい」「教えてあげたらきっと役に立つ」という善意に満ち溢れていることが多い。
(※トイレットペーパーの品切れなどは、買わないと買えなくなってしまう!という危機感からであろうが)

お湯を飲めばウイルスが体内から消滅する
10秒息を止めて罹患のセルフチェックができる

など様々なデマを私も目にしたが、大体は「有名な大学病院の先生からの情報です」などと読み手の信頼を獲得するための偽情報もセットになっているからか、驚異のスピードで拡散されていく。
SNSが人々の生活の一部に組み込まれた今、これを止めることは不可能に近い。

せめて「自分は安易に情報を信じない」「安易に拡散しない」ということを少しでも多くの人がやってくれるようになることを祈るばかりだし、根本的な解決には幼少期からの刷り込み、つまり教育が最も重要であると思う。

元々TBS報道局のアナウンサーをされていた下村健一さんの「メディアリテラシー講座」に参加したことがあるのだが、小学生向けの教育カリキュラムもあると仰っていて、素晴らしいなと感動した。
私はデマとか信じないから!なんて自信を持っている人も多いだろうが、フェイクニュースはそれらのように安直な内容ばかりではない。テレビなど「信頼できる」と思われている媒体ですら、情報の偏りなどが起こるリスクをはらんでいる。
正直メディアの仕事をしている私ですら、100%見破れるかというと自信がないほどである。
だからこそ、教育が大事なのだ。

私は義務教育に組み込むべきだと思っているが、外の環境で教えてもらえないのであれば親である自分が責任を持って子たちを教育していくしかない。
そのためにも、まずは自分のリテラシーをあげていく努力がかかせない。

経験=真実だと思い込むおじさんおばさん

若い世代は教育で何とかできるかもしれないが、頭を抱えてしまうのは(私が思い悩んでもどうしようもないのだが笑)
頭の凝り固まったおじさんおばさんたちである。

自分自身でも感じることだが、歳を取るというのは楽しくもあり、またある側面では恐怖である。
それはシワやシミが増える、腹回りの肉が弛んでくる…など外見的なことを言っているのではない(いや、それも十分に恐怖だが)

多くの人が歳を取るたびに以下のような行動思考パターンに陥っていく。
・思考の柔軟性を失う
・新しい情報をインプットしなくなる
・自分の経験が正義だと思い込む
・若い世代に自分の価値観を押し付ける

私自身も、会社で部下と会話をする時にどうしても自分の経験則で判断を下してしまったりすることがある。
新しい情報に関する感度は高い方だと思うし、新卒メンバーとチームを組んで働くこともあり、彼らに教えを乞うことも多い。何よりも自分が「頭でっかちおばさんになりたくない」という強い反抗心を持っているため、同年代と比べると柔軟性は持っている方だと思う(いや、そう信じたい)だがそれでも。それでも思考の膠着を感じる日々なのである。
努力しなければ、その勢いはさらに高まっているだろう。

一方で、年配者の最大の武器は「経験」であるとも思っている点で私の主張は矛盾をはらんでいる。
経験や過去は捨てれないし、変えれない。そしてそこで得た知見は間違いなく若者たちにとっても有益なのだ。
私自身も10代20代の頃、たくさんの素敵な大人たちに素晴らしい「生き方」を教えていただき、それは間違いなく今の自分の糧になっている。
ゆえに、どうせおじさんおばさんの言うことなんて彼らの経験で自分には関係ないでしょ?と門戸を閉ざしてしまうのは、それはそれで勿体ないなと感じるのである。

つまり若者は素直に年配者の意見に耳を傾ける、年配者は十分に【気をつけながら】若者にアドバイスをすることが重要だと私は考える。
気をつけながら、の内容は後述する。

妊娠と子育ては偏見と嘘情報の巣窟

自分が「若者」の立場として(相対的にね!)も、ここ最近イライラを感じることがすごく多かった。
それは妊娠出産というイベントを経験したからである。

この分野は「科学的証明の難しい事柄が多い」また「多くのおばさんたちが自分も経験したこと」という特徴を持っているため、タチが悪い。

10年20年前の常識が今の非常識であったり、逆も然り。がしかし、おばさん(おじさんもだが)たちの知識が「自分が出産した時点」でとまっている人があまりに多い。

FACT FULLNESSにも書いてあったが、以前は子供のうつ伏せ寝が推奨されている時代があり、著者のような医師ですらそれを信じて指導していた。
現代ではうつ伏せ寝は乳幼児突然死症候群(SIDS)の原因の一つであるとも考えられ、保育所等では5分毎に寝る向きをチェックし、うつ伏せ寝にならないように徹底管理されている。
このように時代が変われば、常識というのは恐ろしいほどに変わるのである。

命に関わる出産、保育というカテゴリで謝った知識の伝聞は大罪である。
それほどのレベルでなくても、ただでさえ精神的に不安定になるこの時期に、何の根拠もない叱責やアドバイスという名のありがた迷惑に心を痛めるひとは多い。

無痛分娩だと愛情が足りない
子供は母乳で育てないと栄養不足になる
保育園に預けると愛情不足で性格が歪む

と、このようなことを言われたり聞いたりした人は少なくないはずだ。
私も妊娠してからというもの

胎動が激しかったら女の子が産まれる
お腹が前に出てると男の子が産まれる
悪阻がきついと頭のいい子が産まれる

など、根拠不明なことをそれはもうたくさんの人に言われた。話のネタ程度の内容なので、笑い話で済ませられたが正直うんざりした気持ちになったのも事実である。

友人は出生前検査で科学的に性別が女の子だと判明しているにも関わらず、親に「この感じは男の子かもしれない!」と言われたそうで苦笑してしまった。
もはや科学の力で証明しても信じてもらえないのであればお手上げである。

迷信や占いが悪いわけではない。例えば悪阻で苦しむ妊婦に「悪阻が酷いと子供が賢くなるらしい!」と励ましの意味を込めて言うこともあるだろう。
ただし、あくまでもそれらは迷信で科学的根拠は何もないのだということをセットにしてコミュニケーションするべきだ。
どうしても迷信めいたことを言いたいならば「胎動激しいと女の子だって言うよねー当たるかどうかわからないけど、性別がわかるのが楽しみだね!」などと言えばいいだけなのだ。

母の思い込み

妊娠出産以外でも、思い込みや事実誤認はしばし発生する。私はずっと母親に「男性の着物の着付けは左前」だと教えられており、大恥をかいたことがある。
親の言うことだから正しいのだろうという認識で30歳をすぎるまでずっとそう信じて生きてきた。
そして夫の着物を着付け出かけた時に、電車の中で感じのいいマダムに指摘してもらったのである。
しかも、出かける前に夫に「これ前後逆じゃない?」と言われていたのに「日本人だし着物のことは私の方が詳しい」という無根拠な自信で自分の意見を押し通してしまった。
マダムにはきっと「外国人だから正しい着方がわからないのね」と思われてしまったに違いない。
心の底から彼にお詫びしたい案件である。

それから数年後、母に会った時にこの時のことを思い出し、事の経緯と事実を伝えてみたことがあるのだが、むしろ母が間違った認識をしていたことよりも、その反応に面食らった。
なんと母は何度説明しても、私のいうことを信じらなかったのである。
「いや私の周りは皆同じように言ってる」「昔からそう思ってた」「ちゃんと着物の先生に教えてもらった」と取り付く島がない。
あまりにも非建設的で「皆って誰よ?バイネームで言ってみてよ!」と私も大人気なく語気を荒げてしまったトホホ事件だ。

私たちのすべきこと

まとめである。自分への忠告もこめて、記しておく。
私たちのすべきことは以下であると私は思う。

・事実確認をする
何らかの噂話を聞いたときはそれは本当なのか?とせめてまず調べてみる。確認がとれないことについては、人に伝えないもしくは「そう聞いたが本当かな?」と付け加えて断定を避ける

・自分の立場をわきまえる
話すトピックスについて、自分はその専門家なのか?知識がないのならば不要なことは言わない(乃至は以下のように語る)

・個人的見解であることを述べる
真実かはわからないが、私はそう考えているとあくまでも自分の意見であることを強調し、他人に強要しない

・ネガティブな事柄はより慎重に話す
事実誤認があったとしてもポジティブな内容なら痛手は少ない。ネガティブなことはより慎重に事実を確認する

ファクトおばさんへの道

今まで書いてきたような理由で、個人的に私は理屈っぽい人が好きなのだが、世の中では(特に学校などでは)疎ましがられるタイプかもしれない。
こいついちいちめんどくせー!と思われることも多いように感じる。
正しさ=良いコミュニケーションではないからだ。その点はバランスを取りつつ生きていけるとなお良いと思う。
例えばくだらないが、別に誰も傷つけない話ならばそれをネタに盛り上がってもいいだろう。(「占いで来月彼氏できるらしい!」みたいなね)
それにいちいち「そんな根拠のない話はできない」などと噛み付いていたら、正しさは担保できるが、会話は続かないし、友達は失ってしまう。
ニコニコして笑って済ませられるのならそれでよいではないかと思う。

がしかし、誰かの行動を変えてしまうようなこと、誰かを傷つける恐れがあるものについては、しつこいが慎重に言動を選ぶべきである。

私はこれからthe ファクトおばさんを目指そうと思う。自分の子供たちが大きくなったときに、世界の常識が変わっていたとしたら、それを受け入れられる自分でいたい。
常に知識をアップデートして、生きていくカッコいいおばさんになりたいものだ。


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