幸せな人生を歩むために、持っておきたい視点について。
幸せというと大きく凡庸としたものに感じることがあります。はっきりしない、形は見えない、捉えどころがなくとっつきにくいような。
でもみんながほしいもの、めざしているところだったりもしますよね。
幸せになることはむずかしいことだったり、いけないことだったり、自分には縁遠いな、と思っていると刹那的な生き方になったり、快楽主義的になったりします。
凡庸で掴みどこがハッキリしない幸せを、いつの頃からでしょうか。そうなりたい、そうありたい、と思うようになりまして。
発信というよりも、思ったこと、気づいたことを整理するような感覚で文章を書いています。それは伝えるというよりも、自分のなかでまとめていくような作業です。
いつの日か、「発信しています✨」といえたらいいのですが、自分のなかでは発信ではなく、整理にちかい文章を時折書いて、読んでいただいているような感覚です。
そういった中で、幸せというものは、プロセスにあるなと感じるようになってきました。というのか、今そう感じました。
何かわからないことがあって、それはいったいどういうことなのか?
と突き詰めて考えて、答えを出したり、不意に納得、理解するという流れそのものが好きです。
答えを知ることも楽しいけれど、試行錯誤して、回答を得るまでもとても充実しているように感じました。
人によって、なにに喜びを感じ、何を目ざして生きていくのかということを知ること自体が、ひとつの、だいじな精神の通過儀礼な気がします。
自分の人生を生きるということや、人生の目的を生きるということは、いうのは簡単なことでもあるのですが、それを実際に行えるようになるには、すごく内面を見ていくという意味の、精進が必要になるとおもいます。
僕自身もその中の、プロセスに身を置いています。
いろいろな意見や見方があるものですが、そういうものに、耳を傾けすぎると。自分という感覚が鈍ります、確かなように思える意見も、確信をついているように感じられる視点も、みんながうなづきおもわず共感できるような理解も、本当のあなたにとってはあまり意味をなさないものに、見えることが、これからあるかもしれません。
本当の自分になる過程では、そういうことも、ちらほら起こってきます。
なんのために生きるのか、そして、なにが幸せなのかというならば、それは自分自身のセンスで生きられるようになることだと思います。
人からの借り物の発見ではなく、自分の感覚で、体感でしっくりくる答えを見つけていく旅。それが人生なのかなと思います。
そのために、本来の生き方をするために、いろいろな課題や悩みが降りかかるようにおもうのです。
人生はむずかしく考えると、哲学的になりそうですが。
得てして、幸せになるために生きているということが、答えのように思います。
そのなかでも、自分の感覚を信じて、自分の信じる道を歩んでいくことがだいじな視点なのだと思いますね。
素直さもたいせつだけど、人のいうことや思いや、見られ方に振り回されるような「従順的な恐れからの素直さ」ではなく、自分の本質のつながって生きる、命を声を信じる、「本来のパワフルな素直さ」が大切です。
幸せになるために、内面を満たしていくために、日々ていねいに感謝で生きていきたいものです。
きょうも、note にあそびにきてくださり、ありがとうございます!
書きたいことを書いて、とっ散らかってしまうような感じもありますが、楽しく読んでいただけたのなら、とてもうれしく思います。
いつでも、再訪をお待ちしています^^
ぜひ、また会いましょうね。
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