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「#毎日note の目的」を改めて。心が動く瞬間を捉える ー好きな小説たちを添えて

自分にとって映画を観てぞくっとする瞬間というのは、何も言わないのに視線が感情を表しているとき。

映画でも小説でも、どこにもいかない、なんにも起こらないよう話が好きだ。平たく言えば、心平穏に観ていられるストーリー。

ストーリーではなく言葉の連なりを読む

何も起こらなくていい。

言葉自体が美しい小説がいい。

好きな小説を聞かれてよくこう答えます。

微妙な心の動きを繊細に捉えている小説が好きなのです。

例えば、村上春樹のノルウェイの森。

例えば、夏目漱石の『吾輩は猫である』。

例えば、『博士の愛した数式』や『猫を抱いて象と泳ぐ』。

例えば、梨木香歩の『西の魔女が死んだ』やエッセイ『春になったら苺を摘みに』。

例えば、カズオ・イシグロの『日の名残り』。

例えば、山田詠美の「蝶々の纏足・風葬の教室」。

王道ばかりかもしれないけれど、王道になるべくしてなった小説や作家たちばかりなのだと思う。

ひとの心の動きを、普段言語化すらされない微妙な感情の動きを、その作家にしかできない文字の組み合わせ方で文章にしていることで、「共感」と同じロジックでたくさんのファンをうんでいるのだろうから。

だから「なにかいいものを」求めているときは決まった作家の本を買う。何を食べに行ったらいいかわからないときでも「このお店なら間違いない」って選ぶのと一緒です。

あらすじとかキャッチコピーとかを読み、ストーリーが「おもしろそうだな」と本を選ぶときは、「中華食べたい」「イタリアン食べたい」とある程度中身への期待値が固まっているとき。

上に挙げた本たちは結論なんて正直あんまり覚えていない。でも「好き」なのは、言葉の連なりが好きだからなのです。

文字の重ね方のゆくさき

そんな文字を連ねたい。心の動きをうまく捉えて言葉にできる人になりたい。

2ヶ月noteをやってきて、それが「毎日note」の目的になるべきではないかと昨日の夜歩きながらようやく気づいた。

考えたことのメモみたいな日記の日もあるかも知れないけれど、そしてそのほうが楽なのだけど、それはなにも創造してはいない。役に立つ話でもない。テーマもない。わたしの考えに興味がある、半径2cmくらいの人にしか読んでもらえない。

日記ではなくスケッチをしたい。

面や線を描くのではなくドットを詳細に塗りつぶすことに丹精を込めたい。

半径2cmどころか、自分のためだけに自分の文章を書くことになる。

ときにはそれもいいじゃないか?

その日にしかない感情を抱いた瞬間を捉え、立ち止まり、(昨日みたいな)文章に昇華していく訓練をしたい。

とはいえ

これとは、だいぶずれるようですが。

わたしはどこに行く?


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