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4月の焚き火

その4月は、桜の枝が何本か焼かれた。季節外れの焚き火のせいだ。

その日はNの誕生日で、我々は山の中にいた。山の中にいることについて大した理由はなかったが、それ以外の選択肢がなかったのだ。丘の上で、桜の大木が枝を張り、風が吹くたびに花びらがとめどなく散った。葉もつきかけている。そんな季節だ。

飯盒で炊いた米と、簡易コンロで焼いた焼き鳥と牡蠣という「ごちそう」を済ませると、Nが手持ち無沙汰に厚い雲の隙間に星を求め始めた。
「焚き火つくってあげようか」そう言って僕は焚き火台をとりだした。焚き火は「つくってあげる」ほど大した代物なのかわからなかったが、Nはこくんと素直にうなずいた。

フェルトを敷いて、焚き火台を置き、焚き火のきっかけにするためのろうそくを置く。道具は手元にすべて揃っていた。
「その布はなんのためにあるの?燃え移ったら危ないじゃない」手伝うこともなく、見つからない星の代わりにじっと僕の作業を見ていたNが顔をあげた。

「土に、熱を伝えないためさ。土の中の微生物を殺さないようにね。まぁ、もしフェルトに燃え移ったとしても、あっという間に燃え尽きるから大して危なくはないんだ」
土の中の微生物の心配をしながら火遊びをしているなんて変なやつと思われないだろうかと、僕は都会育ちのNに向かって多少どぎまぎしながら説明した。

「ふうん」Nは、自分が先程木の枝で掘り返した小石混じりの土の山に、何気ないふうに目をやった。

ろうそくの上に小枝と落ち葉を載せ、その上に桜の太い枯れ枝をいくつか組んだ。風で消えかかっていたろうそくの炎が、小枝や落ち葉で元気を取り戻し、燃え盛って気の毒な桜に移り広がる。これでしばらく炎が尽きることはない。炎が、僕らの周りの4月の夜風を暖めた。

太い桜の枝の先端に燃え移った火は、今や枝の全身から上っていた。燃えやすい皮がまずめくれ、中身を焼いていく。炎の中でも、木はそれぞれが棒の形を保ったまま赤い灰になっていった。

僕は、中世の魔女や、アウシュビッツ収容所のユダヤ人や、原爆で死んだ人たちのことを思った。現代だって火事で死ぬ人もいる。すごく、熱くて苦しいだろう。死ぬのに時間がかかりそうだ。

パチパチと桜の枝の皮が陽気な音を立て、じうじうと中の太い枝が鳴った。風がなくなり、煙が炎の真上に細く立ち上っていた。

「火を見て落ち着くのは、人間の本能なんだって」とNが言った。

「火の元には食べ物があって、栄養がある」と僕が言った。

立ち上がると、冷たい空気の中に桜の香りがした。身辺の木があらかたなくなってしまうと、僕はまた木を拾いに出かける。縄文時代から綿々と続く男女の役割とは、こういうことなのかもしれない。男は危険を冒して外へ出かけ、女は家で火を守る。

おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に。先進国の生活様式としては桃太郎の保護者のほうが近いのかもしれないが。

黙って見ていたNも、僕が火元を離れている間に小枝を載せたり、燃えきりそうな枝を炎の中に押し込んだりと、焚き火の世話をするようになっていた。戻ってきて太い枝を1本渡すと、器用に炎の外側に斜めに立てかけた。

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「もう、木のくべ方がわかってきたんじゃない」僕が褒めると、「くべるって単語、話し言葉で初めて聞いた」とNが言った。Nといる短い間にだんだんわかってきたけど、これは照れているのだ。気づくと、Nが掘り返した土の山は穴に戻されならされていた。一部の微生物は、あたたかい土の中へ帰ることができたかもしれない。

その夜は風がなく、絶好の焚き火日和だった。気がついたら夜の11時だった。もう3時間も、木を拾ってくべては灰にしていたのだ。桜の木の25%くらいは燃やしてしまったのではないだろうか。Nが地面に残っていた太い枝を炎の外側に立てかけた。どちらが口にするともなく、僕もNも、それが今晩最後の枝だということがわかっていた。

その2月は、蚊がたくさん死んだ。バングラデシュの話。
その4月は、桜の枝が何本か焼かれた。季節外れの焚き火のせいだ。
3月は、何が起こったっけ。


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