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職人の老化の現れ方

職人や、作家のキャリアが積み重なると、若い時にはキチンとやり切った仕事を、もっと手前で「こんなもんでいいでしょ、この金額じゃこの程度でしょ」という風になってしまってそこに整合性を与えるような思考回路になり勝ちです。

それが劣化なんですよねー。認めたく無いですが。笑

言うまでも無く「採算度外視でやるべき」というのではありません。生業でやるのであれば、そういう姿勢は思考停止かつ作業の快楽の奴隷という最低のものだからです。そういう事ではなく「老化による緩み」のお話です。

それは、加齢によって精神力と体力が劣化するからです。粘りが無くなる。粘りが無くなったことを正当化する思考回路になるのです。

そして、精神力と体力の劣化によって顔を出すのは「自己顕示欲」と「過剰な承認欲求」です。

若い時には、羞恥心があって「あんなジジイになりたくない!」と抑え込んでいた欲求が、体力気力の低下によって顔を出して来るわけです。人によって強度は違いますが「自己顕示欲」と「過剰な承認欲求」は、誰でも持っていますからね。加齢でその辺りに注意が届かなくなるのと、経験を重ね、より強固に鍛えられた強い欲求に振り回されて気づけなくなくなるのです。自分のキャリアへの自負がそうさせます。

それはもちろん、経営的に赤字だろうがキツかろうが、ひたすら仕事の完成度を上げてお客さまに喜んでいただくために身を削り過剰な仕事をするべき、という意味ではありません。

老化によって結果的に「自分の仕事の自己評価が高くなり過ぎるようになる」んですね。それが問題という意味です。

オレ様がここまでやったんだからもっと高い評価とお金が発生するべきだ、となってしまうのです。

(もちろん、正当に、対社会的に自分の仕事の価値を上げ、対価を高くする努力は大切ですし、自己評価が低いのも良くありません。そうではなく一方的に自己評価のみでオレすげえんだぞ、となってしまうことの危険)

仕事で関わる人で、付き合い始めでは良い仕事をしていた人が、割と短期間にそうなってしまい、距離を持たざるを得なかったケースは沢山ありました。

で、その手の人たちは、そういう劣化を正当化するような人が集まる会合に頻繁に顔を出すようになる。景気の良かった昔話ばかりする加齢臭漂う場所に行くのです。

それが職人や作り手の劣化。(に、限らないでしょうけども)

それを防止するには「自分のキャリアへの自負ではなく自分のキャリアへの観察と現実の把握」が必要です。

それと、自分の劣化を指摘してくれる人の存在。

常に若い人たちと触れること。

他業種の人々と触れること。

それと・・・個人的には、呑みの席で仕事の話をするのは野暮だと言っている「自称粋人」とは仲良くなれないなあ。文化的なこともせず、ただ浪費とバカ話だけしかしない人。真面目な人を揶揄するタイプの人。仮にその「遊び人」が成功していようが、才能があろうが、そういう人とは同じ時間を過ごしなくないですね。自分にとっては無駄だから。

自分の仕事を一般化して、普遍的なところを面白おかしく他人に伝達出来るような人の話は物凄く興味深いし、それが面白ければ、同席している人たちもそれに乗って自分の仕事の話をしてくれて、いろいろなデータを得られるし、発見もあるし、とにかく勉強になって楽しい。

私は他人の仕事のディープな話を聴くのは大好きです。それが鬱陶しいぐらいの自慢含みでも、話だけなら興味深く聴けます。とても楽しく思います。


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