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最初から完成形があり、それを出力するだけ、が一番良い

制作で、鮮度がありながら行き届いたもの、落ちやアラの無いもの、ようするに

「魅力的でかつ落ちやアラが無いもの」

は、出来たものを修正して行くことによって、完成度が上がり、だんだんそうなって行く部分もありますが、だいたいは完成形でかなり明瞭にイメージ出来たものをスムーズに形に出来たものがそうなることが多いように個人的には思います。

仮にそれを産み出す前段階では苦労したとしても、キッカケを掴んでからは、完成形のイメージに引っ張られて行く感じで仕上がりまで自然に行った、という感じです。

初動の作品イメージの構築時点で、それほど明瞭でもない状態で制作を進行させ、手を加えて欠点を無くして行く方式の場合は、人が自分の身体の直したいところを全て整形手術してイメージどおりに仕上げていったような、独特の違和感・雰囲気を持った作品になり勝ちです。

あるいは、特に欠点は無いけども面白くも無い作品・・・になる傾向があります。

少しずつ手を入れてアラをなくして行くことに頼ると、絶対に見落としがあったり、アラをなくすことによって良さを削ってしまったりするので、理想はイキナリ完成形をつくって、その後微調整、ぐらいが望ましいですね。

初動のイメージが明瞭で強烈だと、物凄く自信をもってそれに当たれますし、他人にはその時点では理解されないようなことがあっても、それは後にほぼ9割という高確率で理解されるようになります。

その初動のイメージがあいまいだと、美に対する貢献(ここでは、事実として、制作中の作品の生育に適切に貢献したこと)ではなく【自分はこれだけ思いを持って、これだけ沢山手をかけたという心理的な安心欲求・アリバイづくり】に逃げてしまうところがあるのでしょうね。

最初から完成形が舞い降りて、それをスッと表すことが出来たものは、どこかに欠陥があったとしても、それがむしろ欠かせない魅力だったりします。ようするに、それは魅力的な生命体になるのです。

初動の、作品の出来上がりイメージが唐突に完成形やって来る時を見逃さないこと、正確に受信しすること、受信したものを解凍し、自分のデータに置き換えるスキルが必要ですが、そもそもそれが降りて来ないと困ります。

しかし、ボーっとしていてもそれは降りて来るものでもないので「受信するため」にはジタバタします。

それにもスキルが必要ですが、これは別に才能云々というよりは、技術的な問題だと私は捉えています。


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