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いわゆるアートが邪魔な場合がありますね

去年、2020年だったか?明治神宮に久しぶりにまいりましたら「明治神宮鎮座百年祭」という事で、現代彫刻がいくつか飾ってあり、本殿の門にまでそのようなものが飾ってありましたが、私は、イベントだからといって特にそのようなものを設置する必然を感じませんでした。

それなら、雅楽を生で流していただいた方が、ずっとふさわしいと思いました。その方が、明治神宮の木々や土や空に溶け込み、その場にいる人たちが神宮の森と一体になれ、明治神宮自体を体と心に感じられると思うのです。実際、生演奏なのか録音なのか分かりませんが、売店のあたりから雅楽が少し聴こえて来たものは、良い感じがしました。

もちろん、明治神宮にふさわしい彫刻であるなら、それが現代彫刻であろうと昔のものであろうと良いと思うのですが、しかし、個人的には、何かのイベントがあるからといって、無理して「ある意味人為の澱である芸術作品」を飾らないでも良いのではないかと思います。

あの場には人が行うものでは、祈りや、感謝、それが形になったもの以外の「自我の発露の表現物」はふさわしくないのでは?と思うのです。

本殿の門の前に、JA武蔵野が野菜で作った、大きな宝船がありましたが、もちろんそれは造形的に美しいものではないし、モノとしては稚拙ですらあり表現物では全くないわけですが、私はそれには違和感を感じる事はなく、そういうものは、あの場にはふさわしいな、自然だな、と思いました。

それは個人の表現などではなく、素直に豊穣の願いを形にしたものだったからです。

昨今の、伝統的な場、祈りの場、などに、特に考えも無くいわゆるアートを持ち込む風潮は、なんだか知性と教養が無く、文化を大切にしていないな、と感じるのであります。アートは文化的万能物ではありません。それは思い上がりです。


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