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手仕事をナメるなと怒る

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私が若い頃、有名なイタリア料理のシェフについていた時のある日、シェフが怒りながら調理場に入って来た。

「全く、こんなのばかりだよ。ナメるのもいい加減にしろってんだよ!」

「どうしたんすか?」

「俺に会って相談したいという父親が『自分の息子はバカで、どうしようもなくて学校の成績も悪いのだが、料理が好きなのだ、料理人にしてやってくれないか、オタクの店に入れてやってくれないか?』なんて言うわけだよ」

「はあ。。。。」

(´-`).。oO(まあ、ありがちっちゃ、ありがちなパターンだな。。)

「だから、俺は『コックはバカじゃ出来ません』と冷たく言ってやった。人の仕事をナメるのもいい加減しろっての!!!(ぷんすか)」

小説なんかだったらここで「分かりました、私に息子さんを預けてみて下さい」なんてシェフが言って、紆余曲折ありながら、そのバカ息子はリッパな料理人になれましたとさ、となるわけですが、現実はそうではありません。

職人はバカではなれません。

まして、シェフや親方にまでなれる人は、極々一部の人のみです。

。。。。。。。。。。。。

これは、コックに限らず「いわゆる手仕事系」では良く起こることなんです。

一般にしぶとくあるのは「頭が悪くても、長年手を動かしていればなんとかなる」という幻想です。

頭が悪いというのは、別に人それぞれだからいいのですが、

「頭が悪くても、長年手を動かしていればなんとかなる幻想」を持っている人たちは、一見職人仕事に対して腰低い態度で、尊敬があるようなことを言っているようで実は「手仕事なんて手がやることだから頭なんて関係ないだろ」という職人仕事を下に観た態度が露骨に出ているんですね。

上記のシェフはそれにハラを立てていたわけです。

職人って、お勉強が出来なかった人がなるんですよね?それで、あなたは手仕事を身につけるべくガンバったんですね。エラいですね。

と言われたようなもので。笑

バカでも不器用でも仕事の出来る先輩たちや同僚にイジメられていても、場が読めなくて仕事場の空気を乱しまくっても、コツコツやっていれば、そのうち認めてもらえる、というもの。

しかし、これは、小説のなかだけの話です。

地域の不良が調理場に入って有名シェフになりました、というのはたまにある話ですが、それは実際には調理場ではちゃんと場を読んでセンパイや料理長の言うことを良く聴いて、人の10倍ぐらい熱心に勉強して練習して、という具体的な努力をした、そして元々そういうことを出来る才能があり、センスを磨いたからシェフになれた、というのが事実なのです。

今も昔も「手仕事に向く賢さ」と「具体的で建築的な努力」はなければなりません。

しかし「手仕事はバカでも出来る」(バカのままでも通用する)と思っている人、あるいはそう洗脳されてしまった若い人たちは「思考停止して手を動かしているだけでも長年勉めていればなんとかなる」と思ってしまうのです。

「手に職つければなんとかなる」というのは、日本が安価な生産基地として労働力を提供していた時代のみ、そしてそのなかの「指示通りの、限定された作業だけをするには」通用することです。

日本が、ただの生産工場の立場から脱却した時代からは「何かの作業を身に着けていれば生活は出来る」時代は終わっていたのです。

どの業界でも独立するまでいかなくても、ある程度仕事を任されれば経営のこと、時代の先読み、顧客とのやりとりがあるわけですし、時に外国とのやりとりもありますし、仕事によっては当たり前に外国語も必要になります。

そういう事情も知らずに「ウチの息子はバカだけどコックぐらいにはなれそうだから」と言われたらそれはハラが立ちますよね。(直接そうは言っていなくても意味は全くそうですからね)

料理長になって流行の先端の料理を提供し続け、長年店を維持し続けるなんていう人には、ほんのほんの一握りの人しかなれません。シェフというのは職人同士の厳しい競争を勝ち抜いた人。職人技術だけでなく、創作者、マネージャーとしての立場もあります。現場をカリスマで動かす誇り高い立場でもあります。

が、手仕事に対する一般からの本音は「おベンキョ出来なかった人たちのすること」なわけです。

今の私の仕事でも、なんだかんだいって下に観られているんだな、と良く思います。

日本はみな職人に尊敬を持っている国だ、というのは幻想です。

ただし、日本は技術的にも、市場的にも工芸大国ではあるので、世界中で最も工芸作家が専業で食えている国であるのは事実です。それは本当に日本の懐の広さであり、日本の凄いところです。


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