見出し画像

振袖は成人式の制服ではありません

コロナ禍の昨今、呉服業界では成人式の中止と、それによる振袖を着る機会の損失・・・という問題で大混乱しております。

成人式用の振袖の準備をしたにも関わらず、コロナ禍による成人式の中止で宙に浮いてしまった人たちを極力サポートしようという呉服業界の流れもありますね。

そんな混乱状態ですが、私は「成人式+羽織袴・振袖というパッケージされた文化に乗る必要は無い」と考えれば、お客さま側からすれば、別に大事件ではない、と考えます。呉服業界のビジネス的には辛いですが、文化的には特に事件ではない、という意味です。

成人式では男性も羽織袴姿で参加する人もおりますが、和装では女性の振袖が断然多いでしょう。

呉服業界がビジネスのために「振袖を成人式の高級制服化した」わけですが、それがかなり前から時代に合わなくなっていると個人的には感じております。事実、一応成人式の時期の範疇ではありますが、いろいろなやり方で振袖を楽しむ人も増えて来ております。幅広い「新成人の思い出づくりのための提案」をする業者さんも増えて来ておりますから、時代は変化しつつある感じです。

なので、このコロナの大混乱を機会に旧弊のビジネススタイルから脱却するのも良いかも知れないな、と思うところです。少なくとも、現状の社会状況を良く観察した上で、未来志向の提案を具体的にする必要があるな、と。その方が、和装文化的には正しい気がします。ものすごく大変な事ですが・・・

「成人式にかこつけて振袖ぶっこまないでどうやって売るんだよ!」という売る側の声が聞こえてくる気がしますが、文化的には無理して延命するより自然に任せた方が良い、と思います。こういう社会の危機的状況に、人や企業の本音が出ますし、そういう事にユーザーは敏感になりますから、むしろこういう時期だからこそ、売る側はいろいろな事を改善して、その考えを表明した方が良いだろうなあ、と思うところです・・・

もちろん、これは「振袖自体の否定」でありません。「成人式の高級制服化した振袖」という路線はそろそろ寿命なのではないか、という事です。

オメーは振袖染めねえからそういう気楽な事言ってられんだよ、と言われそうですが、こんな私でも時折、振袖のご注文をいただき染めることがありますよ。

今は、平時ではありません。

成人のお祝いをしたいなら、新成人本人が自分のやりたい時にやれば良い、自治体がそういう会を用意したとしても、それに参加するしないは全く個人の自由だし、男性の羽織袴、女性の振袖も、自分自身が着たいと思うなら着れば良いし、着る時期も、着たい時に着れば良い、思い出を残したいなら、自分の都合の良い時にそうすれば良い、そもそも、振袖は、成人式の制服ではなく、単に未婚女性の礼装です・・・と私は考えます。

また、社会や親族、もちろん呉服業界はその新成人の意思を尊重し、サポートするべきと思います。

それに、別に、今年の新成人は被害者ではありません。

人生は、生きている間に何かしらのアクシデントが起こるのが当然。成人式が中止になったからといって、別にどうという事はありません。特に今回は、世界中にコロナ禍の混乱があるのです。日本の新成人だけに起こった災厄ではありません。それよりもっと重要なことが山程あります。

そもそも、これだけ多様性を尊重せよと叫ばれている時代で、また、学生の人、就職した人、いろいろいらっしゃるでしょうが、それぞれの生活環境や都合、嗜好や考えがありますから、皆が皆、同じ方向で同じ事をやる必要は無いのではないでしょうか。

だから、コロナ禍で成人式が中止になって可哀想、というのも、なんだかハタチになった新成人をバカにしているようで私は個人的には変だと思っています。

そうではなく呉服業界は「振袖に興味あるなら最大限に協力しますよ」「興味を持った人を全方向から支援しますよ」「和装って面白いよ。興味があったら是非聞きに来て!」「決して押し付けたりしないよ」という姿勢で良いのではないでしょうか。

また、普段から、そうあるべきだと思います。

成人式や羽織袴、振袖に興味がない人がいて、成人式に出席したい、振袖を着たい、という新成人もいます。買うまではしなくていいけど、レンタルで写真だけは撮っておきたい、という人もいます。

どの考えも正しいのです。

だから、そのサポートをする。新成人たちが自主的にしたい事をサポートする。

こういう非常時こそ、当たり前の事を精度高くするべきだと考えます。

こういう時だからこそ業界人は「文化的にどうか?」という事を基軸に考える方が良いのではないか?と思うのです。

そうしないと

着物に興味の無い人からすれば、

成人式と振袖をセットにして振袖を売りさばこうという呉服業界の思惑→その思惑通りに社会の価値観を醸成出来た→そのビジネススタイルで儲かった→価値観の変化やコロナ禍で大混乱・以前のままのビジネススタイルが通用しなくなる→とりあえず伝統が云々を叫びユーザー不在の主張をする

という風に観えてしまうわけですから・・・

(上に書いたように、ユーザーに寄り添って商売をしているところがあるのが前提の話です)

事実として、現代の振袖の多くは「未婚女性の礼装」というよりは「成人式の制服化したもの」なので、振袖単体だけでなくトータルコーディネートも含めてコスプレ衣装的に変化したように思います。「未婚女性の礼装」としては、あのスタイルのままではむづかしい感じです。

もちろん、振袖をイチから誂える場合はまた違いますが・・・

(文化は人間がつくるものですから、その時代時代に必要とされるように変化するのが自然で、否定するつもりは全くありません)

 *  *  *  *  *

私は和装制作に軸足を置いて創作し、生活をしておりますが、それ以前に一般社会人でもあります。私は業界人の視点よりも、一般社会人の視点を大切にしております。そんな視点から成人式を眺めていると、振袖を着たくないのに無理やり着せられている人が多く、それで着物が嫌いになってしまう人が多い事に気づきます。

着物が好きな人は「着物を嫌いな人なんているわけが無い」という態度ですから、物凄い勢いで「成人式で振袖を着ないのは人間ではない」というレベルで押して来ます。それはカラオケ大好きな上司が「世の中にカラオケが嫌いなヤツがいるわけが無い。照れているだけで本音では皆カラオケ好きなのだ、だからオレサマが導いてやる!」と全く疑いなく「カラハラ」する様子に似ています。

余計に引いてしまいますよね。

もちろん、振袖を着たいという人もいるわけですから、そういう人たちに対してはサポートすれば良いわけです。

しかし「押し付け」はいけません。

嗜好品の押し付けほど押し付けられた方が苦痛を感じるものはありません。

和装は、現代日本では「あってもなくても良い、嗜好品」なのです。それが事実です。

私の体感では、成人式なんてどーでもいい、という人は多いです。

私もそうでしたし、私の周りもそうでした。

成人式には出るけど、別に振袖はいらない。レンタルでも高いし。振袖のレンタル代でも高いのだから、そのお金で社会人になってから使えるそこそこ良いスーツを買って欲しい、という人も多い。

「振袖なんてカンベンして欲しい、そんな事で大枚はたくなら、私の大学の費用をどうして奨学金にしたの?そんなお金があるなら、軽自動車でも買ってよ!卒業旅行のお金出してよ!それとこれとは別?意味分かんない!」

という切実な声も多いです。

娘がそう主張しても、振袖を着なかったら親族の縁を切るというレベルの勢いで驚愕の価格の振袖一式を買うのに付合わされ、お前のためにここまでしてやったんだ、感謝しろ、と押してくる。しかし、娘にとってのお金の優先順位は違うのです。それは娘自身の未来にとって重要な事なのに、無視されるのです。新成人のための何かしらの行為であるなら、娘の望みに従うべきではないでしょうか?

着るにしてもレンタルと撮影で充分、と主張する娘の意見を無視して誂えられてしまったり・・・(親の社会に対する見栄として)

そんな騒動に巻き込まれた娘は「これは成人式にかこつけて両親と祖父母の欲望と見栄と、呉服業界のビジネスのために私は良いように使われているだけなのでは?」と疑念を抱いてしまいます。しかし、自分が振袖を着ることで親族が喜ぶのなら・・・と、今まで育ててくれた感謝の気持ちとして諦めて受け入れる・・・

だったら成人式は「新成人の両親と祖父母と親族への恩返しの気持ちの表明のための行事」とするべきです。

そういう方向のもの、とすればアリだと思います。むしろスッキリします。

しかし、実質、そういう面も強いのに振袖を「新成人のため」という事にしているのが何とも私は気持ち悪く感じます。

私は「成人式+羽織袴や振袖」を否定しているのではなく、新成人が主体的に自分の望む通りにするべきで、それを後押しするのが先達の努めだ、という考えを言っているに過ぎません。呉服業界はそのサポートをするのが正当ではないか、という考えです。

もちろん、成人式の振袖から和装に興味を持った、という人もいますし、少なくとも思い出にはなった、自分が振袖を着る事で父母や祖父母を喜ばせる事が出来たから自分も嬉しい、という人もいるのは前提の話ですけどね。

逆に、家庭の事情で成人式で振袖を着られなくて、それが後になって親への恨みのようになってしまった人もおります。

しかしそれはあまりに主体性がなさ過ぎます「なんで親にしてもらうのが当然なの?振袖を自分が着たいなら、自分でいろいろ手を尽くして着られるようにすれば良いじゃない。まだ力は無くとも、もう大人なんだから」という事を私は言いたいですね。文化は主体的に楽しむものなんだよ、と。

それも、世の中に蔓延している「成人式+振袖」を「受け身でしてもらうのが当然」という思考に染まってしまったから、そういう考えになってしまったのではないでしょうか・・・

そういう若者をつくってしまったことは、呉服業界としては、ある意味成功ですね。「成人式の制服としての振袖」という価値観がちゃんと浸透しています。

で、何にしても、世の中は諸行無常でありますから、変わります。

それなりに経済が回っている時代なら「お金かかるけどまあいいか」という事も通ります。

しかし、コロナ禍でこれだけ経済が停滞すると、いろいろな面でシビアになるのは当然です。

もう、これからはお得意さんに娘が産まれたら20年かけて、その娘の振袖の販売権を得るためにあの手この手、のような販売スタイルではなく「振袖を着たい人のイメージを形にするためのサポートをする」という方向性の方が良いと思うんですね。その方が文化的じゃないですか。

お得意さんに娘誕生!→20年後の○○○万!

みたいなのは、親御さんはいろいろ接待されたりお世辞を言われて気分良くても、娘の方は察知します。

ともかく、私は振袖を着たくないのに押し付けられそうになっている新成人たちに対して「キミたちはもう大人なんだから、自分で考え、自分の意思で、自分の事を決めろ。親であろうと誰であろうと自分をネタに欲望を満足させようとする輩、儲けようとするヤツらを否定せよ!」と言いたいですね。まあ、暴走する親族を止めるのは大変むづかしいのですが・・・少なくとも精神的には抵抗するべき。

なぜなら、文化は自分の意思をもって楽しむもの。受け身では楽しくない!からです。

これは、着物云々関係なくそう思います。

むしろ、自分自身で考え、自分自身が納得し満足するように実行していく若い人たちが和装に興味を持ったら、旧弊が廃れ、新しい和装文化が産まれていくように思います。

「成人式の制服化した振袖」から和装に興味を持ち、着物を着るようになる人は非常に少ない、むしろ嫌いになる人も少なくない、という事実から、いろいろなことを考えるべきなんじゃないかと私は思うのです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?