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和装の古着屋さんで感じたこと

最近は、東京都心部のデパートの呉服売り場であっても、

呉服売り場と、中古呉服のお店が隣り合わせだったりします。

そういう事もあり、どちらも観ます。

中古の着物や帯は、以前よりも全然安くなっていますね。新品価格がかなり高かったものでも、かなりお安いです。産地ものの手堅い良品は安定した価格ですが・・・

古着を観ていると染物も織物も

「ああ、昔はこういうものが良い仕事とされて流行ったなあ」

と感じます。有名作家のものでも流行がありますからそうですね。

そういうものには「いかにも呉服」という独特の雰囲気があります。

それが例えば有名な友禅工房のものであっても、有名な西陣のメーカーのものであっても同じです。

私はそのようなものを「呉服臭のするもの」と呼びます。

このような「呉服臭」は博物館のものにはありません。東京近代美術館の工芸館の収蔵物にはありますが・・・(全てではありませんが)

東京近代美術館の工芸館のものは、呉服臭よりも「美術団体展独自の価値観臭」の方が強いですけどね。

なので、自分の染物が、そのような呉服臭のする中古品のなかにあっても、それに同化せず、ポッと浮いているようなものを作らなければならないんだなあ、と思うのであります。

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流石に、25年以上つくっていると、私の帯が中古市場に出ている事があります。それを発見すると、なんとも居心地が悪い感じがするのは、面白いものですね。

買ったは良いけども、何か気に入らなくて処分したのかな、あれを購入されたお客さまは亡くなられたから親族の方が処理されたのかな、終活の一貫で処分されたのかな、未着用品だと、無理して買わされたから一度も着用する事なく処分されたのかな?とかいろいろ悪い想像ばかりしてしまうので・・・笑

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注=もちろん古着には古着の良さと需要がありますので、古着の否定のつもりは全くありません。現代、和装品を制作する人間としての覚悟、という意味で上を描きました。

なかには「これは良いセンスだ、良い仕事だなあ」と感心するものもあります。また、アンティーク系だと「ああ、これは良い時代にしか出来ない、今の作り手と制作環境ではとても出来ないような良い素材と技術とセンスの布だなあ」というモノもあります。また、そのような良いものばかり仕入れて来る高度なセンスと目利き、そしてそのような良品を仕入れるルートをお持ちのご主人のおられるお店もありますので、私は和装古着系のものを下に観ているのではありません。


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